肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『グッドナイト&グッドラック』、観ました。

2006-12-16 22:00:01 | 映画(か行)


 『グッドナイト&グッドラック』、観ました。
1954年、アメリカ。共産党員を告発するという建前のもと、マッカーシー上院
議員による“赤狩り”が多くの国民から職を奪い、恐怖が全米を覆っていた。
マスコミが報復を恐れ批判を控える中、言葉を武器に権力に立ち向かった
ひとりのニュースキャスターがいた。その男“エド・マロー”と若き記者達の
熱き6ヶ月を描く‥‥。
 もしも、ボクがアカデミー会員で、昨年度の作品賞に投票権があるのなら、
『クラッシュ』『ブロークバック・マウンテン』も選ばない。選ぶとしたら、
この映画、『グッドナイト&グッドラック』だ。スタイリッシュなモノクロ
画面の映像から、ジリジリ焼け付くような“緊張感”が伝わってくる。冷静を
装い、話すキャスターの表情から、権力に立ち向かう“強い意思”が見て
取れる。真の報道のあり方とは…?、正義とは…?、自由とは…?、人権とは…?、
ニュースジャーナリストを父に持つジョージ・クルーニーだからこそ描く事の
出来る“放送業界”の裏側と、その責任の重さがズッシリと胸に響く。そして、
そこには如何にも商業的で映画的なクライマックスシーンは存在せず、映画は
ただストイックに“一つのテーマだけ”を追っていく。そのスタイルは、まるで
映画の主人公が、スポンサーや視聴者に媚を売ることなく、最後まで貫き通した
ジャーナリストとしての“信念の固さ”にダブってみえた。
 さて、映画は、“アカ狩り(=非同調者捜し)”旋風の吹き荒れるアメリカ
50年代を舞台として、法が人を裁くのではなく、権力が法を支配する“資本主義
社会の病巣”を描いている。科学の英知が「テレビ」という媒体を生みだし、
様々な情報を発信する。しかし、その、真実であるべき情報が“ある理由”から
偽の虚像へと変わった時、テレビは人々に恐怖を与える“ただの機械の箱”に
変わってしまう。そして、それは「ジャーナリズム」も同じ。そこに“公平性”が
損なわれれば、人々の心を煽り、操作するだけの“巨大な権力”へと変貌する。
一つ言えることは、テレビも、ジャーナリズムも、そこに“人の力”が加わって
初めて動き出し、“人のモラル”の上に存在するってこと。この映画を観ながら、
数日前に新聞記事で読んだ“内村鑑三の言葉”を思い出した。「文明は蒸気に
あらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず‥‥、人の心の状態なり。」


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