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【114】某ファッションブランド・国家・拘束衣・牧場・傷痍モデル

 かつてファッションブランドごとに国家が存在する牧歌的時代があった。つまり国家とは牧場を指していたわけである。
 牧場で罪を犯した者は、牛革の拘束衣で身をきつく締め付けられたあと、乳牛【45】と同様の焼き印(バーンド)を頬に押され、装飾動物の家畜として自覚させられる。だが、その服役が何世代にも渡るうちに、拘束衣の強制による痩身効果のせいか肉体が変容をはじめ、拘束衣自体の機能美が着目されるようになった。人々はいつしか囚人たち(もしくは拘束衣)を洗練された美的存在と見なすようになり、品評会を開いてはその優劣を牧場同士で競い合いはじめた。憧れの対象となった囚人たちは牧師として敬服され、やがて牧場を統治するまでになった。頬にあった焼き印(バーンド)は拘束衣に移されて服印(ブランド)となり、拘束衣は群服に様変わりすると、ヌーディストたち対抗勢力を屈服させながらフォーマルやカジュアルに分岐して一般の人々にまで浸透した。今でも拘束衣の名残はネクタイやサスペンダー、ブラジャーやガーターベルトなどに見られる。
 それぞれに独自の服印(ブランド)を持つ服祉国家がヘンリー八世式【98】モードで全体主義的に群美を整え、モデルたちを服印兵として他国へ送り出すようになると、妬みから小競り合いが生じて見る間に世界大戦へと発展し、恋愛至上主義を称揚する恋合群側(マデリーン【111たちも所属)が、勝利を収めた【120】。敗戦国の民衆は、老齢の頃から着慣れているような素振りで恋合国側のファッション【121】に服従し(それこそが戦争の原因だったと言われている)、区役所の指導にもかかわらず国境は失われてしまった(今でも食卓ではフランスパン【一五】やジャーマンポテトたちが皿の縁を国境に見立てて籠城を続けている)。ただし国家の消失は、旅行会社が行ったモデルたちの輸送業務による服作用【122】だという説もある。

 戦後は手足や顔が部分的に欠損した多くの傷痍モデルたちが活躍し、ギリシャ人による代理石を使った欠損彫刻が盛んになって、犯罪人体測定学【119】に導かれた美の基準は崩れてしまったかに見えたが、現在では出版社【205】からの技術提供によって戦前の水準まで復興できただけでなく、完璧な美への感心が一層高まっている。この気運に応じて、質量の単位がプログラマーの理想的な体重を基準とするグラムに改められた。モデルたちが、骨格や肉付きや肌の質感をよりよく見せるために気に入ったブランドを雇い、彼らに憧れる人々、いわゆる〈戦争を知らない大人たち〉が床屋に足しげく通い【123】、ブランドのニューアイテムも総体的には売れ続け、百科店【83】は発展していった。つまり世界は縮小している。

リンク元【111】マデリーンたちははなからそんなことを問題にしているのではなかった【55】有蹄の四つ足が生えた生物・分化人

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