活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

シュレック3(日本語吹替版) 再び

2007年07月31日 23時00分00秒 | さ 行 (2006.2007)

3_16  <ワーナーマイカルシネマズ千葉ニュータウン>

 本作に関する物語、コメントは一切、書いていません。ただのプライベート日記です。

 44年間、一度、捨てられた女性に私は再会したことがない。やり戻したという彼女は過去にいたが、残酷なまでに断ってきた。こんな男でも少なからずのプライドは持っている。精神的にきっぱりとはいかないが、態度だけは無理矢理にでもきっぱりとする。やり戻したいという彼女の言葉に負けそうになることもたくさんあったが、それでも、ぐっとこらえて拒否してきた。忘れるには時間がかかるが、それでも時間がちゃんと解決してくれる。それは何度も体験してきた。違うかもしれないが、会わないというのが、私自身のけじめでもある。だが、先日、私を捨てた彼女から電話があった。電話をとるべきではないが、電話に出た。簡単に言えば、もう一度やり直したいという。彼女と別れた元彼にもどったと聞いていたので、何事かと思う。実は、元彼から断られたようだった。心が変わり、また心が変わり、また心が変わる。元彼に会わせたのは私のせいだという。確かに促したかもしれないが、手取り足取り、元彼と会わせる準備をした覚えはない。そこには彼女の意思はゼロで、すべて私の意思で、責とするのもどうかと思うが、愚痴っても仕方ない。大人気ない。そんなことはどうでもよろしい。元彼に断られ、だから戻ったというのは安易だが、16才も年下だし、人生の中ではじめて、私は頷いた。

 3月から5月にかけて、4度も東京、千葉へと行っていて、私は身の程知らずの散財をしてしまったので、今回は深夜バスを利用した。「青春メガドリーム号」という3,980円の格安のバスだった。こんな料金設定で運行できるのかと思ったが、二階建てバスに60人以上の乗客だ。前も狭い。3列シートのバスだと8,000円だから、料金は同じだ。よく考えてある。詰め込んで詰め込んで、私は積荷のような気持ちで、早朝の東京駅に降り立った。

 彼女の用事を待つ間、春日部の街を歩く。じっと東武電鉄の路線図を見ているうちに、春日部が目に入ったのだった。春日部といえば、クレヨンしんちゃんを思い出す。どんな街なのだろう。待ち時間が4時間ばかりあったので、20分揺られて、春日部の駅に着く。乗り換えの要衝なので、大都会を予想していたが、駅だけが悪戯に広く、小さな地方都市だった。ぶらぶら街を歩き、神社などがあると、賽銭を投げ入れ、拝んだりする。全国チェPhoto_290 ーンの店が並ぶだけで、特別な印象のない駅前だ。裏通りを歩くと、面白い看板をみつけた。「ミス医院」・・・このミスは、ユニバーサル的なミスなのか、ミステイク的なミスなのか。面白い名前だ。別に悪いところはないが、なにか理由をつけて、診察を受けたくなる。きっと、この街の誰もが知っている医院だろう。駅前旅行者でも、ぶらぶらしていると、楽しい発見がある。4時間経ったので、彼女を迎えに行く。4時間も歩いていると足が痛い。春日部のホームに立つと、クレヨンしんちゃんの「いってらっしゃい」「おかえり」の大看板が躍っている。

 初めて彼女に会いにきた3月4日は、とても寒く、私はダウンジャケットを着込んでいた。あれから5ヶ月。そして5回目。Tシャツ一枚でも汗の出る暑い季節になった。日本の四季は、メリハリがあって、あの頃と思い出すと、暑さ寒さを頭に浮かべる。同じ場所に舞い戻ったが、まったく違った街の印象がそこにあった。

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サイドカーに犬

2007年07月08日 23時45分00秒 | さ 行 (2006.2007)

Photo_281  <シネ・リーブル梅田>

 この一週間は、本業の仕事をほとんどしていないので、明日からは大変なスケジュールになっている。儲からない、儲かるなどと言っている場合ではなく、大きなビデオ制作にまじって、小さなこまごまとした用事が詰まっている。朝から夜遅くまで、それはそれは大変になりそうだ。忙しいと滅多に言わないけれど、久しぶりに忙しくなりそうだと手帳を見て思う。ぐっと背を伸ばし、自分に気合を入れる。幸せが逃げていくので、ため息はつかない。とりあえず、こなすという仕事が待っている。

 火曜日にやってきた新梅田シティへくる。4階の梅田ガーデンシネマで観た2作品は、私にどぎつい印象を与えた。少しおちついて、今日は3階のシネ・リーブル梅田へ行く。ここには、スクリーン1と2の2つのスクリーンがある。「サイドカーに犬」と「キサラギ」が、うまい上映時間のタイミングだ。2作品、ハシゴしたい人への配慮だろうか。2館で3作品、4作品の場合、タイミングは悪いが、2作品の場合は、うまく時間をあけてくれる。5分、10分ではつらいが、35分の差である。映画館には恐縮だが、今回も、会員のポイントで観る。上映開始5分前で、観客はいっぱいだろう、立ち見だったらやめようかしらん・・・と、チケット売り場へ行くと、整理番号は25だった。この劇場、入るときは入る。希少になった自由席で、席以上のチケットを売るので、舞台挨拶のある時などは、立ち見もさせる。日曜日の昼間の5分前にやってきて、25番とは・・・ガラガラに近い。

 正直、私は「焦点のあわない、どこを掴んでいいかわからない映画を観たな」と思った。本作を観たのは、監督が根岸吉太郎監督だという理由しかない。それ以外、何の知識もなかったので、竹内結子が出ているのを登場で知った。ポスターやチラシも見てなかったのだ。「あっ、これが復帰第一作か。」と、思った。私が高校生の時に観たATGの「遠雷」から、名前を強烈に覚えている監督である。あの映画は、わけわからず大好きで、それ以来、根岸吉太郎と聞くと、いい映画が観られると思い込んでいる。思い込んではいるが、あれをこえる映画は、根岸吉太郎本人、作っていないとも思う。ポルノ映画から一般映画を撮るとき、あまりにも嬉しくて、すべて出し切ったのだろうか。私は、四半世紀以上、ずっとそう思っているところがある。ATGで撮ったにもかかわらず、少しポルノにもどり、ポルノの衰退と共に、活躍の場は減った。「探偵物語」を撮ったとき、私は生意気な学生だったが、媚びたような映画を作ったなと思った。『雪に願うこと』も悪くはないが、あんなにいっぱいの賞を獲る作品だろうか。私にはわからない。まだ、「遠雷」が頭に新しい。

 いつものように、撮影は丁寧で、編集のときを最大に考えてあり、カットバック処理が多い。何度も俳優は同じテイクを繰り返したのだろうが、その思いは、スクリプターさんの仕事が大変になるだけで、そんなにカットを変える必要もないだろうと思う。竹内結子のキャスティングが不思議だ。あんな端正な、頭脳明晰のような顔立ちではないだろう。読書好きで、頭がいいのはわかるが、生き方は下手なわけで・・・でも、とてもそういう感じには、最後までみえなかった。煙草を喫い、膝を立てても、品がいい。いろんな人生の皺を見せることもなかった。他のキャストは抜群で、特に古田新太、トミーズ雅、樹木希林、温水洋一は、居て然るべき所に居る。樹木希林なんて、とても贅沢な起用だ。ちょっとなのに、映画に貫禄が出る。

 この映画・・・女の子の回想なのに、女の子の目線で作られていない。女の子の知らぬ大人の感情がいっぱい出てくる。女の子に感情移入しなければならないのだろうが、私は、古田新太の心情ばかりを思った。竹内結子は懸命に演じていたが、古田新太は、父親としてそこにいた。しっかりしていて、どうでもよく生きていて、どう接したらいいのかを悩んでいて・・・うまい俳優になったなと思う。・・・・・そんなことを思うばかりで、他に何も感じ入るところはなかった。回想の中の回想も、特別な印象を残さなかった。平板な、掴みどころのない物語を観た。良作なのか、駄作なのかも判断しがたい。  <55点>

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キサラギ

2007年07月08日 23時30分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo_280  <シネ・リーブル梅田>

 原作者と脚本家が同じで、原作を読んでみたら面白いのだろう。原作はどうあれ、脚本を読んでみたいなと思わせる。5人の俳優は、出演交渉の際、台本を読んで、楽しかったろうなと思った。与えてもらった自分の役がどうなっていくのか、自分は何者なのか、ドキドキしただろう。それだけ、意外な展開で、二転三転していって、それを、きれいに辻褄を合わせている。展開もうまいが、台詞もうまい。たった一言が、立場を逆転させたり、その場の空気を一瞬に変える。文学的というより、理数系の頭がなければ、こんな物語はできないと思う。両方がしっかりと揃っているとすれば、大した脚本家である。

 室内劇の中でも、これはもう舞台劇だ。だが、映画にするにあたって、監督は、様々な工夫をしている。「時間が進むにつれて変わっていく5人の表情のアップ」「過去を特殊な編集技術で映像化していく」「コレクションの細かな写真や手紙群」「手に持つ物のアップと手の細かな動き」など、舞台では難しいものを映画でクリアさせていた。小さな空間で、カメラはどこにでも動き、高く低くもなる。細かな表情、仕草を伝える為である。また、その空間の空気が変化すると、照明もそれにあわせて徐々に変化する。これは舞台でもできるが、彼らの距離が遠くなり、フレームに邪魔な天井部分が入ったりする。映画ならではの工夫だ。密室劇の中でも、かなり上をいく質の高い作品だと思う。

 すべての壁が取り外せるようになっているのだろう。カメラが実に自由自在に動く。何台ものカメラを一緒に回しただけでは撮れないカットで、3回も4回も同じ芝居をさせて、カメラ位置を変えたのだと思う。だから、短いカットも多い。台詞の途中で、何度もカットが変わる。カメラ台数では処理できないので、何度もテイクを繰り返している。密室劇は、舞台にした方が簡単で、映画にすると面倒な作業が山積みだ。テンションを持続したまま、どんでんの時間を待たなければならない俳優達は、相当に疲れる。緊張の持続力には限界があって、待たされれば待たされるほど精神をすり減らす。

 あれこれどうでもいいことを書いたが、そんなことよりなにより、この映画、実に面白い。楽しい。最初の5人の出会いから楽しめるが、どんどん謎解きをしていくごとに、観る者のテンションをあげる。謎解きの答えに意外性があり、冗談のような結果を用意してある。とても楽しませてもらったが・・・ラストに、アイドルの素顔が出てくるのはどうだろうか。あれだけ見せないように引っ張ったのだから、ラストまで顔を隠していてほしかったなと残念だった。そこを差し引いても、ロールスーパー途中のフリーズから、一年後の集まりのシーンに入るのが、またいい。新たな展開があるのかないのか、観客に想像を任せます・・・狭い空間で、地味な作品だが、実に広がりのある展開を楽しませる。これは、観ておいて損はない。誰でも楽しめる逸品だった。  <90点>

 

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パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド(字幕版)

2007年07月05日 23時45分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_278  <TOHOシネマズなんば>

 やはり、引きずり男になったままで、うつ状態は続く。今日は「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」と「アポカリプト」の二作品を観ることにしたい。仕事も気になるが、今の状態では、いらぬことを考えて、ポカをやってしまいそうだ。もはや他人のせいにしたい気分だ。だが、土曜日から6日間も贅沢な休みをもらったので、明日は、何が何でも行こう。こんな仕事をしているからこそ、自由が利くのだ。自由とは、楽しくもあり、とてもやっかいなものでもある。

 本作を遅れて遅れて観る事になった。もう、人も少ないはずだ。木曜日の昼間だから、尚更、空いているだろう。昨日は雨模様だったが、今日はいい天気だ。人もまばらなチケット売り場で、後ろの通路側の席がとれた。上映5分前だから、ここが取れたとすれば、とても人入りが少ない。2日前の夜から何も食べてないので、さすがにふらつく。売店で、ホットドックを頼み、場内へ入る。30人くらいの観客だった。

 本作を観ようと思ったきっかけは、 Happy Together  のリーチェンさんとのメールの会話からである。故郷へ帰る新大阪駅から、新幹線内から、私はたくさんの友達にメールを送った(これは早まったと後悔している)が、ブログ仲間のリーチェンさんにも送った。携帯のメールアドレスをアドレスに入れていたからでもある。また、つい先日、結婚するという報告メールをしたばかりであったから、早めに伝えておこうと思った。心配と励ましの長めのメールが返信されてきた。一度だけしかお会いしたことがないのに、本当に有り難い。故郷の下関に着き、少しだけ落ち着きをとりもどした私は、リーチェンさんに、「生きてるだけで丸もうけがわかるような気がする」と、返した。リーチェンさんは、ジョニー・デップのポスターとともに「丸儲けついでに、たまにはこんな映画を観ればスッキリできるかも。彼も自由を愛する気ままな海賊ですから、人生イロイロということかな(笑)」と、返信してくれた。私が下関駅の改札を抜け、バスに乗ろうと歩いていたときのことだった。とても映画を観るどころの心境ではないが、リーチェンさんの心がありがたい。私は、まともになったら、本作を観ようと思っていた。それでも、すぐには派手な映画は観ることができず、「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」になってしまった。昨日も時間が合わず、「シュレック3」になった。今日は行こうと、修復しかけた心を抑え、難波へと出たのである。

 私としては、やはり、パート1が大好きである。シリーズとは思わなかった1を観たとき、スカッとして、続けてもう一度観た。間をあけて同じ映画を観ることはあっても、続けて観ることは珍しい。しっかりした構成と物語で、個性の強いジョニー・デップに驚かされた。パート2も良かった。物語よりも、サーカスを観るようなアクションの連続で、目を楽しませてくれた。私は、インディアナ・ジョーンズシリーズの2作目的な作り方だと思った。じっくり観るというより、楽しませてあげようという製作者の考えがあったのだろう。物語はとどまったままだったが、私は諸手をあげて楽しみ、喜んだ。

 あれこれと膨らませたのだから、それを収集する作業をしなければならない。パート3は、上映時間が長い割には、巧くはいっていない妙な空気が漂っていた。何が・・・だろうか。1と2より、真面目に製作されている気がする。表現が難しい。私は、映画そのものよりも、私は、衣裳、小道具、セット、エキストラに興味が向いた。実に細かい作業だろう。エキストラも、その場だけの仕事というような顔をしていない。しっかり、それらしくその場に、いついている。こういう大多数のエキストラにも、手を抜かずに演じさせるところが、やっぱりハリウッドで、日本にはマネのできないところだ。だからこそ、大集団となったひとつのカットでも、画になっている。

 ラストは、めまぐるしいスペクタクルになる。どうやって、こんな脚本が書けるのか。どんな書き方をしているのか、私の想像の及ぶところではない。すべてが画コンテでも、スタッフに理解させるのは大変だろう。アクションとアクションの間に台詞が入るが、タイミングの計算は、かなりしんどい作業に違いない。編集の腕もあるだろう。流れ続ける音楽も興奮させてくれて、ハンパじゃない。何百人というスタッフを一丸とさせて、一流の高級映画を誕生させた。私はDVDで観ないタイプの人間だが、3作品を続けて観てみたい。パート3をもっともっと楽しめそうな気がする。

 長い映画が終わり、「アポカリプト」へと向かう。観ようかどうしようか、15分前なのに悩んでいる。まだ、頭の中は散漫としているからだ。溜息をつくと幸せは逃げていくので、溜息はつかない。そのように努めている。早く帰っても、誰が待ってくれているということはないので、やはり、チケットを買い求めた。明日から、しっかりと仕事を片付ける為、もっと気持ちをさっぱりしたい。映画から得るものはいっぱいある。本を読みたいが、読む気力がない。映画は観ているだけで進むので、ありがたい。映画好きで生きてきて、よかったと思った。  <75点>

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アポカリプト

2007年07月05日 23時30分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo_279  <敷島シネポップ>

 以前から客入りの悪かった敷島シネポップが、TOHOシネマズなんばの誕生で、ますます人が少なくなった。今の私に、そんなことを思ったり、考えていたりする余裕などはないが、4階のチケット売り場にはアルバイトの店員しかいない。この映画館では、二人、三人は何度もあり、一人っきりも体験していて、今日もそうかな?と、思う。

 上映ぎりぎりに入ると、10人ばかりの観客だった。まだ、平日にしては、いる方だが、毎日やっていたレイトショーが少なくなって、来週からは、レイトショーがゼロだ。大阪の、それも繁華街のど真ん中で、こんな状態なんだなと、寂しい。スクリーンの数が増え、客足は横ばいらしいが、本当に横ばいなのだろうか。どんどん観客が少なくなっている気がする。シネコン乱立になって、土曜と日曜しか満員を見ない。それも話題作ばかりだ。映画鑑賞が、特別なものになりつつある気配までする。

 また、人間の肉体的、精神的極限状態を生々しく描いていた。メル・ギブソンの作品は凄まじい勢いをもって、観客を惹きつける。先日観た、「それでも生きる子供たちへ」の大人バージョンのようだ。今の大人は、こんな根性など持っていないのではないか。すぐに諦めて、絶命するだろう。私も弱い神経で、これほどの極限状態は耐えられない。真っ先にやられるだろう。理屈ではない。生への凄まじい執着があれば、何でもできる。その執着心とは、誰かの為でもあるが、だからこそ、自分の為でもある。運もあるが、死ぬまいとする気が、道を拓く。人は死を恐れる。ゼロになるからだろうか、その前の痛みを思うからだろうか。

 恐れなければ、生贄となった自分を解放する手段はない。恐ろしいからこそ、助かる命がある。その上に、守らねばならぬ者、見とどけなければならない者を確かめなければならないという気持ちもあるだろう。恐ろしさから、絶望に向いた者は、真っ先に死ぬことになる。今、まさに殺される瞬間、何者かが手を差しのべるように日蝕が起きるのも、偶然以上の極限状態の願いが叶ったようにもとれる。すべてが偶然で、奇跡のように思うが、生への執着が成した技だ。追う者には、生への執着はない。必ず、生きて帰ることができると思っているからだ。それが、生死を分かつ。

 マヤ文明後期の中央アメリカ・・・らしいが、設定よりも、追う者と追われる者の生きる力を知らされた。追う者も強いが、追われる者の魂の方が上回っている。だからこそ、この凄惨なカットの連続に観る者も力がこもる。おびただしい、腐った死体の山を走る。どこを走っているのか、位置関係はわからないが、わずか一夜のことで、遠い距離ではないことがわかる。全力で走りきれる距離の中、実に多くの仕掛けがある。そのすべてが、精神の極限状態に導く仕掛けだ。緊張感の異常なる瀬戸際の限界。その限界の線が、まるで無いように延々と続く。生への狂おしいほどの執念は、何者にも妨げられないのだろう。井戸で待つ母親も、極限状態の中から、生を生み出す。人間の逞しさと脆さを鮮明にフィルムに焼き付けていた。  <90点>

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シュレック3(字幕版)

2007年07月04日 23時00分00秒 | さ 行 (2006.2007)

3_15  <TOHOシネマズなんば>

 昨日の「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」に続けて書いたが、金曜日の夜から眠れず、土曜日の朝にダメだし電話があって、故郷に帰り、月曜日の夜に大阪に戻ってきた。火曜日の映画「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」を観た。映画で、私は救われた。死への願望が消えたのだった。ところが、私がかなりの勢いで死というものを意識した土曜日から、わずか3日後、あってはならないことがあった。夕方から、2つの長いブログを書き終え、ほっと一息ついた時、彼女から、電話があったのだ。0時ちょっと前だった。ケロッとして、3日間の行動を楽しそうに話す。なんとも自己中心的で我が儘な甘えたことだが、私も人のことは言えない。私の方がもっと精神的に弱い。もう二度と会わない、話しもしないと別れて、わずか3日後。私は、きっぱりとはいかず、言えず、喋った。かなり私のことを誤解しているな、勘違いしているなと思ったが、遠距離だから仕方ない。誤解でも勘違いでも、私は敢えてそのことについては触れなかった。小さなことだ。彼女は、私のブログは読まない。また、私の知人、友達もブログの存在さえ知らない。だから、昨日は、思いっきり書いた。

 付き合っていると、別れ話はいくらでもある。会って5分で解決する問題だったが、相手は500キロも遠くにいる。簡単に会うわけにはいかない。何時間も何時間も電話をすればするほど、誤解や勘違いがふくらむ。それはこれまでの経験からわかっていて、何か問題が起こると、私は相手に直接会って、それで解決してきた。だが、今回は、会いましょうではなく、電話で済ませた。話し合いの余地はなかった。私がすべて悪いので、何も言えない。私は生きている、生きていくことを大切に考えるように努力していた。生き甲斐は絶望に変わったが、生き甲斐を得る前の状態になったと思っていた。いつまで生きられるかわからないが、前進あるのみである。

 実は、電話は、2回鳴って切れた。電話をかけなおしたのは私だ。よく考えればよかったが、何気にかけた。まさか、彼女だとは微塵も思わなかった。弱い自分を出さないように封じ込めようと、アドレスから彼女を消していた。番号は覚えてなかったので、誰かな?と、思ったのだった。彼女の声だったので驚いた。彼女は、平然としていて、何も変わった様子はなかった。私が弱すぎるのかもしれないが、彼氏ではなかったように、普通に話す。あくびをしながら、眠たくなったと言って、彼女は電話を切った。通話時間をみたら、133分だった。かなりの長電話である。実は、これがまずかった。

 気分が3日前に戻ってしまったのである。私は、「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」を思い出し、頭にめぐらせた。それでもなかなか気分が治らず、ついに朝になった。私の責任だが、傷を負ったのは間違いない。悪いのは私で、だから、喧嘩にもならない。

 私は人生、心の修行中になったのだから、気分をその時にもどしてはいけない。だが、仕事は詰まっているが、仕事をする気力を殺がれた。いけないが、私は、今日も休み、映画へ行くことにした。「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」をもう一度観るのもいいが、梅田への距離がなぜかつらく、難波で地下鉄を下りた。「ダイハード4.0」が期待を上回るほど面白かったので、もう一度観るのもいいが、昨日の経験から、激しいものより、じっくり落ち着いた作品の方が、今の私にはいいようだ。タイム・スケジュールを見ると、ちょうど、「シュレック3」の時間だ。外は雨で、映画館は水曜日のレディースデイで、チケット売り場は、ちょっと混雑していた。

 今の尋常ではない神経では、スクリーンに映し出される笑いが、逆に寂しさとなる。ストーリーは単純だし、出てくる連中もお馴染みだ。新しいキャラクターも楽しい。だが、楽しさが寂しさとなった。本作品にも、点数をつけるわけにはいかない。集中しては観ていなかった。捨てられたのだが、それでも最後は男でありたい。泣きは見せず、堂々としていたい。今夜、また電話があったら、それはいけないことだと、はっきり言おう。そんなことを考えて観ているのだから、鑑賞しましたとは言い難い。

 それにしても、どんどんCGの技術は高まっていくなと思う。キャラクターも凄いが、風景は、本物のようだ。実写の風景に、CGのキャラクターをはめこんだような気がする。1と2よりも、相当に進んでいるのではないだろうか。ぼーっと観ていたが、途中から実写もののような不思議な感覚に襲われた。あっそうか、CGアニメなんだ。何度かぽんぽんと肩を叩かれたような気がする。その度に、CGアニメなんだと思った。こうなると観てないに近いが、技術者の苦労や創造力におそれいる。あと5年もすれば、本当に実写版的な「シュレック7」あたりが公開されてもおかしくないだろう。俳優もCGになって、カメラのいらない時代まで生きていたくはない。憧れた映画世界に、がっくりしそうだ。

 明日から仕事を再開するか、金曜日から再開するか、スケジュールをこねまわして悩んでいる。気が早くもどってもらわないと、仕事もこなせず、故郷にもなかなか帰ることができない。部屋の物を捨てて、半分以下にしようとしているが、それにも手がつかない。一度、人を裏切ると、その何倍もが返ってくる。それが今だ。もう、神様かなにかが許してくれたと思っていたが、でっかい返りが待っていた。この一本で、今日は帰ることにする。じっと心を落ち着け、ゆっくり眠ることとしよう。彼女は悪くない。私のエゴが、すべてだった。44才にして、私はまだまだ子供だ。大人になりたい。

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それでも生きる子供たちへ

2007年07月03日 23時30分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo_277  <梅田ガーデンシネマ>

 「ブリッジ」で長々と書いたが、そんな私の異常な精神状態ではなく、毎日を頑張って生きておられる方には、「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」を抱き合わせで観ることをお勧めしたい。私のような異常な精神状態に陥ってしまったときは、「それでも生きる子供たちへ」の一作品をお勧めしたい。私は奇しくも、ズタズタな精神状態で観にきた。これもまた、何かが私を導いてくれたのかもしれない。「ブリッジ」は私のような者が次々と出てきて、観ていて苦しくなったが、7つの物語からなる本作は、生きる欲を与えてくれた。生きなければならないと、力がついた。

 生き甲斐を失い、心には大きな焼けた穴があいたが、その絶望に涙はなかった。涙が出るのを飛び越えたのだろう。涙が出るうちは、まだ生きようとする希望かあるような気がしている。それを飛び越えたのだから、もはや、生きる屍のような精神であったし、面相もそうであったろう。仕事も放棄し、眠ることや食べることや喋ることはままならぬでも、映画を観にいくという力は残っている。そんな力が残っていたのも不思議だが、こういう作品であったのも不思議だ。死ぬということは?生きるということは?生きていくということは?を教えてくれる作品である。自業自得で、私が蒔いた種で、口のふさがらぬほどの身勝手な男だが、傷が埋まらない。

 2作品続けては体力、思考能力に無理があり、一息ついて、私は同じ映画館に戻ってきた。このままではいけない。早く時間が経たなければ心の解決はしてくれないが、時間が経つうちに歳も食う。十代の頃は、なにをやっても楽しかった。朝、起きて、見えないあらゆる可能性にときめいていた。何でもできると信じていた。いつから、それが消えてしまったのか、思い出そうとしても思い出せない。生きているだけで楽しかった日が、間違いなくあった。

 7つの世界(ひとつだけ、大人が回想する物語がある)。まだ、広い世間を知らぬ子供たちが、大人よりも逞しく行動する。それが間違っているのか、正しいのかは、まだわからない。ありあまるエネルギーをいっぱいに、懸命に生きている。だが、本当の心のよりどころは、愛にある。観ていると心が痛む。子供たちは裕福ではない。貧困のどん底にある物語が多い。だからか、世界の監督を集めた作品なのに、日本の子供は出てこない。貧困の中、迫害を受けながら、宿命を受けながら、子供たちは、それでも愛をつかもうと、懸命に生きようとする。死ぬより生きる方がつらい。それを私たちはさらに知る。大人になってしまった私は、まったく次元の違う世界で生きていることを知る。くよくよ小さなことで悩むな。難しく考えるのではない。苦しくとも、生を受けたからには、その生を全うするまで、極限状態であっても、生きる力だけは残しておくべきだ。私はそれを知らされた。

 子供の生きる実直さが、大人と化したものによって、曲げられてしまう。大人たちは矛盾した世界に生きている。「恵まれないかわいそうな子供たち」という感想で終わってしまってはいけないと思う。彼ら、彼女らの生き様は、大人の学ぶべきことである。たった一人であっても、愛はなくとも、無一文でも、生き甲斐を見出して生きていく力を持っていた。

 「愛」と「お金」と「生き甲斐」と、それがすべて無くなると、人もなくなると聞いたことがある。その時は、なるほどなと思って、人に話したこともあるが、私は少し変わった。ここに描かれた子供たちは、すべて無い。日本人と比較する物語は難しいが、もっともわかりやすいのは、第七話の「桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)」だ。裕福な家庭で育ち、すべてを持っている女の子と、不遇にも捨てられ、老人に拾われて貧困の中で生きていく女の子の様を同時進行させていく物語である。貧困な中で生きてきた女の子は、老人の交通事故によって、天涯孤独になる。誰もその子の存在を知らない。だが、消えてしまった愛、究極の貧困の中、明日の生き甲斐もない中、泥だらけの顔で、汚い服を着て、しかし、彼女は輝くような目をして、街で花を売り歩く。大人に蹴散らされながら、誰も自分を知らない世界で、生を力いっぱい出そうと懸命である。まさに、これが「生きていること」「生きていくこと」だ。生きていることによって、生きていく何かをつかもうとしている。自分は貧乏で親もいなく、同じ年代の女の子は裕福で自家用車に乗っていることも知っている。自分のつらい境遇も承知で、しかし、いつか愛をつかもうとしているのだろう。まだ、目に見えぬ愛である

 子供の物語だが、大人が学ぶべきことが多い。PG-12で、小学生以下は親と同伴でなければ鑑賞できない。でも、子供が観るよりも、子供を見下している大人が観るべき作品である。個々人で、恵まれないと思っている日本人に観てもらいたい。ここまで、究極の世界に生きている子供たちがいるのである。現在、日本で生きる大人の日本人が、どんなに苦しかろうが、悩んでいようが、死と直面していようが、向かい撃つ方法、回避する方法があるのだ。何もないと思っても、どこかに何かがある。すべてから逃げてもいい。それが自分を救うならば、そうしてもいい。絶体絶命だと自分に言う前に、夜はいつかは明けるのだということを知るべきだ。生きているだけで最高の宝と思い、ちょっとだけでも、それ以上の出来事があれば、素晴らしい生き甲斐をつかむことになる。その生き甲斐が消えたとしても、また新しい生き甲斐を掴めばいいのである。平常にもどっただけだ。

 「それでも生きる子供たちへ」は、恵まれた先進国の大人に問いかける映画で、子供へは訴えていない。子供たちに学ぶべきところはいっぱいある。「それでも生きる大人たちへ」という傲慢な映画はできようもない。生きる、生きていくということは、子供に学ぶものである。理屈はいらない。子供たちから、生を知る。

 もっともっと何もない子供たちは、間違いなく、それでも生きていた。見事なタイミングで、素晴らしい映画を観させてもらった。何か見えない力で、私を映画館にひっぱってきてくれたような気がした。いま、どうしても観なさい、観ておきなさいと。私は、生きようとする力をいっぱいもらって、映画館を出た。  <90点>

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ブリッジ

2007年07月03日 23時00分00秒 | は 行 (2006.2007)

Photo_285  

 <梅田ガーデンシネマ>

 (ひどく一方的な文章だった為、本文を書き直しました) 本作の感想は書いていません。いつにも増してプライベートの自己中心的、それも極めの日記、超私的の為、お腹立ちになるかもしれません。聞き流す程度で読んでもらうと有り難いです。また、あまりにも身勝手な文章だった為、書き直しました。これは、私の恥の記録です。

 私は、44年間生きてきて、一人暮らしの独身である。これは、希少ではなく、男も女も、現在では多いだろうと思っている。珍しくはないだろう。大学を卒業した22年前からつい先日まで、私は人生の花火をたくさん上げてきた。そのほとんどが打ち上げ花火で、時には藁棒にさされた線香花火もあったが、たまった火の玉は、小さな撥ねを残すことなく、あっさり落ちた。人生全体を通して言えることだが、それは特に女性との付き合いに関してである。私の場合、仕事よりも、女性に対して重きを置く傾向にある。最後の女性だと確信していたが、今度も、結局は打ち上げ花火だった。大きく見事に上がって広がったが、辺りはすぐに暗闇になった。

 浮かれていたのかもしれない。お調子者になっていたのかもしれない。また、安心もしていたのかもしれない。だが、完全に信じきっていた。信じきってしまうと、信じるという言葉は口から出てこないなと、私は思った。まだまだ若い頃、あやうい時などは「信じているから。」などと言ったし、よく言われた。

 私は、たまに「死にたくなった」などと口走る。以前、ブログにも書いたことがある。そんなことは滅多に言ってはならないが、自殺未遂で助かったにもかかわらず、言う。傲慢にも、一度自分は、死んだとでも思っているのだろうか。ある時、誹謗中傷で、落ち込み、そのことをブログに書いた。死にたいなどとも書いたことがある。リンクさせていただいているブログ仲間や、読んでいただいている方から、励ましのメールやコメントをいただいた。少なくない数であった。わざわざ記事にしていただいた私の尊敬する女性もいる。文章を書くということは、少なくとも魂を削る作業であるから、あの時は本当に申し訳なかったと思っている。とても力になった。誹謗中傷を回避する心を得た。

 26才の時、私には、結婚を約束し、両親にも会って、毎晩のように、家にご飯を食べに行っていた彼女がいた。とっておきの彼女だった。現在でも、友達は「あの女性はよかったなあ。」などと言う。そう言われる度に落ち込む。

 彼女も、彼女の両親も、まわりの友達、知り合いすべてが、この二人は結婚すると信じて疑わない女性を、付き合いはじめてから2年7ヵ月後、私は裏切った。別の女性に心を奪われたのである。確かな目がなかった。器用な奴なら、二股かけるのだろうが、私にはとてもできなかった。嫌いになったわけではなく、同時に好きな女性ができたのである。これは、この体験、一回のみである。オーバーラップさせず、別れを彼女に言った。活発で明るく笑顔をふりまき、いつも前向きだった彼女が、私の思いもよらぬことになった。あまりのショックで、眠れず、食べられず、寝込んでしまったのである。それを共の友人から毎日のように聞かされた。一ヶ月、仕事を休み、自宅にひきこもった。二人で語り合った未来への思いが、一瞬でつぶされたのである。逆に私をひっぱるような、いつも元気付けてくれた彼女が、別人になった。それを私は助けることもしなかった。2年7ヶ月、私ははじめて、彼女の涙を見た。それはもう号泣で、人目も顧みず、道路で倒れた。後に私は、人生の中で、もっとも私を愛してくれたたった一人の女性だと知ることになるが、まだ若かった。相手を裏切る行為は知ったが、裏切られる試練をまだ知らなかった。子供も子供、幼稚な考え、甘えの塊が私だった。ぼろぼろになった彼女から、私は別の女性の部屋にころがりこんだ。今でも私は、甘えん坊の身勝手な男のままであるが・・・。

 この新しく出会った女性から、私はコテンパンに裏切られることになる。その経緯は省くが、私は生まれてはじめて、裏切られるということを知った。27才の春だった。何を考えていたのかはわからない。考え、心、思いなどの理屈はなく、眠っていなかった私は、ふと気づくと、夜のH駅のホームに立っていた。思考回路がどうなっていたのかはよく思い出せない。次の電車が通り過ぎる時、飛び込もうとだけ思っていた。その時は、彼女がどうの、裏切りがどうのなんて考えはなかった。たくさんの人に迷惑をかける、みんなに後悔させることになると思ったのは後々で、ただ、自分の体と心を消すだけが目的になっていた。アナウンスは耳に入らなかったが、電車がホームに入ってきたのに気づいて、腰をあげ、先頭をみつめた。そのまま線路に飛び込むことだけを狙っていた。その時、私は目が悪くなったのかと前かがみの姿勢を正した。ゆっくりと電車が停まったのである。先頭車両の運転席のドアが目の前にある。ホームの端にいた私は、普通電車だったかと、椅子に座りなおした。ここで、運転手が手動でドアをあけ、私に声をかけた。「最終ですよ。」と。私は慌てた。その声で我にかえり、しっかりと意識を取り戻し、なぜか急に恥ずかしくなった。「すみません。やっぱり乗りません。」そのようなことを言ったと思う。私はその電車を見送り、ホームの階段を駆け下り、「入場料です。」と切符を渡し、改札口を出た。

 何日、起きていたのかはわからない。1日だけだったような気もするし、5日くらい起きていたような気もする。一人暮らしのマンションへもどり、そのまま倒れるように寝た。なぜか、ほっとした気持ちもあった。最終電車が出た後だから、午前1時頃に寝たのだろうが、起きたら午後11時だった。22時間の睡眠だった。私の頭は朦朧としていたが、考え、思い、心は取り戻していて、昨夜の自分の行動が自分でも信じられなかった。私は、両親をはじめ、たくさんの友人の顔を思い浮かべた。もう少し早く、ホームに立っていたら、私は死んでいたのだろうが、こうやって生きているということは、なにものかが、まだ生きておけと助けてくれたような気がした。なにかまだ、役目があるに違いない。44年間、唯一の自殺未遂だが、自らを殺すということが、如何に罪の重いものかを思った。裏切られる苦しみを、私ははじめて知った。少々の裏切りならば、約束を破ったで済むが、人生をかけた裏切りは、絶対にいけない。それだけは心得ていて、胸に刻んでいる。

 その後、何人かの女性と付き合ってきたが、私は裏切られても、裏切ることはなかったし、これからもないと誓える。この先、私の人生にパートナーはいないだろうと思うが・・・。あれほどの精神の苦しみを相手に与えるのは、この世の大きな罪である。私は、今でも1年に何度か、夢にうなされる。自殺未遂の夢ではない。私が裏切った女性が、楽しく明るく出てくるのである。寝覚めは悪い。私を裏切った女性は出ない。その夢、長くうなされてきた夢を断ち切ってくれたのが、3月から付き合いはじめた彼女だった。わずか4ヶ月だったが、私にとっては、大きく深いものだった。大きな花火を打ち上げ、あっという間にきれいに消えた。星も見えない夜になった。

 この別れは、私に大きな非があるのは間違いない。何度もつらい思いをして、二十代の頃よりは人に優しくなっただろう。甘えや我が儘も少なくなっていったはずだった。ところが、彼女と心が打ち解けてくると、どんどん私の我が儘な甘えが芽を出しはじめた。4月の終わりに、私は、2日間にわたって、彼女を我が儘で困らせた。それに加えて、彼女の過去の彼氏の嫉妬までした。彼女は私の過去を認めているのに、私は馬鹿の極みだった。それまで、真面目に紳士的に接していたのに、私は駄々子になってしまった。彼女は180度変わった私に困惑した。驚いていた。二重人格もいいところだった。私は、反省に反省を重ね、短い時間だったが、心を入れかえる努力をした。彼女は、その2日間、私の前でも寂しい顔をして、家族の中でも黙りこくって、つらそうだったという。44才のおっさんが、28才の女性に、我が儘で困らせてはならない。まったく私は甘えている。彼女はそれでも、私と一緒になろうと努力し、家族に、やはり彼氏と結婚したいと打ち明けた。

その翌日。彼女のお父さんとはじめて会う約束をしていた。私は、自分の甘えにどきどきして、待ち合わせの料亭へ向かった。彼女のお母さんとお父さんとお祖母さんの3人の待つ個室へ入った。お母さんは、いったい何が起きたのか、私に問うたが、私は緊張もあり、素直に応えることができなかった。ところが、お父さんは、事情を知っていながら、私を一切、責めなかった。もっとお互いに知った方が良い、まだ(結婚は)早すぎるんじゃないかと、とても冷静に私に語った。自分の娘の心を傷つけた相手でありながら、一言も不満を漏らさず、まったく怒らなかった。一人の人間として認めてくれていた。それ以降、私は誠心誠意、彼女と彼女の家族に接すると、あらためて誓った。

だが、私はまだまだの人間である。その後、私は反省しつつ、またもや彼女を困らせることを言ってしまった。誓ったのに、やってしまっては、軽蔑されるだけである。電話で、言葉で彼女を追い詰めた。大きなことではなかったが、明らかに私の甘えと我が儘が、そこにあった。彼女は、じっとそれを考え、悩み続けていた。私の人格、性格で、彼女を苦しめていた。自分より16才も年上の男が、自分より我が儘で甘えがある・・・私と一緒にいたら、とんでもないことになると、彼女は毎日、苦しんでいた。

 命の尊さ、生きているという事、生きていく事をテーマに掲げたドキュメンタリー「ブリッジ」を、私は金曜日の夜に観る予定にしていた。朝一とレイトショーの2回だけの上映になっていた。来週から、朝一の1回のみとなる。ところが、バタバタしているうちに上映時間の21時にはとても間に合わなく、行くことができなくなった。明日からは朝10時10分の一回のみになり、縁がないとあきらめた。その夜、彼女との電話の最中、突然、別れたいと言い出してきた。これを、出来事の前に観るか、後に観るかでは、印象は大きく違うだろう。しかし、朝一の一回のみでは、観ることもないだろうと思った。

 先月、先々月と書いてきた「私の最後の女性」だったが、寝耳に水の如く、「別れたい」と告げてきた。「結婚したら、ずっと一緒にいなきゃならないんだよね。」などと、子供のような陳腐なことを言う。しかし、それは、彼女が悩み続けてきて、私を傷つかせないようにしようとする言葉だった。彼女は、重要なことであっても相談することをせず、一方的に決定して告げる性格で、一旦決めたことは、まず曲げない。良くも悪くもあるが、それは私も認めている。私はピンとこない頭で、何度も理由を聞くと、切羽詰った彼女は、「前に付き合っていた彼氏のことが思い出され、縁りを戻す。」と言った。マジに受けたが、それは私のしつこい問いに、追い詰められて答えたのだと、後で知ることになる。昨日まで、いや、電話をはじめた30分間、そんな素振りはなかったから、私は突如、アタマをガツンとやられた気がした。要するに、私は、その寂しさを紛らわせるための、つなぎであったのだったと、これまた、自分勝手な解釈をした。あり得ない44才のおっさんである。年令だけ重ねた子供だと自分で自分がいやになる。

 焦った私は、付き合いが終わるにしても、電話やメールで済ませるのは、人としてどうかと思い、会いに千葉まで行くとメールをした。電話は誤解や勘違いを招く。あきらかに誤解や勘違いが重なって起きたことだから、会った方がいいと思ったのだった。3時間、電話で話すより、5分、向かい合って話す方がわかりやすい。誤解も解けるだろう。大阪と千葉の遠距離では、心が通じにくい。せめて、それだけでもと考えていたら、翌朝、彼女の母親から電話があり「来るんですか?無駄ですよ。お金ももったいないし。」と言われ、俺も過保護で甘えん坊で我が儘だが、自分のことは棚に置いて、彼女も過保護だなぁと、馬鹿馬鹿しくなり、挫折した。お金の問題はどうでもいいことだろうと思うが、私の蒔いた種が元凶なのだから仕方がない。

私は同じ年代の者、仲間の中で比較すると、精神的な面が弱い人間で、悪いことがあると、深く心に根をはる。そして、それを抑え込む作業が他の人よりも大変なようである。豚なので、おだてられたら木に上るが、叱られるとマイナス思考からなかなか這い上がれない。不器用でもあるのだろう。しかし、振られたり、裏切られる度に、私は少しは成長していると思う。自分で言うのもおかしいが、神経が図太くなるのではなく、どういうわけか、人に優しく、無理なく気をつかうことができるようになるからである。以前は、こんなところまで気づかなかったところに気づく

 私は、若い頃、一度、自殺未遂をしていて、絶対にあってはならないと思いつづけてきたが、今回の出来事で、私は愚かにも本気で自殺を考えた。自分自身の責任であるのに、である。まだまだ私は子供なのだ。ブログを生き甲斐とし、ブログの仲間と交流してきたが、彼女の登場で、生き甲斐がそちらに傾いてしまっていた。ブログの仲間には申し訳なかったが、疎かにして、薄っぺらな文章が目立つようになった。95%、頭や心を占めていたといってもよい。それが、簡単な言葉で、別れを宣告された。生き甲斐を捨てよと宣告されたと同じで、私は、あってはならない死を思ったのだった。自らを殺すというのは、理屈では、絶対にやってはならないのだが、「考え」や「思い」や「心」や「自分」というものさえ忘れてしまうもので、いかんいかんと口の中で反復しながら、一方ではそれを思っていた。私の頭はパニックになったが、自らを殺した後の彼女、私の両親、彼女の両親、親友たちの後悔が常に頭にあった。彼女に非はなく、私に非があるのだから、尚更、迷惑で後悔させるだろう。

 本作「ブリッジ」は、飛び込む自殺の瞬間も捉えているが、映画の内容は、ほぼ、親や親友や仕事仲間のインタビューで構成されている。そして、その誰もが、後悔している。彼ら、彼女らの自殺を引きずって生きている。苦悩の表情と無念の思い。本人は勝手に死んで消えたとしても、まわりの人の人生をまるごと悪く変えてしまった。病や事故ではない。自殺とは、特別であり、絶対に選ぶべきものではない。人に迷惑をかけられなくて死んでいく者もいるが、どんな迷惑だろうが、自殺されることほど迷惑なことはない。他の人生を死ぬまで後悔させてはならないと思っている。

 だが、自宅に戻っても死の願望が消えず、私は地下鉄で梅田の街に出た。誠に、私は甘えん坊で、自意識過剰で、自己中心的である。街にはでてみたものの、どういうわけか、より、腐ってくる。一人っきりでいるよりも、孤独なのである。私は実家に電話し、これから新幹線で帰ると告げた。どうしていいかわからなかった。新幹線を待つ間、新幹線に乗ってから、私は破談になったことを、友達を中心に、メールを送った。携帯のメールがわかっているブログ仲間にも送った。後で数えてみると、30人以上だった。この行為は、後でとんでもない後悔となるが、その時は無我夢中だった。ここでも、つまらない自分の性格が出ている。それは、随分経って気づいた。

ブログで何度も書いてきたし、メールも送っていたから、卑怯だが、死をにおわせる私のメールに、次々と返信がきた。それらは、私を懸命に励ますもので、頑張れとは誰も言わなかった。とても有り難く、2時間20分後の小倉駅では、私は少しずつ自分を取り戻していた。窓際に座っていたが、窓の外は一度も見なかったと思う。しかし、本当ならば、そういうことはすべきではない。自分で、一人で精神を抑えつけてしまうのが、大人のやりかたである。

 実家に帰り、両親にそのことを話した。年老いた両親に鞭打つようで、とても申し訳なかった。親同士が知り合いなので、まず、親に言うのが筋だと思った。私の親は、寂しい顔をしていたが、私を責めることなく、「また、人生の修行をしたね。」と言った。遠距離なので、交通費や宿泊代やプレゼントなどを含めて、この間、100万円以上使ったが、それも「高い授業料だったけど、しっかり勉強させてもらったね。」と言った。だが、これは精神の修行から逃亡したのであって、すべきではない。今はそう思う。一人で耐える日々が必要だった。彼女が悪いのではなく、元凶は私にあり、それを苦に思い、彼女は苦悩の末、私に別れを告げたのだ。彼女は毅然としていて、私はぼろぼろになっている。悪い方が、ひりっぱなしで、逃げた。

 彼女の最後の電話は、悩むでもなく、苦しむでもなく、あっさり、ケロッとしていた。言っていることとやっていることが違うと、私を責めていた彼女が「あの時は、あの時。今は、今。」と、きっぱりつっぱねた。そうとしか言えなかったのだろう。軽蔑というより、私に幻滅してしまったのだろうと思う

 そういうわけで、私はまた一人になった。これを機に、私は故郷の下関に帰ることをはやめた。下関には映画館がなく、ブログの更新も少なくなるかもしれないが、大阪にいる間に、たくさんの映画を観続けたいと思っている。愚の骨頂、自殺願望が消えてくれてよかった。私は弱い。死んだとしたら、たくさんの人に迷惑をかけ、後悔させ、苦しめただろう。27才のあの時の気の狂ったような体験があってよかったと思う。

 土曜、日曜、月曜と下関で過ごした。月曜日の夜の新幹線で大阪へもどった。「ブリッジ」のことはすっかり忘れていたが、珍しく、目覚まし時計が鳴る、ずっと前の朝5時に目が覚めた。今日は、まだまともではなく、仕事はしない。何か縁があるのか、私は「ブリッジ」と「それでも生きる子供たちへ」の2作品を観ようと、朝風呂に入り、身支度を整えた。映画館には申し訳ないが、私は梅田ガーデンシネマの招待券を2枚持っていて、その期限が切れそうだと気にしていたのでちょうどいい。2作品とも、「人が生きていること、生きていくこと」が重要な鍵になっている。朝の5時に目が覚め、3時間の睡眠だが、体は元気である。『そんなことがあったのなら、観ておきなさい。』という、なにものかの力が働いたのかもしれない。

 はじめはよかったが、途中から、呼吸が苦しくなってきた。画も音もはっきりしているが、もうひとつの頭が、この3日間の出来事、精神的な苦しみ、死への願望、絶望感がぐるぐると回った。己の悪行が跳ね返ったのに、それに傷ついている。救いようのない私だが、精神は尋常ではなく、本作に点数を付けることはできなく、生き甲斐を失って自分の身の置きどころのない人、絶望の中で佇んでいる人が観る映画ではない。敢えて、そういう人に観てもらいたいと考える方もいるだろうが、私の場合は逆効果で、電話で彼女に別れを告げられたあの瞬間に戻った。息苦しさから早く解放されたかった。途中で出ることを由としないので、90分の映画で助かった。ラストの30分は、息苦しさが絶えなかった。

 20分おいて、同じ劇場で「それでも生きる子供たちへ」を観る予定だが、時間を置きたい。まだ12時前で、雨の予報が晴れとなり、食事にでかけるサラリーマンやOLで、新梅田シティはごったがえしている。私は、梅田へもどり、喫茶店を探し、一息ついた。朝から何も食べていないが食欲はなく、「あの時の自分の死への願望」と「ブリッジ」を反芻していた。何度、飲み込んでも出てくる場面があった。それとダブらせていた。地と地を結ぶブリッジの真ん中に飛び出た人々。右を向いても左を向いても、自分を受け入れる地はどこにもなかったのかもしれない。しかし、どんな責め苦が自分を襲おうとも、自らを殺す手段は、この世にあってはならないと、私は思うのである。

 自殺をしなけばならないほどの試練は、神は与えないともいう。ホームレスのダンボール箱を見ていて思うが、彼らは、間違いなく生きている。どんなにどん底になっても、それでも生きている。破産して、多くの者に迷惑をかけたのかもしれないが、あそこまでいけば、もういいのだと思う。あの中には、すでに許される人もいる。私であれば、絶望のまま、すぐに首をくくるだろう。そう考えると、彼らの精神力は強い。もっともらしい服を着て、もっともらしい顔をして歩いているが、ダンボールやブルーシートで家を作り、明日を待つホームレスの方が、考え方によっては、私よりずっと強く、逞しいのかもしれない。

 私は44才だが、まだまだ人生の修行の最中である。人に、本当に、心から優しく接していく為には、今の私の力量では足りない。苦しみがあり、それを乗り越えて、また一歩、心のある人間になれるのだろう。誰かの為に生きようという傲慢な考えはない。自分の為に生きるしかない。しかし、何かがあった時、心の温かい人である為に、傷ついた友を心から助ける為、心を言葉にして口から出す為、私はまた修行をさせてもらっている。考え方を変えれば、ありがたい体験なのだろう。

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