カキぴー

春が来た

北海の小国 「アイスランド」の国防戦略から学ぶもの

2013年10月23日 | 国際・政治
2001年6月11日、AOPAーJAPANが実施した「小型機による世界一周フライト」に参加して、グリンランドからアイスランドに飛んだ。 着陸したのは首都レイキャヴィックから50キロほど離れた「ケブラヴィーク国際空港」だったが、驚いたのは広大な敷地に3000m級の滑走路が2本もあったこと。 人口が僕の住む郡山市とほぼ同じ30万人程度で、面積が北海道の1・2倍ぐらいしかない国の空港にしては、あまりに立派すぎたからだ。 理由はすぐわかった。 北大西洋の中部に位置し、第2次世界大戦中は哨戒機によるU対ボート作戦の重要拠点だったのだ。

「タラ戦争」をご存知だろうか? 1958年~1976年にかけて起きたアイスランドとイギリスとの間の一連の紛争のことである。 アイスランドの主張する漁業専管水域における漁業権を争ったもので、その主たる海産物が鱈であったため、この名が付いた。 イギリス海軍は軍艦を出動させ、アイスランドの沿岸警備隊と互いに砲撃、体当たり攻撃といった激しい衝突を起こし、一時は国交断絶寸前の事態まで発展した。 国際司法裁判所の仲介でも解決しなかった。 しかし最終的にこの戦争はアイスランドの勝利で終結する。

アイスランドはワシントンDCと、モスクワを結ぶ最短直線経路の真下に位置している。 冷戦時、イギリスを含む西側諸国のソビエト連合に対する最重要拠点だった「ケフラヴィークのNATO基地閉鎖」をほのめかしたことが最も大きな勝因。 第二次世界大戦が始まって7ヶ月後、ナチスドイツがデンマークを占領したため、1940年イギリス軍はナチスに先んじてアイスランドを占領した。 そしてアメリカとアイスランドの協定を取りまとめると、アメリカに占領政策を委ねる。 ナチスの驚異が無くなった1944年、アイスランドはデンマークとの同君協定を破棄して独立を回復し、アイスランド共和国となる。

占領は第2次世界大戦終了後に終結するはずだったが、米軍は撤退しなかった。 アメリカはアイスランドとの合意により、ケブラヴィーク基地を軍事輸送基地として利用することになるが、取引条件はマーシャルプランによる復興援助。 1949年アイスランドは、平時にはいかなる軍隊の駐留も認めないとの留保を主張しながらNATOに加盟したが、この留保は文書化されなかった。 1951年、アメリカ・アイスランド秘密協定が結ばれ、ケブラヴィーク基地はソ連潜水艦などの監視の役割を果たすことになる。 しかし冷戦終結でソビエト連邦の脅威がなくなると2003年、米空軍は撤収を発表するが、反対され一時保留。

再交渉でアイスランドは駐留費用の全額負担で継続を要請するがアメリカは受け入れず、2006年9月ケブラヴィークから撤退する。 冷戦後の安全保障に危機感を強めるアイスランドは、新たに設立した平和維持部隊や医師団による紛争地域への積極的な派遣、人権・PkO、難民受け入れなどの国連貢献を続けている。 またEUには未加盟ながら、欧州諸国とくに北欧諸国との密接な結びつきに力を入れる。 中国の軍事増強と尖閣紛争、北朝鮮リスクなどを踏まえた我が国の国防も、アメリカにとって日本がアジアの前面に構えるいわば「不沈空母」であることを念頭に置きつつも、「自力で国を守る」覚悟が求められる。