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春が来た

生かされた「123便墜落事故」の悲劇

2010年09月25日 | 乗り物

ボーイング747型機は大量の乗客を運ぶ超大型機であるため、開発当初から少々の故障が起きても墜落することなく、直近の空港までたどり着けるよう設計されていた。 思い出すのは 「サンフランシスコ空港における事故」。 離陸中の747が進入灯の鉄柱に接触し、胴体下部にある油圧系統3本の全てが破壊された。 しかし天井に配置された最後の油圧系統1本が残っていたため、墜落を免れている。

では1985年、1機の事故としては史上最大の520名の死者を出した 「日本航空123便墜落事故」はなぜ防げなかったのか?。 これは後部隔壁が破壊されることにより、4系統の油圧経路が集中していた尾部の箇所が大きな損傷を受け、全てのオイルが流出したため操縦不能に陥ったから。 その後、設計ミスによるものと究明され、直ちに全ての機体に改修が加えられた。

1989年夏、ユナイテッド航空232便・DC-10-10(乗客296名)が、アイオア州上空11000mを巡航飛行中、金属破壊によって飛散したエンジン・ブレードによって、3つの油圧操縦系統の全てが破断され、操舵不能となった。 幸運だったのは、非番で便乗していた デニス・E・フィッチ機長(兼DC-10指導教官)に支援要請できたのと、彼がJAL123便の事故でパイロット達が最後まで試みていた 「エンジン推力のみでの操縦方法」を、シュミレーターで訓練していたこと。

232便は操縦不能に加え、尾翼壊失によって安定飛行をするための機体形状も失われていたが、幸い123便のような「垂直尾翼脱落」は免れた。 クルーたちは1番(左翼)と3番(右翼)の推力のみでアイオア州スーゲートウェイ空港にたどり着く。 機は接地寸前までかなり良い精度を維持したが、ラダー(方向舵)が効かないので推力を使うため、通常の着陸速度より170kmもオーバーしており、右主翼翼端から滑走路に接触して大破炎上する。 しかし奇跡的に185名が生還した。

この生還劇は1992年アメリカのテレビ映画で、邦題「レスキューズ・緊急着陸UA232」として放映され、また事故調査に当たった国家安全委員会(NTSB)は、クルーの行動を「期待以上」と絶賛した。 アメリカ航空宇宙局(NASA)は、この事故および123便事故の発生に鑑み、対応策としてラダーを使用できない場合に、コンピューターによるエンジンコントロールで航空機を操縦し、着陸させる方法を開発していると聞く。

     

 


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