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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その178 『水戸・偕楽園』 その4

2017年02月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『好文亭』は、斉昭公自身により1840年(天保11年)に設計された水戸偕楽園内の施設で、偕楽園内での居所、休憩所・敬老会・宴会など各種催しに利用されました。



当初平屋建ての構造だったものから木造二層三階建てに拡張されています。



内庭もきれいに造園されています。



ここの梅も、まだ1分咲きでした。



茅葺きの平屋の建物が『奥御殿』です。
奥の2層3階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
現在は好文亭拝観の際、玄関を入って、まず奥御殿内をめぐり、それから太鼓橋を渡って、好文亭内に足を踏み入れる順路になっていますが、本来は好文亭の奥にある御殿です。



『奥御殿』を見て回ります。
襖に描かれた四季の絵が迎えてくれます。
菊の間、桃の間、つつじの間、桜の間、萩の間、紅葉の間、松の間、竹の間、梅の間、清の間の10室からなります。
菊の間です。



桃の間です。
菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用されました。 



桜の間です。
桜の間やつつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人た ちの詰め所、休憩室として使用されました。
部屋と部屋を分ける襖絵には、江戸時代の美術的表現が鏤められています。



好文亭の通路はとても狭く作られています。
これは武器を持った敵が乱入した際、その動きを制限するねらいがあったとされています。
奥御殿は、好文亭と鴬張りの太鼓橋で結ばれています。
廊下の左側に篠で作った格子窓は、外からは窓であることが判らないように工夫されています。




『奥御殿』から茶室へ通る2畳の小室の『華燈口』です。
中に小坊主が控えていて、奥と茶の席との連絡にあたりました。
上方がアーチ状で狭く、下方は広く開いた形をしています。



斉昭公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室です。
庶民を招いたという一階の部屋は総板縁の大広間で、ここから内庭を鑑賞しながら催しが開かれたのでしょう。



続く...............................................................。