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最後の夜行急行列車で行く北海道の旅 - 昔日編

2015年10月15日 | 乗り鉄
いつものヨンサントオ時刻表 1968年


こちらは2015年3月時刻表

この50年の北海道の鉄道の変化を最も端的に表しているのが、上の2枚の鉄道地図です。 もう50年近くも昔・・・と言えばそれまでですが、全道を網の目の様にカバーしていた鉄路は、主要な幹線の他は僅かなローカル線を残す極端にスリムなものになりました。 
確かに、今回地元の方が話していたように、特にローカル線では生活を支える交通手段としても鉄道はもはや道路・車にその役割を譲り渡していると云えるのだと思います。 ただ、この2つの地図を見て気付いたのは、少なくとも私の様に鉄道の路線をベースに地図が頭の中に入っている古い人間にとっては、廃線はその町が消えてしまうのと同じことだということです。

今回、私は増毛や夕張の町を訪れて、ほんの一部にせよ自分の記憶に留めることが出来ました。 しかし、もし増毛まで留萌本線が走っていなかったら、夕張駅がなかったら、おそらくこれらの町を訪問することは無かったのではないかと思います。 もちろん、鉄道が無くなっても町は無くなる訳でもなく、車やバスで訪問することは可能ですが、明らかにおおきなきっかけを失うことは間違いありません。 だからこそ線路が繋がっているうちに、出来るだけ沢山の場所を訪れて記憶にとどめておきたいと、今回改めて思いました。

列車ダイヤで見ると、ヨンサントオではまだ青函連絡船が運行されており、何より現在の千歳空港と札幌を中心としたダイヤではなく、青森から函館、札幌を経由して道内に広がる、本州との繋がりを重視したダイヤであったことが最大の違いといえます。 

今回乗車した線区で見ると、札沼線はその名の通り留萌本線の石狩沼田まで繋がっていて末端まで一日7往復程度が確保されている一方で、石狩当別〜札幌間でも一日11往復程度と、こちらは3ドアの通勤電車が走る現状とは大きな違いがあります。
留萌本線では札幌〜増毛を結ぶ急行「ましけ」(留萌〜増毛は普通)、札幌から留萌を経由して幌延まで日本海岸を北上する羽幌線(現在は廃線)を走る急行「はぼろ」、留萌〜旭川を結ぶ急行「るもい」などの急行が運転されており、本数もさることながら札幌や旭川との結びつきが強かったことが判ります。
夕張線夕張駅は今より2.1km北、ちょうど今の石炭博物館の近くまで伸びており、札幌からの急行列車が一日2本運転されています。 また最も賑やかだったといわれる夕張本町までは、函館本線の野幌から夕張鉄道という私鉄が直通しており、夕張〜札幌には2つの鉄道ルートがあったことになります。 一方で石勝線は開通しておらず、帯広、釧路方面は滝川で分岐する根室本線を通るルートとなっていました。
函館本線について言えば、メインのルートは既に室蘭本線に移ってはいるものの、山線にも特急「北海」、急行「ニセコ」、「宗谷」などの優等列車が運転されており、今よりは遥かににぎやかな状態だったようです。
*   *   *
昔日編の最後に1980年に新十津川駅で撮影した写真を掲載しておきます。 ヨンサントオよりは10年以上後とはいえ、まだまだ鉄道に人の手がかかっていた時代でした。


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