カキぴー

春が来た

「アフリカの日々」と、DHー60モス型複葉機

2012年07月30日 | 小説
ある日デニスと私は、農園から東南90マイル(144キロ)のナトロン湖まで飛んだ。 そこは農園より4千フィート(1300メートル)低く、海抜2千フィートにあたる。 ナトロン湖ではソーダがとれる。 湖底と岸は白いコンクリートのようで、強烈な塩分を帯びた酸の匂いがする。 空は青かった。 だが平原から飛び立って岩だらけの緑のない低地に向かうと、あらゆる色彩が焦げて消え去っていった。 下界は見わたすかぎり、細かい模様のある亀の甲羅のようだった。 突然、その甲羅のまんなかに湖が見えた。 水をすかして輝く白い湖底は、上空から眺めると、目をうばうばかりの、到底あり得ないような淡い青色をしていた。

あまりにも透明が美しく、一瞬眼を閉じねばいたたまれなかった。 荒涼とした黄褐色の地表にはめこまれた水面は、大きな一粒のアクアマリンに見えた。 ここまでは高空を飛行してきたが、今や高度を下げていくと、真下の薄藍色の湖面に濃いブルーの飛行機の影がただよった。 この湖には何千羽ものフラミンゴが棲んでいる。 なぜこの塩湖で生きてゆけるのか、私にはわからない。 私たちは白熱した白い湖畔に着陸し、飛行機の翼の下に入って直射日光を避けながら昼食をした。 もってきたビールは、上空の寒気でほどよく冷えていたのに、、ほんの15分ほどのあいだに、いれたてのお茶ぐらいになっていた。

「ナイヴァシャ湖まで行ってみる気はあるかな?」とデニスが言った。 「ただし、あそこに行く間の地帯は起伏が多いから、途中で着陸はできない。 1万2千フィート(4千メートル)の高度で飛びつずけることになるけど。」 ナトロン湖からナイヴァシャ湖への飛行は途方もない旅だった。 私たちは直線上を飛び、1万2千フィートの高度を保ち続けた。 高すぎてなにも見えない、上空の風は氷のような冷たさで額にあたった。 パイロットの前の座席にいると、ただ空間だけが眼の前に広がり、パイロットが前ににさしのべた掌の上に乗せられたような気がする。 私たちはナイヴァシャ湖畔の友人たちの農園に着陸した。

原作からの引用が長くなったが、映画化された「愛と哀しみの果て」で、デニス役のロバート・レッドフォードと、原作者アイザック・ディネーセンに扮するメリル・ストリーブが、タンデム(前後に座席がある)の複葉機でアフリカの大地を飛ぶシーンが、映画史上稀にみる美しさで、1986年度アカデミー賞7部門受賞の中に撮影賞も含まれている。 この機体はイギリスの航空機メーカー、デ・ハビランド・エアクラフトが1925年に初飛行した民間用多目的機で、105馬力しかないが尾輪式で草地からの離発着も容易なため、道路が無く広大なアフリカ大陸での移動には欠かせない存在だった筈。

デンマークを代表する作家ディネーセンは、1914年から1931年にかけての18年間、アフリカで農園を経営した。 夫である同郷の男爵から梅毒を移され、一時帰国して治療を受けたのち再びアフリカに戻ったが、その後夫とは離婚。 狩猟家でイギリスの皇太子ジョージ6世のサファリガイドも勤めたデニスは、彼女の農園以外に定住の場所を持たず、彼女はそこにあるすべてを惜しみなく彼に与えた。 彼はまた彼女を乗せるためにモス機を買い、毎日のように空を飛んだ。 デニスの死は突然訪れる。 農園に帰るべく出張先の空港を離陸後200フィートで機首を返して失速し、墜落炎上したのだ。 死の瞬間彼は思い出したはずだ・・・・「何が起ころうと低空で機首を変えてはならない!、まっすぐ突っ込め」