カキぴー

春が来た

被災地で経験したこと、思ったこと。

2011年03月20日 | レポート
3月11日金曜日午後。 スタンドでガソリンを満タンにし、車に乗り込んだ途端に激しく揺れ始めた。 その日は強風だったので最初はそのせいかと思ったが、ハンドルにしがみ付いていても体が上下左右に激しく揺さぶられるのでおかしいと感じたが、その時点ではまだ地震とは思っていない、この地方は地盤が固く地震に強いとの神話が頭にあったからだ。 しかし人々が外に飛び出してくるのと、周囲の建物の壁が崩れ落ちるのを見るに及んで、やっと事態の深刻さを理解することができた。

すぐに帰宅すべく急ぎ車を走らせたが、強い余震が続く中で車が渋滞し、スピードが出せず40分ほどかけてやっと到り着く。 隣の家を見ると、玄関に上がる高さ2mほどの階段と一体になった石塀が、基礎の部分からえぐりり取られて倒れ、道路半分をふさいでいる。 我が家に入ると戸棚や仏壇などが倒れて中身が散乱し足の踏み場もなく、僕の部屋はイケアの重い棚が机にかぶさる様に倒れ、2台のパソコンが下敷きとなり本や書類が散乱している。

人の世界では「いい人から先に亡くなる」と言われるが、グラスの類もこれに当てはまることが今回わかった。 とくに大事にしていたシャンパングラスや、赤白に使い分けていたワイングラスなどはことごとく砕け、残ったのは安物ばかり。 またコツコツ集めた模型飛行機など蒐集品の多くを失ったが、惜しいと思う気持ちがさほど強くなく、冷静だったのは「老いの所為」。 いずれ遠からずやらねばならない「死に支度」の時期が早まっただけと考えたら、気が楽になったのだ。 友人たちも同じようなことを言っていた。

水が出るようになったのは14日の午後。 毎朝1輪車にポリ缶を積んで、自宅の庭に続く雑木林の端にある「湧き水」を汲みに往復した。 トイレは貯水タンクの蓋をはずしておき毎回バケツの水を補給、完全に流すためには中型バケツに一つもの水量が必要なことを初めて知り、風呂の残り水には助けられた。 食器類はすべてラップを被せて使用し、洗わずに済むようにしたのは非常時の知恵。 風呂はやっと日曜日に女房と20キロほど離れた山中の温泉へ行き、しばし至福の時を過ごしてきた。

いま節約しているのはガソリンと灯油。 できるだけ自転車を利用するようにし、暖房は専ら薪ストーブに頼りながら長期戦に備えている。 僕の住む所は福島原発1号機から60km弱の距離にあるが、住民は放射能汚染に対しかなりナーバスになってきており、避難先を探す人も多くなってきた。 県内ではすでに畜産物から基準値を大きく超える放射能が検出されており、今後は飲料水や土壌汚染が深刻になりそう。 「過去が歴史となるには時間がかかる」と言われるが、「大惨事を最小限に食い止めた貴重な教訓」 として語り継がれることを願ってやまない。