『クラッシュ(ポール・ハギス)』、映画館で観ました。
クリスマス間近のロサンゼルス。黒人刑事のグラハムは、相棒であり恋人
でもあるスペイン系のリアと追突事故に巻き込まれる。彼は偶然事故現場
近くで発見された黒人男性の死体に引き付けられる……。
ずっしりと重たい映画でありながら、観終わった後の…、この不思議な
清々しさは何だろう。さすが『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・
ハギスが自らメガホンを取った“群像ドラマ”のサスペンス、、評判通りの
傑作だ。さて、普通、この手の群像ドラマでは、一人や二人は「アレ、この人
誰だっけ??」みたいな事があるのだけど、ことこの映画に限っては一切ない。
つまり、それだけ演出に無駄がなく、脚本がカンペキだということ。更に
付け加えるなら、本作で頻繁に使用される“人種差別”のキーワードに
大きな意味はなく、例えば、白人と黒人、中国人とメキシコ人とイラク人…、
そんな風に“キャラクターの色分け”の手段のように思えてくる。むしろ、
ここでは“人種差別”を含めた、もっと大きな問題について‥‥、肌や目の
色が違うというだけで、人は何故こうまでして互いに憎み合い、傷つけ合い、
殺し合わなければならないのか…、人間の愚かさや、醜さや、弱さについて、
時間を掛けて描かれているのではないのかな。
次に、ボクが本作で、思わず叫び出しそうになった場面がひとつ。それは
黒人の鍵(かぎ)職人の一人娘が、逆恨みのイラク人によって銃で撃たれて
しまう場面だ。人が“世界で一番愛するもの”を失った瞬間の悲しみと叫び…、
観ながらボクは、自分の愛する娘にダブらせながら、その瞬間、自分の命も
一緒に消えてなくなるような錯覚を覚えた(涙)。そして、同時にボクが
感じたことは、それぞれの受けた悲しみが“怒り”となり、その怒りと怒りの
ぶつかり合い(クラッシュ)が、“人々の対立”を生んでいるんだということ。
だけど、ふと気がつけば、そんな病んだ世界にも“救い”があって、夫が
妻を愛するように…、父が娘を愛するように…、若者が友を愛するように…、
知らず知らずに人は“近くの誰か”を愛してるんだね。今のボク達に大切なのは、
感情の《ぶつかり合い》なんかじゃない、心と心の《触れ合い》なんだ。
ラストシーン、絶望と孤独の淵にいた黒人刑事が、土の中から小さな神像を
見つけ出す。もしかしたら、それは彼にとって「良心」という名の“救い”だった
のかもしれない。