活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

バーン・アフター・リーディング

2009年05月17日 23時00分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <シネプレックス小倉>

 学生時代のS曰く「前のブログは、書いている内容と一定の距離のあるスタンスだった。今は照れのない地方発信の映画評ブログになっていると思う。」・・・。2年くらい前、私ごときのブログが、結構、人気(ひとけ)あるところだった、これでも。プライベートを頭に書くうちに、トラックバックしていたただく数も、コメントをいただく数もガクガクと減少し、閑散としたブログに生まれ変わったのだ。ぬははっ!3年前、2年前、自分の書いたブログを読んでいると、今では到底書けない記事を書き殴っている。恐れを知らぬ書き方・・・あの頃の方が、実は楽しく書いていたのかもしれない。なんだか、情の熱がある。しこたま観ていたから、しこたま書かなければならないという焦りが毎日あって、どんなに朝が早くても書かなきゃ寝ない!なんて、自分を縛ったりしたものだから、窮鼠なにをや生む・・・だった。

 大阪も地方だが、もっと地方発信である。ここは首都、東京から1000キロ遠く離れた山口県下関市。ところは本州でも、本州の最先端、電車に乗ると5分で九州、映画の配給は九州扱いである。ジタバタしても仕方ないので、徹底的に本州の端っこを意識してブログを書く事にしよう。にしても、下関発のコンスタントに更新している映画専門ブログは、検索しても他に見かけない。あるのだろうか。下関の映画ファンが、下関の映画の状況をどのように見ているのか、無性に知りたい。私だけが吼えても、犬の遠吠え、吼える犬は噛めない。

 わけわかんない、アホなことをズラズラと書いたが、この映画、実にアホな映画である。褒め言葉である。超有名な俳優を配し、その超有名な俳優たちが、すべてアホ。やることなすこと、すべてアホ(素晴らしい)。極秘のCDって・・・んな、アホな。そのアホたちを操るのが、とてもアホ(めっちゃ、褒め言葉である)な思わせぶりをいっぱい仕掛けた脚本、それに、丁寧な演出とカメラワークと編集だ。アホを真面目に撮っているのが、アホらしい。

 特に、ブラッド・ピットのアホさはぴか一で、特に何もしていないフィクスカットまでもアホ面で、この俳優、うまくなったなあと感心する。そして、アホな行動に、とても丁寧なハラハラドキドキの後、アホ面満開で、あっけなくズドン・・・アホくさい。ジョン・マルコビッチの勘違い丸出しのアルコール中毒のアホさ加減も、アホらしくていい。マルコビッチ、まさに穴が開いている。銃を撃たないジョージ・クルーニーは、アホな撃ち方で、アホを殺す。で、そこにいたってしまうまで、もう狭い世界で、くんずほぐれつの、元通りにできないアヤ取りみたいなややこしい話。収拾がつかなくなる。この収拾がつかない筋に、クソ真面目に考えるCIA幹部たちのシーンが時々、出てきて、どーしたものかクソ真面目に考える。これを思うと、CIAは、脚本家なのではないだろうか。さて、ここまで書いたものの、どう収拾していいものやら、ちょっと落ち着いて考えましょうや・・・いや面倒だ、とりあえず話を進めましょう(これも計算なのだけれど)。

 世界を舞台にしているわけではない、地球からどんどん絞り込んで、ある一点の、一箇所の物語なのにネ。進むこどに、どんどんややこしくさせる。もう、厄介だ。そろそろ上映は2時間、ここらで、CIAにまとめてもらいましょう・・・彼らなら、全体を把握できるはず。そして、このラストシーンのCIAの会話は、素晴らしすぎる。天才じゃないかと思うような台詞。

 つまらないと思う観客もいるはず、あまりのことに唖然とする観客もいるはず、クスクス笑いっぱなしの観客もいるはず・・・たっくさんの感想がありそうだ。私としては、流石はコーエン兄弟だと感心した。前年、アカデミー賞を獲得した「ノーカントリー」のコーエン兄弟。受賞した「ノーカントリー」の次だから、これはもう、私のようなバカ映画ファンには、とてもたまらない逸品であった。この映画の語りたいことは!?・・・考えればいろいろあるのだろうけど、私は考えないし、そんな頭も持っていない。私には、「仕掛けて殺して日が暮れて・・・バカバカしくって、おてんと様も笑ってらぁ。」で、いいのだった。

 そして・・・まったく違うといわれそうだが、私としては、観終えた後の自分の体が何ものかに包まれたこの感じ、実に「ノーカントリー」の後味と似ているのだった。  <85点>

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天使と悪魔

2009年05月16日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2  <シネプレックス小倉>

 原作は「天使と悪魔」が先である。3年前は、原作の面白さ、それに追随する謎解き本の売れ行きで動員数をのばしたけれど、期待はずれだったとか、原作を読まなきゃなんのこっちゃわからんなどと辛辣な評論をたくさん読ませていただいた。ほめている評を探す方が大変だった。私も待った割には期待はずれで、どういう記事を書いていいか困ってしまって、わけのわからない日常生活のことをダラダラと書いている。観てから読むか、読んでから観るか・・・観てから読むに決まっているけど、私は原作を読んでから観た。あんなに面白かったサスペンスが、観た後、映画によってハチャメチャにされてしまった気がした。だから今回は読まない。観て、読みたくなったら読もうと思った。

 「ダ・ヴィンチコードシリーズ第二弾」なんて余計なコピーを配したら、逆に人入りが悪いんじゃないの?と、ポスターを睨みつける。一日早い金曜日公開の初日にやってきた。どーでもいいとは思いつつ気にはなる。もし面白くって、原作を読みたくなって、読んでもう一度観る機会があるならば、早めに見ておいたほうがいい。というのも、私はめったにやらないけど、人気のあるいくつかのブログを読んで、劇場の前に、私は今、立っているのだ。そのブログ記事では、みんな褒めている。スリリングで手に汗握る展開らしい・・・あと数回は観たい・・・心機一転、ロン・ハワードは、もしかしたらやってくれたのかもしれぬ!と、鼻はヨソを向いているが、ちょい、ワクワクする。

 原作は「天使と悪魔」が先だけれど、あの事件の後の物語にしてある。第二弾は変だが、3年後として、だからこそ、お前を連れて行くのだのようなやりとりがある。原作は覚えていても、映画は薄い記憶しかない。

 筋だけを追っていくと、物語は単純なはずだけど、教会の名前やら、その方角やら、そこにまつわる伝説なんて言われてもさっぱりわからない。わからなくてもいいけど、その数が多すぎる。この謎を1時間以内に、そしてまた1時間以内に、アンタ何者やねんという勢いで推理し、解いていくから、観ている私はついていくのに大変だ。4時間後にはこの場所は木っ端微塵なのに、急いでいる割には結構、余裕があって、順番に説いていく・・・順番じゃなきゃいけないの?ゴールをいきなり目指す方法はないの?と、筋に追いついていくのに大変な割には、サスペンスそのものに突っ込もうとする面倒な観客の一人になってしまっていた。

 「ダ・ヴィンチ・コード」を楽しめたのだから、「天使と悪魔」の原作も面白いに違いない・・・しかし、この映画を観終えて、別に読みたいとは思わなかった。読んでから観るか、観てから読むか・・・観てから読むに決まっているけど、読んでから観ても、比較するという書き方はしたかもしれないが、それほど、評価は変わらなかっただろう。

 「ダ・ヴィンチ・コード」を観終えた後、この映画は前篇、後篇で5時間の長尺にすれば急ぎ足ではなく楽しめたろうにと残念だったが、本作もそうなのだろうか、とにかく「忙しくて、閃きは鋭く、行動が早い」。コーナー一周の障害物競走を見るより、目がチカチカして、あっという間に終わる。あれ?あっという間に終わるということは、面白かったということか?・・・昨日、学生時代の友達Sから「ダ・ヴィンチ・コード」を観たというメールが入った。一言でいえば、『CGで、どんなアングルでもOKだよ作品』・・・なるほど、2時間ちょっとを、それなりに楽しめた理由がなんとなくわかった。     <50点>

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 ユアン・マクレガーの扱いが鈍いから、「銃をもってる!」なんてシーン以前に、疑いの目を持ってしまう。だって、ユアン・マクレガーが出ているのだもの。名のない俳優にしなさい・・・私がキャスティングディレクターなら、必ずそうする。


スラムドッグ$ミリオネア

2009年05月15日 23時00分00秒 | 90点以上(2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 2月に東京へ行った際、アカデミー賞発表の前日、丸の内ピカデリーで「ベンジャミン・バトン」を鑑賞した。大劇場、満員御礼だった。もはや獲るだろうと確信していた。が、一夜明けると、最多ノミネートだったのが、ケンモホロロで、まだ日本では公開されていない映画の名前がそこに並んでいた。外国語映画賞を獲った「おくりびと」も私はまだ観ていなかった。「スラムドック$ミリオネア」とは何ぞや?早速、解説と物語を読んでみたが、文章だけでは観たいという気は起きなかった。クイズ番組なんて、映画館で観たくないや!・・・そのうち、忘れてしまった。

 日本では「クイズ$ミリオネア」として知られるが、このクイズ番組のはじまりはイギリスで、その画期的な手法と面白さから、世界中に広まった。現在、100ヶ国以上が、その国にあわせたやり方で放送している。日本では、みのもんた司会で、演出も音楽も同じ(基本的にオリジナルを変えてはならないことになっている)だが、どの国にもない「正解かどうか回答者の目を見つめて<ためる>」という特別の司会ぶりで好評を博した。このオリジナルは、イギリスのプロデューサーも大喜びで、<ためる>を認めたらしい。

 日本の規定では、1人に対し、クイズ賞金200万円が最高となっている。そこで、応援する人、テレフォンに4人以上を配することなどで、最高賞金1,000万円を現実とした。2,000万円となると、応援も増え、テレフォンにもそれに見合った人数を配する。アメリカでは最高が、日本円で10億以上にもなるとかで、まさにミリオネアの番組だ。テレフォンの相手も1人である。世界100ヶ国以上で放映し、視聴率も良い番組だけれど、映画にしちゃっても・・・そんなモノがアカデミーかぃ?と、解説だけでは、私はふっと鼻を鳴らしただけで読み飛ばした。

 観ようか観まいか・・・今日はハシゴをしようと、しばし、上映スケジュールとにらめっこしていたら、ハシゴの頭に持ってくると、かなりいい自分のスケジュールができあがった。「スラムドック$ミリオネア」「天使と悪魔」「バーン・アフター・リーディング」の3本である。真ん中の「天使と悪魔」は休憩のような形にして、アタマとケツを決める。できれば、「天使と悪魔」はまた今度にし、ラストを邦画・・・たとえば「おっぱいバレー」のような寝たいような寝たくないような、口をボケッとあけて観てもよろしい!ような作品にしたいのだが、それを考えると2本だけのハシゴとなり、また、真ん中が2時間以上あいてしまう。久しぶりに3本と決めているし、頼りなくも信念はここ(3本)にあるから、崩したくない。普通は無茶な観方だけど、無茶な映画ファンであるから、これは私にとって普通である。

 観たいような観たくないようなアカデミー賞であるから、1本目とはなかなかいい。3本目を観ている頃は、本作は物語もすべて忘れてしまっているかもしれない。と、劇場へ入って、観客は私を含めて5人・・・「おくりびと現象」はあんまりだと、腹立たしくもなるが、「スラムドック$ミリオネア」は、それほどの秀作ではないから、話題が話題を呼ばないのだろうとはじまりを待つ。ところが私は、はじまって5分、すでにスクリーンに心をもっていかれていた。はじまって5分でこれほど惹きつけるのなら、これはもう逸品である。それから2時間以上、大げさではなく、我を忘れている自分がいた。

 宿命、生きる、死、愛、勇気、挫折、差別、涙、友情、栄光、なせば成る!・・・もう、これまでのたくさんの映画が語ってきたモノをこれでもかこれでもかと詰め込んであるが、それでもまったく無理がない。すべての素材を詰め込まれた優れたエンターテイメント人間ドラマになっている。これだけ詰め込んでも尚、少年の人生をも厚く語ることができている。散りばめられた小さなエピソードも、端的であるのに深い。

 全体構成は超プロの仕事で、クイズ番組から回想シーンへ、そしてクイズ番組へもどる手法が上手い具合にかみ合わされる。行ったり戻ったりするけれど、クイズは未来へ、回想は現在(いま)へ向かっているだけなので、観ていて迷うことは無い。上手いというより、とても親切な構成であるとも言える。私のような頭の持ち主でも、すんなり筋を追って観ることができた。回想を語るのは、刑事の取調べだが、これによって、物語に更なる立体感をもたせた。荒々しい刑事の表情が、回想を語る度に、苦渋、安堵と様々な表情に変化していくのが、なんとも気持ちいい。演出も役者も上手いなぁと思う。

 同じ都会でありながら、風土があまりにも違うということでも新鮮だ。みのもんたは、こんなことは言わないだろう、言ってしまってはその日に芸能界追放だろうと思われる差別的言葉、態度をおもいっきり表に出す司会者の存在は強烈だ。だからこそ、観客は、主人公の少年にいけっ!いけっ!と格闘技で負けかけている側を応援する気持ちになってしまう。全世界が知っているクイズ番組で、映画なのに、これほどハラハラドキドキ、そしてハッピーな気分にさせてくれる演出ができるとは・・・。あの「ロッキー」の試合シーンを観ているような気分と似ている。

 撮り方も凝りに凝ってある。落ち着いたフィックスも多いが、戦場ドキュメンタリーを思わせるハンディの乱暴なカメラワークもあちこちに散らばっていて、それらのカットが、編集技術によって、時には静寂に、時には躍動感たっぷりに、時にはスピード感とハラハラドキドキにと、更に盛り上げてくれている。そして、クイズ番組のスタジオと回想がリンクし、いま正にその時になる「テレフォン」の演出には、息を呑んだ。あー、何もかもうまい。そんなうまい事いくかい!出来過ぎ!なーんて現実の目の前ばかり見ている人には受け付けないかもしれないのだが・・・。

 「スラムドック$ミリオネア」・・・これは夢なのである。だが・・・邪魔者が入って、閉じ込められて、頑張ってクソつぼにハマって、全身クソまみれになってぶつかっていっても、熱い思いがあれば、魂の叫びが相手に伝われば、その願いは間違いなく叶うのである。たくましい勇気、叶わぬことはない夢をわけてもらえるアカデミー賞だった。

 ミリオネアなので、映画の最初に、私たち観客に4択問題が出される。観ている間、そんな問題は忘れているが、最後に大きくスーパーで答えが表示される。ニヤリとする。うまいオープニング、粋なエンディングである。粋なエンディングと言えば・・・そうか、これはアメリカ映画でありながら(英語で喋るだけだけど)、同時にインド映画でもあったのか・・・。もう一度、ニヤリとする。まあ、ご覧下さい。私としてはどうしても、映画館での鑑賞をお願いしたい。

 もう一度続けて観たいが、本日の3本のハシゴのチケットをすでに買っている。ムダにしていた頃もあったけど、最近はなぜかもったいない気がするので、スケジュール通り、「天使と悪魔」の上映を待つ。これから2本観ると、本作は帰る頃に印象が薄れているのではないかと危惧したけれど、まったくそんな心配はなかった。帰りの電車内でも、最初の1本だけを頭に思い浮かべていた。     <95点>

 帰宅すると、ロケで使われたスラムが取り壊されるニュースがテレビで流されていた。この映画でエキストラだった少年少女たちも立退きを余儀なくされたらしい。日本では、日本国籍をもっていれば、小学校にも中学校にも行くことができる。その保障はされている。日本には、スラムという場所はない。エンターテイメント映画ではあるが、先進国を名乗る国々に、大きな課題を投げかけているのを忘れてはならない。

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 追記:本作はアメリカ映画ではなく純イギリス映画だそうです。チラシでしっかり読んで、なるほどと思いながら、書くときはしっかりアメリカなんて書いてしまって・・・ここんところ、こういうミスばかりしております。本文は直さず、追記とします。ごめんなさい!


おくりびと

2009年05月13日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

001  <下関スカラ座シアター・ゼロ>

 『おくりびと』は、「下関スカラ座シアター・ゼロ」で、5月1日~6月12日(予定)まで上映しています。ここをクリック→下関スカラ座シアター・ゼロ-タイムテーブル ←クリックすると、シアター・ゼロのタイムスケジュールへ飛びます。みんな、急いで観にいきましょう!映画館で観ることができる最後のチャンスです!

 つい先日、5回も観る機会をのがしてしまったことを書いた。私に縁のないアカデミー外国語映画賞である。もうDVDになってレンタルビデオ店にズラズラと並んでいるが、まだまだたくさんの映画館で上映中である。まさか、ここまでのロングランとは思ってなかったのだろう、DVDの発売時期をもっと遅らせれば!と悔しがっている関係者も多いに違いない。「崖の上のポニョ」なんて、その点、計算づくである。公開から1年以上先という、最近の映画では珍しいほどDVDになるのが遅い。私などはそれでも早いと思うけれど、やっぱり・・・公開から1年くらい待ってほしい。映画館とDVDの儲けの計算を先にやってしまう今の映画界は、自ら「映画館で映画を観よう」という行為を邪魔している。

 大都市圏の映画人口は横ばいでも、地方都市では着実に人入りは下がっている。どんどん1000円の日を乱発するもので、普通の日の劇場内はその街の人口密度より低いのではないかと思わせる。シネコンの乱立は今、次々にシネコンを閉めるという事態になってきた。それでもシネコン建設計画は全国にあり、今年、来年とオープン間近の施設も少なくない。とうとう、潰し合いの様子を呈してきた。劇場を見ても、ネットで知る情報を読んでも、この先、映画のアンカーの前途は決して明るくないことは私にもわかる。

2  滝田洋二郎監督モノは基本的に娯楽作品である。ない頭で考えたり、眉間にしわを寄せてスクリーンをみつめることがないので、娯楽作品が私は一番好きだ。映画を観るという自分だけの、一人の時間の楽しみを倍増してくれる。だから、滝田洋二郎監督というと、観るようにしている。ちょっとイヤな言い方をすれば、観る前から「安全」という作品を作り続けている観のある監督だ。それでも何本かは、私にお気に召さない作品もあり、その度に、滝田監督は終わったかと思わせたが、また楽しさが戻ってくる。「陰陽師2」みたいなものも調子に乗って作ってしまうけれど、この監督は、観客を存分に楽しませようとする観客側からの視点を大きくもった人だと思っている。映画は楽しくなきゃいけない・・・そんな気持ちが伝わってくるという監督は、日本ではもう数少ない。

 ポルノ映画出身で、若い頃はどんどん安物の新作を撮ってる。制作費200万円程度の1時間ものである。私が二十歳前後、ポルノ映画三本立てを観にいっていた頃だ。AVもこの世にはなかった。今のAVとは比べ物にならないほどの穏やかなソフトな内容で、今だとR-15指定あたりで公開できるかもしれない。あの頃のポルノ監督が、今、たくさん第一線で活躍しているが、しかしまさか、娯楽色の強い滝田洋二郎が、アカデミー外国語映画賞を獲得するなんて、微塵も思わなかった。日本的なテーマ、脚本に恵まれたのかもしれない。

 アカデミー賞を獲ったがアカデミー賞を獲ったのではない、外国語映画賞を獲ったのだ・・・これを私は何人もの人に説明してきたが、まわりはあまり映画を観る人がいないので、誰もピンとはこない。「スラムドック$ミリオネア」というタイトルを出しても、そのタイトルすら知らない人たちに囲まれている。そして、この世では「おくりびと」しか上映してないのではないかと思われるほど、みんな、この映画に関心を寄せている。地方都市の人々の反応の仕方に私の方がびっくりする。賞って、獲るものだなと思う。特に、アカデミーという賞には敏感のようだ。カンヌとかヴェネチアなんて言ってもピンとはきてくれない。とりあえず、あきらめないで話すが、あまり喋ると、オタクを見るような興味のない目をくれるので、たいていは、途中で喋るのをやめたりする。あーだこーだと久しぶりに文句を言っているが、しかし、本作は、滝田洋二郎監督の中では、ベストに入る秀作である。ぜひ、映画館に行って、映画館で観てほしい。歴史に残るかもしれない。

 笑わせて、ほっとさせて、ドキドキさせて、そしてグッとくるという懐かしい日本映画の基本ともいえる形であろう。懐かしくもある。そして、構成、脚本が、これまでの滝田監督とは思えないほどうまい。うまいので、カメラは凝らない。特別にほぉ!とうなってしまうアングルはみあたらない。脚本に恵まれたら、これでいいのだと私は思っているけれど・・・。

 俳優陣も選び方もうまい。居るべきところに居る俳優がいる。シコミは大変だったろうが、俳優陣への演出は楽だったのではないかと察する。カッコイイ俳優ばかりが席巻して、演技力は二の次になってしまったが、まだ、少しは、こういうテーマで、配する俳優が残っているのだと思う。2時間11分の尺が長すぎず短すぎずで、居心地がいい。とても日本的で、それもあり、アカデミー外国語映画賞を獲ったのだろうが、この頃の全国公開系娯楽作品の中でも、レベルは高い方だ。

 最後の部屋のシーンは、よくできている。日本人好みの流れで、涙もろいオッサンになってしまったのだろう、ここからは涙腺の緩みをこらえるのに苦労する。「私の夫は納棺師です」という広末涼子の台詞から、ラストカットまでの流れは抜群の出来栄えである。何度も書くが、まだ観ていない方は、是非、映画館での鑑賞をお勧めする。騙されたと思っていいから観にいってほしい。私は騙しはしないから。

 本作は、峰岸徹の遺作となった。ラストシーン、笹野高史の台詞が蘇る。「なにか、予感がするんでしょうのぅ。つまりは、こういうことやったんでしょうのぅ。」・・・台詞もない静かな遺作であったが、チョイ役であるのに、私としては、大きく印象の残る出演作であった。  <85点>

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