肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『硫黄島からの手紙』、観ました。

2006-12-11 21:14:37 | 映画(あ行)






監督: クリント・イーストウッド
出演: 渡辺謙, 二宮和也 監督: クリント・イーストウッド

 『硫黄島からの手紙』、映画館で観ました。
5日で落ちるとされた硫黄島戦を、36日間にも及ぶ死闘へと変貌させた日本軍。
この時代に異彩を放ったアメリカ帰りの指揮官・栗林中将のもと、寄せ集めと
いわれた硫黄島の日本兵は、最後までどう生き、どう戦ったのか‥‥。
 硫黄島の激戦を日米両側から描いた戦争二部作。もしかしたら、C・イースト
ウッドが本当に作りたかったのは、アメリカ側の前作よりも、むしろ、こちらの
『硫黄島からの手紙』の方ではあるまいか。うん、確かに前作『父親たち~』
“独自の視点”で優れた戦争映画ではあるのだが、いかんせん、戦闘シーンが
激しくて、肝心の人間ドラマの方にノッていけなかったオレ。一方、本作では、
前作よりも戦闘シーンの激しさは抑制され、暗い洞窟の中で“来たるべき死の
瞬間”を怯えながら待つ、日本兵の心理がリアルに伝わってくる。当初オイラは
「5日で終わるとされた戦いを、36日間、戦い抜いた男たちがいた」という
宣伝コピーからして、 日本人特有の死をも厭(いと)わない“特攻精神”や、
その“忠義心”を褒め称える映画かと思っていた。しかし、実際のところは
その逆で、ここ(この映画)で我らが目にするものは、彼ら(日本兵)が勇敢に
戦って死んでいく姿ではなく、古い伝統や格式に囚われ、自らの命を絶つ…、
あるいは、無謀な作戦の前に倒れていく…、そんな無数の大切な命があった。
前作『父親たち~』で「戦争に勝者はなく、ヒーローも存在しない」と言った
イーストウッドだが、打って変わって今作では、このように戦争を比喩している。
「戦場で“国に捧げた死”だとか、“潔い死に方”とか言ってみても、所詮は
“ただの無駄死に”でしかないんだ」とね。
 さて、本作で、その根幹となって描かれるのは、兵士それぞれが“戦場にて
思うもの”。それは、残してきた母であり、妻であり、娘であり、強いては、
“家族の温もり”だったりする。映画は、登場人物にとっての“それら”を
手紙形式で綴りながら、暗い洞窟の中、誰にも看取られず死を待つ無念さと、
遠く離れた故郷を思う郷愁感とが、フラッシュバックで交錯する。物語終盤、
「家族のために戦うことを誓ったのに、今、その家族を思って、死をためらう
自分がいる」という台詞の場面は、3年前の自分ならピンとこなかっただろう。
が、しかし今、最愛の娘がいるオイラには、その言葉の重さがよく分かる(涙)。
そして、自決を拒否し、逃げ続け、生き延びた若い兵士に、主人公司令官が
いう台詞が胸に残る、「君は立派な兵士だ」と。そうだ、“戦うこと”は死ぬこと
じゃない、殴り合うことでも、殺し合うこととも違う。苦しくても生きること、
生き続けることなんだ。

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