野口敏夫プライベートブログ

私の周りで起こった出来事や日頃思ったことなど個人的で気ままなブログとなっています。

大津・京都旅行

2008-11-20 19:54:15 | 旅行記

 去る11/17~19、大津で、かつて同じキャンパスで学んだ同期の会があり、ついでに京都まで足を伸ばしてきました。

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  11月17日、ひかり411号にて11時33分、偶々同じ車両に乗り合わせた同期のY君とともに、東京駅を出発した。月曜日とあって指定席車両はほぼ満席の状態であった。

 米原で姫路行きの快速列車に乗り換え、14時56分、膳所駅着。土地の人に道を尋ねながらぶらぶら歩き、 同期会会場の「ホテルピアザびわ湖」に向かう。

 ホテルはさすがその名の通り北側に琵琶湖をPhoto望む絶好の位置にあり、既に10名近くの懐かしい同期の面々が到着していた。

 私に割り当てられた部屋はシングルルーPhoto_2 ムの918号室で、窓から見る景色はまさに風光絶佳、このホテルを会場に選んだ近畿幹事団の気配りのほどがうかがえた。

 17時過ぎから同伴夫人4名を含め総勢35名による2年ぶりの総会・懇親会が開かれ、旧交を暖め大いに盛り上がったことはいうまでもない。

 しかしこのブログにおいてそのことを詳細に述べるのは場違いと思われるので、省略させていただき、次に進むことにしたい。

 なお、七業会並びに逓信同窓会関係者の方は、こちらをクリックしてご覧ください。

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 翌18日朝、3年後の東京での再会を約し、それぞれが帰途につくなか、折角ここまで来たからにはと、Y君を誘い、びわ湖の北部に浮かぶ島・竹生島に行ってみることにしました。

 ホテルのバスで大津駅まで送ってもらい、9時34分の列車で山科経由、一路、びわ湖を右に見ながら湖西線を北上し、近江今津に向かいました。

 列車は平日とあって空いていましたが、トンネルが結構多いのは意外でした。尤もこの辺り、有名な比叡山に連なる山脈があるので当然かもしれません。

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 10時26分、近江今津駅に到着。ここはかつて若狭街Photo_2 道とびわ湖水運で栄えた町とか。落ち着いた風情のどこかしら郷愁を覚える街並みで、港へ向かう途中には「琵琶湖周遊の歌」資料館がありました。

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 10Photo時50分、今津港を出航、湖岸の景色に心を和ませつつ進むこと25分、神が宿ると言われる伝説の島・竹 生島に到着しました。

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  全島が針葉樹で覆われているこの島には、724Photo_5年に 行基が開いた古刹・宝厳寺があり、古来より仏と神とが習合し、西国三十三観音霊場の30番札所として人々の篤い信仰を集めてきた由。平家物語の「竹生嶋詣」や謡曲「竹生島」にもPhoto神秘的な美しさを秘めた島と歌われ、千年を経た今日でも琵琶湖八景の一つに数えられているとか。

.Photo_4

 上陸してすぐのところにある売店の前を通り過ぎると拝観料を払う券売機があり、そこで400円の券を買って入場。すぐ目の前は急な階段になっていました。

 これは「祈りの階段」というそうで、数多くの巡礼者がこの165段も続く石段を無病息災・家内安全など様々な祈りを心に抱きつつ登って行くことからこの名がついたそうです。確かにしんどく、いささか息が切れました。

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 Photo_2 階段を登りきったところに本堂がありました。この本堂は総檜皮葺きの竹生島最大の仏堂でPhoto_3、本尊の弁財天が納められています。

 江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」のひとつですが、ここのが最も古く、聖武天皇の命で724年に行基が開眼したと伝えられています。

 内部には、竹生島の一大行事として今日まで綿々と続けられている蓮華会のつど新しく奉納された弁財天像が今も安置されています。

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 更に順路に従って少し上っていくと、朱色が目にも鮮Photo_5 やかな三重塔がありました。

 これは、文明16年(1484年)前後の創建ですが、江戸時代初期に焼失したため、当時の「阿部権守」の絵図をもとに古来の工法や装飾に忠実に2000年に復元されたものとか。どうりで真新しく感じました。

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 ふと、三重塔の前方に見事なフォルムの木があるのに気づきました。

 説明板によると、これは樹齢400年で、16世紀末にPhoto_6 豊臣秀吉の命を受け、伏見城から都久夫須磨神社本殿等を移築した際に片桐且元が手ずから植えたとされるモチの木とか。

 それにしても、とてもよく剪定されていました。

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 次いで石段を降りて、唐門(国宝)から観音堂、船廊下を通って都久夫須磨神社本殿へと進みました。.

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  唐門は、豊臣秀頼により京都東山の豊国廟の正門に使用されていた極楽門を移築したものです。桃山時代を象徴する唐破風の精巧な造りで、国宝に指定されているとか。

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 船廊下は、観音堂移築と同時に掛けられた都久Photo_3夫須磨神社に通ずる長さ約30m、幅約1.8mの渡り廊下 で、豊臣秀吉の御座船として作られた「日本丸」の船櫓を利用して建てられたとか。急な斜面に掛けられたため、その足元は高い舞台構造(懸造)となっています。

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 都久Photo_4 お迎えするためにその時代の粋を集めて造った桃山時代を代表する屈指の建造物で、一名「日暮御殿」という伏見城内最高の建物を神殿として寄進・移築されたもので、これも国宝に指定されている由。

 なお、都久夫須磨は「つくぶすま」と読み、平安時代の延喜式に載る由緒ある古社で、竹生島の古名とも言われています。

 それにしてもお寺の観音堂と神社の本殿が渡り廊下で結ばれているとは、いくら神仏習合が普通だった時代とはいえ、他に類を見ないことですね。

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 さPhoto_5 て、本殿正面の海側には竜神拝所があり、竹生島一の絶景ポイントになっていますが、ここから琵琶湖に向かう鳥居へかわら投げがPhoto_6できるようになっています。

300円を払うと2枚のお皿が渡され、そのひとつに名前 を、もうひとつに願い事を書いて投げるのです。私も試みましたが、皿は思う方向に飛びませんでした。鳥居の周囲に落ちているのはすべて皿の残骸です。

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 以上で竹生島の観光を終え、12時30分の便で再び今津港に戻り、港舎2階のレストランで遅い昼食をとった後、近江今津14時27分の列車で京都へ向かいました。

 ものの5分で京都に到着。ここで帰京するY氏と別Rb れ、一人駅周辺を散策後、かねてネットで予約してあった駅前のホテル「R&B京都駅八条口」に入り、一泊しましたが、夕方食事に出た際、そのレストランのメニュの裏に「人生の修行」と称して面白い一文を見つけました。

 曰く、

 苦しいこともあるだろう 

 言いたいこともあるだろう

 不満のこともあるだろう

 腹の立つこともあるだろう

 泣きたいこともあるだろう

 これらをじっとこらえていくのが人生の修行である

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 翌19日午前中、これもネットで予約してあった定期観光バスに乗り、洛東の南禅寺・高台寺を巡りました。

  紅葉を期待したのですが、やや時季が早く色付き具合はいまひとつでした。

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 南禅Photo

  10時10分、南禅寺着。このお寺は、日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上位におかれる別格扱いの寺院で、日本のすべての禅寺のなかでも最も高い格式を誇っており、この日も大勢の観光客で賑わっておりました。

 以下、主な見どころをご紹介しましょう。

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 三門

 まずは、石川五右衛門が欄干に寝ていたというPhoto_2伝説で有名な山門です。堂々たる門構えはいかにもそんな 伝説にふさわしいものですが、実際にはこの門は、藤堂高虎公が大阪夏の陣の戦没者慰霊のため、寛永五年(1628)に寄進建立したもので、五右衛門処刑後30年以上も経ってからということになりますか。

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 法堂

 Photo_3 山門を抜けてしばらく行くと豊臣秀頼が寄進したといわれる法堂(ハットウ)が見えてきました。尤も当時のものは明治28年に焼失してしまい、現姿は明治42年に再建したもの。

 ここは、禅宗の生命とも言うべき問禅・開堂等法式行事の行われる場所であり、公式の法要も皆この堂で勤められるとか。

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 本坊(庫裏)・方丈

 次に法堂の背後にある本坊に入りました。

 東山の緑をすぐ背にしてすっくと立つ庫裏は、白壁を鮮やかに区切る黒々とした用材、すっきりした屋根の稜線が目を引きました。

 本坊の左手には方丈が棟続きでそのまま中を通れるようになっており、各部屋に重要文化財に指定されている数々の障壁画や、清涼感の漂う枯山水庭園などが見られました。

 撮影は庭はOKでしたが、さすがに内部はご法度でした。

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