活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

走り回る宮川キャメラマン

2008年03月30日 23時30分00秒 | 映画に関する話

 私がはじめて講義を受けたのは今から24年前だったから、宮川一夫は76か77歳だったのだろう。まだまだまだまだ働き盛りの現役で、篠田正浩監督についていた。あの勝新太郎が、「大映撮影所で挨拶に行かなければならない偉い人は、溝口健二先生、長谷川一夫先生、宮川一夫先生、大河内傳次郎先生だった」と言うほどの人が、実は私の大学時代の先生であった(先生だったので、宮川先生と書く)。

 フィルムの現像からスタートし、無声映画のキャメラマンとなり、「無法松の一生」(稲垣浩監督)で高い評価を受けた宮川先生は、その後、溝口健二、黒沢明、小津安二郎、市川崑という大監督の映画にキャメラマンとしてついている(宮川先生は、自分のことをキャメラマンと呼んだ。カメラマンとはけっして言わなかった)。黒澤明の「羅生門」が海外のカメラマンに影響を与えたことは有名だ。白と黒と鼠色で、見事に太陽をフィルムに焼き付けた。同監督の「用心棒」の対決する両者をシネマスコープの広い画で、真横からとらえたカットは、世界から宮川カットと呼ばれ、後の西部劇がこぞってマネをしている。俯瞰の宮川としても知られ、宮川キャメラマンであれば、どんな巨匠についても、俯瞰カットが出てくる。はじめてのテレビCM「サントリーのトリス、雨と子犬」は今も新鮮だが、短いタイムであるにもかかわらず、やっぱり俯瞰が出てくる。宮川キャメラマンにはエピソードが山のようにあるけれど、私の知る宮川先生は、20歳そこそこの学生達と子供のように、同期のように、楽しくはしゃいで講義している姿だ。

 映像の講義というより、「現像ばかりしていた新入りの頃」「手回しの撮影の頃」「黄金時代の映画の話」「いま携わっている映画の話」ばかりしていた。そこには、教えてもらっているというより、楽しい映画の話を聞かせてもらっている私たちがいた。勉強だったのだろうが、勉強しているという気はしなかった。楽しいお喋りを聞く時間だった。

 宮川先生は黒澤明監督の「影武者」を撮ることになっていたが、目が悪くなって降板する。白内障だった。普通は徐々に見えなくなるのに、宮川先生の場合、急にソレが襲ってきたのだという。カメラをのぞく人、顕微鏡をのぞく人に多いらしく、急激に悪くなる原因はわかっていない。すぐに治ったのだが、撮影は別のカメラマンに渡された。これをとても悔しがって、私たちにフィルムを見せてくれた。たくさんの影武者のフィルムを持ってきていた。というのも、テストフィルムを撮ったのは宮川先生だったからだ。芸術性を求められたワンカットワンカットは、フィルムだけではなく、現像にもこだわりがあった。本番より、テストの方がとても大変らしい。膨大なテストフィルムがまわり、後は、役者とからませて本番!という際に、突然の白内障。「あれだけテストがあったから、カメラマンは楽だったやろうなあ。」と宮川先生は笑った。その様子を、教壇を所狭しと右へ左へ歩きながら語る。歩くというより、走ると言った方が正しいかもしれない。

 「木枯らし紋次郎のオープニングタイトルのときね。」「まさか私がテレビコマーシャルを撮るとは思ってもなかったけれど。」「今は篠田くんに恋をしているんだ。」「篠田くんがこう撮ろうと言ったんだ。だけど私はこう撮ろうと提案してね。」・・・・・まったく座ることなく、それどころか走るように前をちょろちょろとして、両手を広げ、体でいろんなものを表現しながら私たちに説明した。80歳近い人にはとても見えなかった。宮川先生自身、そんな歳だとは思ってなかったのじゃないかしらん?と思う。「まず私が恋をした監督はね・・・」「市川監督に恋をしていた頃は・・・」と、目を輝かせながら喋った。話しは多岐にわたったけれど、講義の半分は、今週に起きた出来事だった。たった一週間で、この人はどれほどの出来事と遭遇しているのか?それを聞いているだけで、映画の世界は憧れていて正解のような気がした。

 大学3年生からの講義で、その頃まで残った映像学科の学生は200人あたりだけれど、すり鉢状の教室には300人以上の学生がいると思われた。別の学科の生徒が聞きにきているのである。講義というより、もうこれは講演会だった。宮川先生の講演会は、篠田正浩監督の「悪霊島」の撮影時期をのぞいて、毎週2時間開催された。入場料は、学費に含まれている。私たちが大学を卒業する頃、友人のSが、色紙を持って私たちの前に現れた。手には宮川一夫と書かれた色紙があった。サインをもらったのは、このSだけで、私を含め、他の学生はそんなことに気づかなかった。映画の世界では巨匠中の巨匠で、世界的有名人だが、先生という意識が先にいっていたのかもしれない。Sは、そのサインをまだ大事にしている。ちょっと羨ましい。

 その後、宮川先生は名誉教授となり、80を過ぎてもまだまだ元気で、教壇に立ちながら、篠田正浩作品のキャメラマンを続けた。デビューは1935年の「お千代傘」、遺作は1989年の「舞姫」だった。64年間、第一線でキャメラマンの仕事をした人である。私が卒業してから14年後、1999年、宮川先生は、91歳で亡くなった。最後に恋をしたのは、篠田正浩監督であった。亡くなった今でも、宮川キャメラマンは「世界一のカメラマン」として、世界映画史に燦然と輝いている。この名を抜く者は現れるだろうか?・・・・・あ、カメラマンではなかった。宮川先生に叱られるぞ。「世界一のキャメラマン」として・・・・・。

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依田マーク

2008年03月21日 23時00分00秒 | 映画に関する話

 脚本家だった依田義賢(よだよしかた)が、「スターウォーズ」のヨーダのモデルだったかどうかはわからない。ただ、インターネットで『依田義賢』と検索すると、ヨーダがやたら出てくる。ジョージ・ルーカスが溝口健二を敬愛していたのは有名な話しで、依田義賢は、溝口の大半の映画の脚本を担当している。また、ルーカスは、依田義賢に会っていて「あなたの耳はとても面白い形をしている。」という会話も記録に残っているらしい。また、スターウォーズ第二作の公開後、ルーカスは、日本の依田にヨーダのぬいぐるみを送った。ここまでくると、ヨーダは依田義賢がモデルかな?とも思うが、スターウォーズエピソード1公開のとき、ルーカスはこれを完全に否定している。否定したということは違うのだろうが、笑った顔の皺の形、はれぼったいマブタがよく似ている。また、そっくりなのは、耳の形である。「あなたの耳はとても面白い形をしている」と言って、そこでスケッチしたのではないかと思うほど、そっくりだ。「依田(ヨダ)」は「ヨーダ」か?だが、真偽はわからない。

 私の4年間の大学生活。映像学科長は、依田義賢だった(先生だったので、依田先生と書く)。京都で生まれ育ち、京都の日活撮影所に入り、亡くなるまで、京都で脚本を書きつづけた。サイレント映画からはじまった人である。主に、関西を舞台として、「浪華悲歌(なにわえれじいー)」「祇園の姉妹」「残菊物語」「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒大夫」「近松物語」「悪名シリーズ」 「天平の甍」「本覺坊遺文」と、日本を代表する映画をのこしている。脚本家を語る上で、いなくてはならない人だ。そのような人が、大学の教授だったことに驚き、実感したのは、大学を卒業して何年も経ってから。学生時代はその偉大さがあまりわからなかった。古い映画よりも、今の映画ばかり追っていた。

 大学一年生のとき、はじめての脚本の課題が出された。原稿用紙10枚程度。一学年260人はいたと思う。タイトルは決められていて、「復讐」だった。見事なタイトルの課題である。いろんな復讐が出てきたろう。260通りの「復讐」という脚本が提出された。学科長である依田先生が読むわけはないと思っていたのに、すべての脚本を読んでいたことを後で知る。よくできていた脚本の表紙には、『依田マーク』というハンコが押された。依田先生の笑った似顔絵をハンコにしていた。私の脚本の表紙には、その依田マークが押されていた。よくできているということか。私は嬉しかった。

 大学二年生の時は、30分の脚本だった。原作モノではだめで、すべて、オリジナルを要求された。私は沖縄県民が日本から独立しようとクーデターを起こす「沖縄独立国家」という脚本を書いた。依田先生は、机をはさんで一人一人面接した。私の前で、その脚本を閉じたまま「何か思想があって書いたの?」と、私をするどく見た。「いえいえ、思想なんてありません。戦争で切って捨てられた沖縄県民が、アメリカの基地を抱えたまま日本に戻って、そして、憤った県民が、この際独立してしまうというところはありますが、基本的に笑いの部分を楽しんでもらう映画です。」と答えた。依田先生は笑いながら、「とても発想が面白いねえ。私ではとても思いつかない。」と言った。

 大学三年生の時は、原稿用紙200枚程度、90分から100分の脚本を書いて提出した。学生の数は減っていたが、200人は残っていたろう。200の長編オリジナル脚本が集まった。これも全部、依田先生は読むのか?と、私は疑った。脚本のコンクールのように、講師や助手が読み、良いと思われる脚本だけが依田先生のところへいき、選ばれた作品だけを読む。そんなところじゃないか?と、想像していた。だが、提出しても、なかなか返ってこない。何ヶ月もかかって、ようやく依田先生の個人面談がはじまった。ウソ!依田先生と一対一で話すんだ・・・一日、3人、4人。私の番まで随分と長かった。当時はワープロもパソコンもなく(あったろうけれど、高すぎて、使うなどは思いもつかなかった)、みんな手書きだった。コピー料金も高く、使うことなど考えなかった。200枚以上の原稿用紙は、そのまま提出した。その後、何ヶ月も経っているし、間に映画に関することをいっぱい行動するので、提出したことは覚えていても、どんなストーリーだったか、誰がどんな台詞をはいたか・・・そのようなことは忘れている。

 私の番がきた。まったく、何を書いたか覚えてなかった。机の上には、閉じた分厚い原稿用紙が置かれていて、依田先生は、だいたいのあらすじを語った。「あっ、読んだんだ。」私は驚いた。あらすじを語った後、私に次々と質問をしてきた。「この男は、どうしてあのような行動に出たのか。」「あの人がこう言うと、この人はこう言い返すけれど・・・」。私は覚えてないので、とても困った。ちょっと、先生の目の前にある私の書いた脚本をパラパラと読ませて下さいと言いたかったけれど、それはいえない。閉じて表紙だけを自分に向けたまま、行動や台詞やト書きを聞いてくる。中は一切開かずに、どんどん質問してくる。そして細かい。よく覚えているなぁ、よく読んでくれたなぁと、ただただそれだけに驚いてしまった。200人もの90分のオリジナル脚本をすべて読んで、そして頭に入れていることにタジタジだった。私が20歳だった年、依田先生は74歳。孫ほどの年令差がある。

 1980年の「天平の甍」以来、脚本業からはなれていたが、私が卒業した後、遺作となる松竹の「本覺坊遺文」が1989年に公開される。晩年は、熊井啓監督の脚本を担当している。「本覺坊遺文」から2年後の82歳で依田先生は亡くなったけれど、私は「本覺坊遺文」が大好きで、東宝の「利休」よりも映画として貫禄がまったく違うと思った。映画を観て、原作を読むことは少ないけれど、この映画を観終えた帰り、本屋によって井上靖の文庫本を買い求めた。原作と脚本はまったく違い、それでもなぜだか原作に忠実で、不思議な感覚だったけれど、私のお気に入りの一冊になった。文庫本を先に読んだならば、わけがわかなんいので、途中で投げ出したかもしれない。映画が原作をわかりやすくさせてくれる役を担っていた。

 大学時代に提出した脚本は全部で5作品だった。他に、自分だけで書いたものもあるけれど、22歳になるまで10本も書いたろうか。映画とは違うが、私はビデオ制作に携わり、45歳の現在まで、ボツになった脚本を含めて450本を超える脚本を書いた。映像化された脚本は300本を超えた。5分のものもあるし、120分のものもある。よく書いてきたと思う。ビデオ脚本は完成すると忘れ去られる運命にあり、私も書き終えた後は、大学時代と同じく、ほとんど覚えていない。あの頃は鉛筆で書いていたけれど、今はパソコンで書いている。というか、押している。

 これまで書いてきたビデオ脚本450本のうち、依田先生は、そのうちどれかに『依田マーク』を押してくれるだろうか。一年生と二年生の時には依田マークをもらって嬉しかったけれど、三年生の脚本の表紙に依田マークはなかった。やはり、よく読んでおられた。ちなみに、四年生の脚本は、卒業脚本として、返却はされていない。

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犯人に告ぐ

2008年03月19日 23時30分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <下関スカラ座 シアターゼロ1>

 2008.03.15鑑賞

 小倉ばかり行っていたら、あろうことか、下関唯一の映画館のことを忘れていた。長く同じ作品をやっている。ということはいつでも行くことができる。すなわち、のんびりしてしまう。のんびりしている割には遠出をする。一週間に一度しか行くことができない小倉に足を向けすぎていた。

 下関で2本観る予定が、前夜眠れず、朝から朦朧としている。近所のノラネコに餌をあげて戯れているうちに、昼近くになった。歩いて30分、下関駅へ出る。眠っていないせいか、気分がよろしくなく、釜山行き、青島行きのフェリー乗り場を見物する。出国ゲートなどがあって、ここは国際フェリーなのだとあらためて思う。座席表をながめているうちに、乗りたくなる。戦前の時刻表を見ると、下関から釜山までのフェリーの時刻も載っていて、さらに釜山からの鉄道時刻もある。朝鮮半島から中国にかけて、現在の鉄道は日本が敷いたものだった。ここに住んではいるが、観光者の気分だ。目の前の山は九州。関門海峡を見た事がない人は、本州と九州があまりにも近いので、びっくりするのだという。下関から対岸の門司港まで、人が歩いて通れる海底人道トンネルがある。ものの10分で九州へ徒歩で渡れる。

 フェリー乗り場から、舟島が見える。舟島とは、巌流島のことで、佐々木小次郎と宮本武蔵の決戦地だ。大阪にいるとき、巌流島の話しをしたら、「巌流島って本当にあるの?」と、目をまるくされたことがある。御伽噺ではない。実話である。実話だから、ちゃんとある。私がいた高校生までは渡ることができなかったが、今は観光地として整備され、定期船が行き来している。15分ばかりで着く。ここには宮本武蔵の碑はなく、佐々木小次郎の碑だけがある。負けた者の碑を建てるのは、日本人らしい。佐々木小次郎ほどの剣豪が、宮本武蔵に負けたとは・・・「おそいぞ、武蔵!」何度も映画化、テレビドラマ化されているが、どう贔屓目に見ても、宮本武蔵には、何やら不穏な臭いがする。

 そうこうしているうちに、午後の3時を過ぎた。下関駅前の大型ショッピングセンター「シーモール」の4階で、懐かしい「一龍軒」のラーメンを食べる。大学2年のときに食べたのが最後だろうから、25年ぶりになる。四半世紀ぶりに食べたラーメンの味は懐かしく、変わりなかったが、器がひとまわり小さくなっていた。以前は、器にもっと広がりがあった。客は私の他に2名だったけれど、どういうわけか、カウンター側の店員は6人もいる。狭いので、満員電車のように立っている。客の様子をうかがうでもなく、店員同士、雑談に余念がない。とてもうるさい。食べながら、16時10分の「犯人に告ぐ」を観ようと決めた。昨年に公開された作品だが、私は大阪で観る機会がなかった。

 色を抜き、輝度を落としたような画が、私たちとは別世界のことだと言っているようだ。色も色だし、そのような感じの展開なので、推理するものだとばかり思っていたら、まったく違った。誘拐された少年が殺されるという失敗で、トラウマとなった刑事の心的ドラマが柱となっている。まわりは、警察内部のぐちゃぐちゃした役人根性が卑劣に描かれている。そこへ「犯人に告ぐ」というテレビを交えた。テレビで犯人に訴えかけるなんて、今時の2時間ドラマでもやらないのではないかと思う。それより、警察内での事実ならば、とても公にはできないやり取り、上司の考えや台詞、失脚させんとする若い刑事のやり方などがとても面白い。ありきたりとも感じるが、こういうイヤラシイやり方をみていると、先は?先は?と身を乗り出す。ということで、テレビでどうのこうの、犯人がどうのこうのは、これにくっついてきただけのように思えた。

 刑事対犯人という観かたをしてしまったら、きっとガックリくるだろう。肝心なはずの「犯人に告ぐ」は、どうでもいい。相手がホントーにどーでもいい奴だから、主人公の刑事の真面目な挑発がやや間抜けに見える。ここがタイトルにもなっているわけだが、私はまったく面白みを感じなかった。これは面白いと思ったのは、警察内部のゴタゴタだ。「白い巨塔」の警察版のよう。ということは、他の部分は観ていられないはずだけれど、じっとスクリーンを睨んでしまったのは、豊川悦司と笹野高史の関係が気持ちいいのと、笹野高史の好演に惹きつけられたからだろう。端役の刑事たちも好演が光る。この映画の魅力は、本筋と思われる部分ではなく、その枝葉であった。枝葉が見事にのびていて、どこからのびているのかを忘れる。そういう意味では、私にとって、とても珍しい映画だった。悪くはないが悪い。良くはないが良い。はっきりしないので、私の点もはっきりしないのだが・・・。   <70点>

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 明日は「第九」の練習である。下関市民でつくる「第九」は、18年ぶり、19年ぶりらしい。昨年に募集をかけ、女性は断るくらいいっぱい集まったが、男性パートが集まらないのだという。テノール50人に対し、32人。バス50人に対し、26人。11月で締め切ったけれど、男性のみ、まだ募集中である。初心者でも大歓迎。足りない足りないということで、「第九」をまったく知らない私に声がかかり、悪戦苦闘、頑張っている。練習もまだ2回目で、みんなより随分と遅れているが、それでもまだまだ募集中である。

「2008下関「第九」合唱団・オーケストラ参加者の募集」公式サイト  募集サイトへ飛びます

 10月13日祝日、下関市民会館大ホール。これを成功させねば、また18年、19年も空白を作るぞ。東京の「五千人の第九」、大阪の「一万人の第九」は、毎年集まりすぎて、抽選だというのに・・・。100人が集まらぬか・・・。下関の文化の灯を増やすために、消さないために、下関市民は是非、参加すべし。目の前に高い山はあるけれど、達成しよう。得はしても、無駄はないはずである。半分しか男性が集まらない・・・こういう消極的な、無関心な下関の市民感覚を変えねばならんと思うのだが・・・さて、どういう風に変えていくか、この頃、その手段をあれこれ思う。

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バンテージ・ポイント

2008年03月13日 23時30分00秒 | 90点以上(2008.2009.2010.2011)

2  <シネプレックス小倉>

 2008.03.07鑑賞

 3本目。予告がとてもうまくできていて、本篇がそれほどでもないなぁという作品はいっぱいあるけれど、情報はそれだけだから、最も期待していた。これほどの俳優を集め、スリリングなアクションらしく、さらに上映時間が短いということは、すべてがギュッと詰まっているかもしれない。21時前に終わる好都合な上映時間で、今日のスケジュールはビシッと決まっている。

 どこかで見たことがある。「羅生門」のようでもあるし、「ラン・ローラ・ラン」のようでもあるし・・・そう頭に思い浮かべてみたが、いやいや、どれとも違うぞ。思い出せない。きっと、私としては、はじめて観るタイプの映画だろう。スリリングなアクションと書いたが、観はじめると、ジャンルもはっきりよくわからん。ただただ、スクリーンに映るそれはただならぬ展開、映像で、知らず知らずのうちに目を凝らされてしまう。凝らすのではなく、凝らされる。ついでに息も懲らす。

Photo  とても狭い空間の中で、大統領暗殺、その後の爆発音、その場の大爆発が短時間で巻き起こる。10分もないのではないかと思う短い物語。それを何度も何度も同じ時刻にまき戻し、再生し、繰り返す。同じ話しがまた、その時刻からはじまる。プレイバックと思いきや、その度に、視点が違う。カメラ位置もあるけれど、主人公も変わる。同じ物語でも、まったく別の物語を私たちに見せてくれる。同じ話しのオムニバス映画のようだ。1つ目の視点の中に出てくる人が、2つ目にも別の角度で映っていて、3つめにも別の角度で映っていて、6つ、7つあたりにくると、「なるほど、こいつはここでこんなことをやっていたのか。」と、伏線が張りめぐらされていたことに気づく。ワクワクしてくる。これは見事だ。この繰り返し、全部で8回らしい。巻き戻しも凝っていて、ただ巻き戻されるのではなく、肝心で印象を与えねばならないカットなどは、ギクッと止まりながら戻っていく。巻き戻りながら、台詞も聞こえてきそうだ。人間の頭とはすごいもので、長く観てきたのに、あっという間に巻き戻されても、それらをしっかりと反復できる。

 ひとつひとつを分離すると、きっとこれはつまらないだろう。巻き戻し、視点を変えることを重ねていくことによってどんどん面白くなる。最も激しい、心理戦のような中継車内と現場のシガニー・ウィーバーの視点を最初にもってきているのは、全体像をわかりやすくすることと、最初の10分弱も楽しんでもらおうというわけか?・・・ということは、8つの視点すべて、確実に冴えた順番を考えてあるのだろう。とても計算されていて、それでいて難しくはなく、誰でも楽しめるように工夫されている。8つだけでは足りず、私はもっと巻き戻してほしいと思った。

 大爆発するまでの8つの視点から先へ進んだところから、きっとここまでだよと疑ったが、とんでもない。手に汗握る展開が持続する。また、ハンパではないカーアクションが待っている。どどーっと8つの視点を背中に抱え、これでもかぁ!と、爆走する。爆走しながら、エンディングまでなだれ込んでいく。もう、これは、面白い。なーんの文句もつけようがない。新しいタイプの映画な上、最近にはなかなかない、緻密で極上のアクション、心理戦で仕掛けられている。何度も何度も同じ動きをさせられて、俳優もスタッフもエキストラも大変だったろうが、その大変さは、観ている間は気づかないほど、私は熱中した。

 この映画の流れは説明できるけれど、映画の魅力はどう説明していいかわからない。とても私にはできない。とにかく観て、「体感」していただくしかない。かなりベタ誉めしているが、こんな言葉では足りなく、もっと誉めたい。しかし、言葉がみつからない。誉めなれていないせいか?老若男女、誰でも面白がるだろう。これはお勧め。ぜひ、シートベルトをして、「バンテージ・ポイント」に乗ってみてほしい。  <90点>

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 2008.03.16追記:「バンテージ・ポイント」の脚本は、黒澤明監督の「羅生門」をヒントに書かれたそうです。


ライラの冒険 黄金の羅針盤(日本語吹替版)

2008年03月11日 23時30分00秒 | ら 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 2008.03.08鑑賞

 またまた、本作のことは書いていません。最近、思うことを書きなぐっているだけで・・・。

 いつも好き勝手なことを書いているようだけれど、この1年ちょっと、そうでもない。自分のブログだから好き勝手なことを書いてもかまわないが、私の知らないところで、私の知らない人が読んでいるという気持があって、誤字脱字はあるけれど、文章力のなさはあるけれど、やはり、目を気にしてはいる。本名でブログを書いているが、そうやってはじめただけで、裏が楽しく、表に出ようなんて野望はないので、己を気にしているのではない。読まれたどなたかが、何を思うか?にある。このあたり、誰であろうが、ブログを書くならば、ちょっと気にせねばならない。

 インターネットが普及し、映画を語るにも、様々なブログがあり、私もいろいろ楽しく読ませていただいている。だが、その中で、ちょっと書き方が酷いなと思われるブログもある。そのほうが読み手が喜ぶのかもしれないが、もし制作者が読んだならば、足腰立たなくなるような書き方じゃないかと憤然とすることがある。毒舌、映画を斬るのは良いけれど、評論や感想というものは、相手に「よし、それならば!」「なるほどそうか、次こそは!」と奮い立たせるようにしてあげなければならない。いっぱいの心の余地を与えてあげなければならない。優しさがなければならない。足腰立たなくさせて、潰すような書き方はよろしくない。ブログをはじめた時はそんなことは思わなかったが、1年半、1年ちょっと前あたりから、私はかなり意識するようになった。

 評論の中で、「斬る!」というのは、刀をひっくりかえして、刀背(峰)打ちをさす。刀背打ちでも、モノは鉄の塊だから、悪いときには骨が折れたり、十分に痛い。だが、いずれは立ち上がることができる。峰の方で斬らない評論は私は好きではない。すべてがわかったように、ただただ、偉そうに読めてしまう。映画が本当に好きならば、ばっさりと斬ってしまうなよ、と思う。斬って、捨てて、そのまま去っていって、二度と戻ってこないのならばいいけれど、すぐに帰ってきて、また斬るのだから、本当に映画が好きなのか、この人?と、私は眉間に皺を寄せてしまうし、その人が可哀想な気分になる。なんとも言葉がなく、始末が悪い。

 作っていない側、観るだけの私がそのような気分になるのだから、作った当人、関係者が読めば、「よーし、次は!」なんて考えないだろう。ギャフンである。奮い立たせてあげるのと、奮い立たせる芽を摘むのではまったく書き方が違う。摘むのならば、思っただけで、黙っていたほうが優しい。相手の心を潰してしまうのはよくない。悪かったのなら、良くしてほしいという気持がこもってないといけない。自分ならばと、アイデアを出すのもいい。・・・制作者は読んでいない?そんなことはない。今は、試写室で観るプロの評論家よりも、お金を払って映画を観る人の言葉の方が敏感に感じているという。そのほうが強いのだという。インターネットの時代、かわってきた。ある監督は、封切から一週間、映画ブログを読み漁っているらしい。意外なところで、意外な人が読んでいる。

 斬り捨ててしまうブログを読んでいると、こういう針の体でできたような激しい人にかぎって、「通行人」「通りすがり」「無名」などと、人のブログまでも誹謗中傷するようである。名を残して、誹謗中傷する者もいる。とても自信があるようだ。ストレスを解消しているのか、私などはあんなことを書いた方がストレスがたまる。寝覚めもわるい。お勉強のできる、議論が大好きな、理屈が大好きな人なんだなと思われる文章が並ぶ。実際、頭のよさそうな文章を書いている。しかし私のような凡人は、いくら頭が良くても、こういう人とは友達になりたくないなと思う。世の中、いろんな人がいていいけれど、いろんな人がいてあたりまえだけど、映画が好きならば、斬り捨ててしまわず、峰で。日本の刀だけでなく、世界中に剣は存在し、相手を斬る武器に使われたが、武士の情けである刀背(峰)打ちというのは、日本特有のものらしい。恰好つけているわけじゃない。良いことだと思う。

 「ライラの冒険 黄金の羅針盤」・・・三部作の第一部。この映画をご覧になって、賛否様々だけれど、酷評極まる書きかたもあった。そんなこと、書くものじゃない!と、憮然とした。だったら読まなきゃいいが、最後まで読まなきゃわからない。最後に救いの手を差しのべているかもしれないと読んでいく。差しのべようとした手をふりは払って、屁をこいて逃げている。幸いにも、私のところにわざわざ訪ねてくれて、読んでいただいている方のブログにはそのような人は誰もいない。ありがたい環境に居る。私もブログを書きはじめた頃は、少しだけ心無いことを書いた記憶がある。それを思うと、これからブログをはじめる方は、映画が好きならば、映画を愛しているならば、辛辣であっても、毒舌であっても、わかりやすくエールを送るような文章にと、お願いしたい。映画はけっして観客を潰すことはない。伝わり方、大きくも小さくも、どの映画であっても、みんなの心の支えになり、観る者に、何ものかを残してくれるはずである。  <70点>

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Photo_3  2008.03.13 am02:00追記 タイトルだけ書いて記事は別のことだとお叱りをいただいたので、ちょっと本作について記す。私はちょっとしたことでショックを受ける。いかん性格だ。ここ一年ばかり、タイトルだけで別のことを書くのは私のスタイルとして楽しんでいたが、どうもこれは失礼なようだ。私はまだまだ独りよがりで、優しさに欠け、客観的に見ることができないでいる。これには気づかなかった。別の記事と言えば、前文の緑色の文章だけ読んで、青色の映画の感想部分は読まない人も少なからずいらっしゃるようで、それはそれで私は大満足だ。映画とは関係ない緑色のところに力を入れることもよくある。私としては、実は、緑色の関係ない部分の方が、書くのに神経と時間を要している。これではいかんのだが。

 正直、私はリアルCGは飽きている。流行のファンタジーアドベンチャーにも飽きている。「ロード・オブ・ザ・リング」がよくできていたのだから、その次、またその次はつらいものがある。しかし、この手の映画は儲かるからだろうが、大変なお金と労力をかけて、続いていく。飽きているリアルCGだけれど、そのCGを忘れさせてくれるくらい物語や映像が優れていたら、この分野の新しい秀作となるなるだろう。ところが、私は頭が悪すぎるのか、日本語吹替版だっていうのに、人間関係、CGと人間の関係がわかり辛かった。ごちゃごちゃたくさん出てきすぎる。有名な俳優陣はシッカリと頭に入るけれど、それにCGが絡むとどうもややこしい。私が子供の頃、こんなに関係がややこしいファンタジーはなかった。オッサンになったという証なのだろうか。それぞれのエピソードはつかめるけれど、全体像がふわっとしている。彼ら、彼女らがメッチャしたいことが大したことでないような気もしてくる。

 以前にも書いたけれど、途中、ロールプレイングゲームをしているような気分になった。20年~10年位前まで、よく遊んだゲームだ。どれも似ていて、でも全然違う。行ったりきたりしているうちに、途中で、みんなよく集まったけれど、この団体はいったい何をしに行っているんだっけ?と、ふと天井を見たりした。新しい地に行くとうれしかったが、自力でクリアした喜びだった。全滅するとリセットなんてするから、最後まで行かず、エンディングを見ないで終わったゲームも多かった。35歳あたりで、「俺、こんなことしてる場合じゃない。」なんて、人生のなにものかに焦って、ゲーム機本体、ソフトのすべてのを捨てた。あれからゲームとは縁がなくなったが、あの世界によく似ている。このブームの元をたどると、実は日本のロールプレイングゲームじゃないかしらん?違ったら悪いけど、あの時の感じに似ている。似ているけれど、でも、これは映画であるから別物ではあるのだが。

 CGはよくできているが、あまりに溶け込みすぎていて、そのようなモノを撮ったのだろうなんて気持で観てしまう。ということは、あり得ない実物を撮っているわけだが、でも、なぜか不思議とは思わない。よほどの出来事がない限り、この世界にビックリもドッキリもしない。なのに、大したことなど起こらない。感動しようなんてサラサラだが、心を微塵も動かしてくれないのが残念だった。この辺りでパート2につなぐなと思った瞬間、真っ暗になって、エンドテロップが出る。予想がつく展開だけど、最後までそれが続く。きっと、パート2、パート3を観た後、本作を観れば、「あっ!」と思わせる画やエピソードがつまっているに違いない。伏線がいっぱい張られてあるかも?そういう期待を抱きつつ、本作を頭に入れておこう。  <70点>

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クロサギ

2008年03月10日 23時30分00秒 | か 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 2008.03.08鑑賞

 あっ・・・いつの間にか、絵文字が入るようになっている・・・→

 さて土曜日。大阪の仕事で、月曜日中に企画構成案をメールで送らねばならず、やっつけて、明日を映画にしようかと思ったけれど、イヤなことを後に回す。映画を観る場合においては、私はこうなる。土日はバスが少ないので、自宅から30分かけて歩き、下関駅へ。中津行きの電車で関門トンネルを抜け、九州の小倉へ。小倉駅からゆっくり歩いて10分、チャチャタウンについた。毎度、お馴染みになった「シネプレックス小倉」。今日は天気がいい。携帯のウェブで天気予報を見ると、明日は雨の模様。明日は閉じこもって書くので、それでいい。今日、でかけてきてよかった。

 来週は観られそうにないので、今日も欲張って3本。できあがったスケジュールは、「クロサギ」「ライラの冒険(日本語吹替版)」「バンテージ・ポイント」である。日本語版よりオリジナルの字幕版を観たいけれど、どんなにひねくりまわしても無理だった。また、本当は、1本目に「ガチ☆ボーイ」を入れていた。だが、上映ギリギリにテケツについたら、今まで見たことのないような景色。長く長く、くねくねと人がトグロをまいていたので、すっと諦めた。もっと自宅から映画館へ遠い方に叱られそうだが、小倉までやってきたので、上映前にちょっとだけ落ち着きたい。急遽、自分の中でB案としていた「クロサギ」を頭にもってきた(何がA案で、何がB案なのか・・・というと、自分でも懸命にやっていることがアホらしくなるので書かない)。B案にした為、25分、余裕がある。トイレを済ませ、挑む気持を高めねばならない。「インディ・ジョーンズ」の新作のチラシの裏を読む余裕もある。スピルバーグ、久しぶりの秘密で、ほとんど情報がない。

 現在、映画というものはテレビ局が作るようだ。本作は、TBSのマークが出てはじまった。これからテレビを見せられそうで、テレビ局のロゴはイヤだ。テレビの影響で映画は斜陽になってから、それでも映画と威張っていたのは気にくわなかったけれど、あまりにも最近の映画はテレビにひれ伏している。ン百万部売れた原作、コミックばかりを映画化しているのもどうかと思ったけれど、視聴率のよかったテレビドラマを映画にしすぎる。私などは、映画になったからには観るけれど、テレビドラマはテレビドラマであり、映画のスクリーンでは大きすぎると思うことが多い。また、大人数で観るほどのものではないなと思うこともある。もともとはテレビサイズで考えられた世界だから、物語も広げにくい。そういう理由からか、先ごろ、「交渉人」を見ていて、これは映画を意識して作っているなと感じた。テレビと映画の間のような物語、スケールだ。あのようなやり方では、とてもスポンサーだけで制作費は出ないだろう。映画化を決めて、テレビをはじめたのだろう。ドラマを見るというより、そんな見方をしていた。

 いま、映画は、それでも映画だと威張っていていいような気がしている。テレビにすり寄りすぎる。テレビシリーズの「男はつらいよ」が映画になったのは、視聴率は良かったけれど、儲かるぞという理由ではなかった。最終回で沖縄に行った寅さんがハブに噛まれて死んだことからソレのきっかけがはじまった。翌日以降、テレビ局、松竹に猛抗議の電話が鳴り響いた。手紙も異常なほど届けられた。脅迫状まで届いたのだという。みんな、そんなに寅さんを好きだったのか・・・1度だけ、映画で復活させてやろう。そんな気持から制作された。それでも、当時の松竹の幹部達は、テレビドラマの映画化に反対した。テレビで放映してしまったものを映画で復活させるなんて正気の沙汰ではない。幾多の困難があり、断念しそうになったが、最終的に社長の声で、「男はつらいよ」はスクリーンに復活する。スクリーンの中で寅さんは生きていた。観客は納得した。生きている・・・それだけをみんなに見せる為だったと言ってもいい。そのかわり、この映画は、4対3のテレビサイズではなく、シネマスコープとした。さくら、おばちゃんの配役を変えた。映画俳優を出した。寅さんを目に見える旅人にした。20以上の物語を考え、その中から1つを選んだ。セットをシネマスコープに合わせた。儲からないと覚悟していたのに、たくさんもの苦労を経て、テレビではなく、映画の寅さんであることを観客に伝えることになった。ところが、これが大成功して、ギネスブックに載るほどの映画に化けてしまうけれど、松竹の嬉しい誤算だったろう。

 本作を観て、計算高い脚本を必要とするはずだが、どうしてそんなにどんくさいのか?簡単すぎやしないか?という疑問が起こる。これがテレビだったら、粗はきれいに隠され、何の疑問もなく観られたかもしれない。ラストに近づくにつれ、凝ったサギだと感心するところもあるけれど、そこに至るまで、なんにも大したことはない。ひとつだけ離れている設定の警察本部は邪魔でしょうがないし、無理矢理でも迫力をつけようとエレベータと格闘するし・・・。テレビドラマを尊重しすぎて映画にしてしまっているので、どれも中途半端な動き、展開だ。脚本がテレビドラマなのに、ロングカットやクレーンを多用し、映画的撮り方、編集を重ねる。潔く、映画であっても、そのままテレビと同じにしてしまった方がいいような気もした。「ミナミの帝王-ビデオ版」が「ミナミの帝王-劇場版」となんの違いもないような、そういう風にしたらいい。私は何本も「ミナミの帝王-劇場版」を映画館で観たけれど、映画館でテレビを見ている気がしてならなかった。観客の私は、あっそうかと、潔く観た。

 映画はテレビにひれ伏しすぎていると思う。オリジナル脚本を・・・と、たくさん書いてきたが、どんどん映画のオリジナルは少なくなっていく。オリジナルだと思ったら、リメイク。このままじゃ、映画はいつまでも這い上がれないぞ。どう評していいかわからない。2本立ての添え物で、あと30分短くすれば、本作は光るかなと思う。  <65点>

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ジャンパー(字幕版)

2008年03月06日 23時30分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

2 Photo_3  <シネプレックス小倉>

 2008.03.01鑑賞

 本作とは、まったく関係のない記事を書いています。本作を観て、ただ思いついたこと、最近感じていることを綴ったものです。

 大人になってしまうと、子供の頃は素直に受け止めていたものでも、受け止められなくなる。長く生きていると、だんだんと、経験や体験が自分の常識になり、それ以外のことは非常識になるようだ。「私はUFOを見た。」「私は幽霊をよく見る。」「あの人は未来がわかる。」などは、ほとんどの人が常識外で、歳をとるほど馬鹿にして笑う。信じるよ、なんて言うと自分が馬鹿にされるというフシもある。それでも、中には、素直に信じる大人もいる。素直に信じるか、疑うかは本人の勝手だけれど、いくつになっても信じているのは、それはそれで素敵なことだと思う。また、今の時代、これから先、素直な人が救われていくような気がする。かつ、頭が冴えていれば、申し分ない。頑固は見苦しい。

 人間が知る物事は、すべての物事の1%と言われている。ということは、残りの99%はまだ私たちの知らない世界なわけだから、ほとんどが常識外のことであると言える。大人になると、すべてがわかったような顔をしているけれど、この世のものか?そんなことがあり得るのか?と驚くべき事実が、私たちのまわりには恐ろしい数、存在するはずである。現在の地球温暖化は、そんなことがあり得るのかを、私たちは目で見て、体で感じている。みんなが言うからではない。この危機をそのまま通り過ごしてしまうわけにはいかないのだが、それでもまだ、空気は澄み渡り、水は澱みなく、地は汚れなくと思っている不感症な人も少なくない。複合汚染を通して、私たちの間違いを問うてみて、これまでの常識ではあり得ないことがいっぱい起こって、いっぱい分ってくる。それが21世紀、これからのン十年だと思っている。一人の人間が、小さな事からはじめて、世界中の動植物を助ける。自分を助ける。とても不思議なことをやらねばならない。しかし、それで元に戻れるなら、素直に行動すべきだ。環境問題を通して、今、不思議なことがいっぱいまわりで起こっているけれど、見方を変えれば、現在の地球環境、人間の生きる環境が不思議だということがわかる。こんな滅茶苦茶な環境、経済にしてしまって、あたり前ではいけない。私たちは、地球の歴史の中で、これまで人類が体験したことのない転換期に出くわした。

 最近のドキュメンタリー、雑誌を読んでいて、そんなことを感じていた。実は、私の中では、危機的な状況である。だから、わざわざ映画館で「アース」を上映する必要はあると思う。できるならば、不感症な人を連れて行って、首を固定してみせたい。ところがどうもうまくいかないもので、映画が好きか、または、そういう危機感をもった人だけがこぞって行くようである。小さな輪の塊があちらこちらでタムロしているけれど、もう少し手を延ばして、ちょっだけ広い輪、もうちょっとだけ広い輪、よいしょっと!もすこし広い輪としていって、大きな輪でくるんでしまう時にきている。大袈裟ではなく、このままでは、10年後に地球人はいなくなるだろうに。

 「ジャンパー」を観て、映画そのものよりも、こんなことを書いてみたくなった。まったくあり得ない荒唐無稽なものであっても、それは自分の生きてきた常識の中ではかるから、馬鹿にしてしまうだけだ。ソレは、いつかあり得ることかもしれない。「2001年宇宙の旅」は、荒唐無稽だったかもしれないが、今観ると、未来を予言したかのような、未来に行って撮影してきたかのような映像が広がっている。予見するまでいかないでも、荒唐無稽と思われることであっても、映画は観客をひきこむ力を持っている。真実味を帯びさせる。その力を、「アース」「ダーウィンの悪夢」などを通して、たくさんの人に訴えてほしいと思った。

 本作は、勝手に、善対悪と思っていたが、実はどこにもジャンパーはいて、それを追う捜査官がいるという「サトラレ」を思わせるひねりがあり、とても楽しませてくれるCGごってりSFスピードアクションに仕上がっている。そんなバカな!から、徐々に、手に汗握らせてしまうスクリーンの力は凄いものがある。映画は本当はうそつきである。絵空事を観る。それでも感情移入したり、心がしめ付けられたりするのは、映画のマジックだ。もちろん、このような楽しい映画もいっぱいほしいけれど、私たちが置かれている環境問題に、これが活かせないだろうかと思う。良質のドキュメンタリーが封切られるようになって嬉しいけれど、まだまだ足りない。

 ちょっと、何を書いているのか自分でもあやふやになったが・・・ドキュメンタリーを上映することによって、普段、映画を観ない人が映画館にやってくるという現象も起こっている。こういう機会に、「映画ってなかなかいいものだなあ。」と、再認識させられるきっかけになっても、映画館に足を運ぶようなきっかけになっても、映画を愛する者としては有り難い。  <75点>

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陰日向に咲く

2008年03月05日 23時30分00秒 | 90点以上(2008.2009.2010.2011)

Photo_2  <シネプレックス小倉>

 2008.03.01鑑賞

 先々週、観ようとして、スケジュールに入れなかった「陰日向に咲く」である。先週は朝から夜までだったけれど、今週は、1日にたった1度の上映となっている。3本のちょうど真ん中に入れると、ぴったり納まってくれた。父から劇団ひとりの原作をもらっていて、観ておかなければ、本はいつまで経っても読めないぞと思っていて、今週のタイムスケジュールを見て、ほっとした。大阪にいる時から観たかった1本である。

 原作を読んでから映画を観ると、不満がある。そんな、いらぬ影響なく、映画を楽しんだ結果、正直、私は驚いた。映画として、素晴らしい仕上がり、もう見事である。構成、展開から生まれた脚本が、この頃観てきた日本映画のどれよりも秀でている。脚本は、「電車男」の金子ありさ。監督は、平山雄一朗という人だが、私は力量を知らない。これが私にとっては、初となる。名前を覚えておかねばならない。

「陰日向に咲く」公式サイト  オフィシャルサイトへ

 私は発想が貧困であるから、よく、このような物語を生み出すことが出来ると感心する。バラバラと思われていた小さなエピソードが、運命の糸に導かれるように徐々にひとつとなって、大きな物語とするのは昔からある形だけれど、いろんなパターンで観させてもらい、こういうのっていいよなと、毎回、惹きこまれる。おい、こんなところで偶然に再会したのに、どうして驚かない?というツッコミはあるけれど、ソレを差し引いても、十分に質の高い作品になっていた。

 期待通り、期待を裏切るを繰り返し、これがすべて、私にとって居心地が良かった。山田洋次監督は「身につまされる映画を作りたい。」と言ったが、本作には、はたと身につまされることや隣の誰かがという素朴なエピソードが連なる。まさに、陰日向に生きる人々が、ここの主人公達である。そして、みんな、いい奴ら。憎めない。観ていて、何とかしてやりたい、手を差しのべてやりたい人たちばかり。それらを取り巻く人々も、根っからの、とびっきりのワルはいない。山田洋次監督の作品に出てくるような人たちだ。観ていて、心があたたかくなる。そして、登場する人物は、劇団ひとりが演じる中に出てくる人のようにも思えた。

 一緒にいるように思えて、心を見ると、実は、彼ら彼女らはひとりだ。やっていることもとても小さい。ちょっと親指と人差し指でつまむと、プチッと壊れてしまいそうだ。そんなひとりの人が、一本の糸に手繰り寄せられ、ひとつにぶら下がる。それは、線香花火の小さな玉のようにも思えた。この先、大きな出来事が起こるわけではないけれど、じっと見つめると、それはそれで美しい。いつまでも玉よ、落ちるなと、弱々しい火玉に風が当たらないようにそっと手でかこみたいような気持にさせられてしまった。

 いい映画を観た。3本目は、やはり何にも考えず、気楽にぼけーっと観て、それほど心に残りそうにない映画がいい。映画館でまったく残らない映画はないけれど・・・。ちょっだけ「奈緒子」と思ったが、表に出て、上映時間をやり過ごし、「ジャンパー」の上映時間まで待った。CGごってりのミーハー受けする娯楽映画がいい。上映時間も90分と、観やすい。今日は1,000円の日で、この作品のチケットを買うと、ポイントは1050と貯まって、次回、1本が無料となる。大阪にいる時は何とも思わずに貯まっていったけれど、小倉で最初に貯まったポイントは、なぜか大切なもののように感じた。  <90点>

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明日への遺言

2008年03月02日 23時30分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 2008.03.01鑑賞

 今日は小倉浸り。たまっているので、やっぱり今週も、3作品をハシゴする計画を立てた。「明日への遺言」(本日封切り)「陰日向に咲く」(上映一回のみ)「ジャンパー」(先行上映)である。「ジャンパー」のかわりに、今週いっぱいまでの「奈緒子」(上映一回のみ)にしようか迷うが、すべて重いと帰りがイヤになるので、ラストはぼーっと観たい。うまい具合に、食事の時間もたっぷりとれるスケジュールに仕上がった。もう、映画館のまわりの写真は撮らない。

 「東京裁判」を思い出された方も多いだろう。本作は、当時の裁判記録などを基に、忠実に再現したドラマだという。「東京裁判」は、四騎の会の小林正樹監督作品である。とても話題になった。長い映画だが、その行方をじっとみつめていた記憶がある。四騎の会には他に、黒澤明、木下恵介、先ごろ亡くなった市川崑がいた。四騎の会は、解散することなく消えた。黒澤明の助監督だったのが、本作の小泉堯史(こいずみたかし)監督である。

 小泉監督は、さすが黒澤組で、50歳を過ぎてデビューしたのだから、とても遅咲きだ。「雨あがる」のパンフレットを読んだとき、黒澤監督が亡くならなければ、一生、助監督で終わったかもしれないフシが、そういう事情が、この人、環境にはあるようだと思った。黒澤監督が亡くなり、脚本を受け継いで撮ったのが「雨あがる」だった。この静かで、気持の良い、すがすがしい空気を作り出したのは黒澤監督だろうか、小泉監督だろうか?当時、私にはわかりかねていた。しかし、遺作となった「まあだだよ」、その前の「八月の狂詩曲」たちを観ても、どうも黒澤監督とはちょっと違う。さて、これは・・・?・・・黒澤監督の意向を受け継ぎながら、自分の作品を撮りきったのだと確信したのは、「阿弥陀堂だより」を観た後だった。次の「博士の愛した数式」の3本が並んだとき、もはやこれは、「雨あがる」は、小泉堯史監督のもの、誰のものでもないとジッときた。小泉監督は、初監督作品から自分の映画を撮っていたのだ。やはり、映画は監督のものだと、あたり前だけれども思った。

 スタジオやメイキングを見なくても、黒澤組の中で叩き上げられたこの監督の厳しさ、強さ、逞しさがスクリーンから伝わってくる。丁寧以上に丁寧な画をつくる。台詞の一言も大切に扱っている。どれもこれも練りに練っている。本作も同じだ。だが、前3作品と空気が違った。脚本が淡々としているのは分るが、淡々としすぎている観がある。だからだろう、私は小説を読んでもらっているような錯覚を観ている間、何度もおぼえた。実際に、斬首するドラマが出てこないからだろう。どういうやり方だったのかわからない。必要ないのだろう。そこは想像に任せてある。観客は、裁判所の箱の中で知っていくことになる。

 戦争に勝った国が、負けた国を裁くのは、勝ったかどうかはわからぬけれど、最近では、フセインをテレビで見た。これは、繰り返される。戦争がどうの、裁判のやり方がどうのなんて、私は書かない。映画の演出だけについて書くと・・・演出と芝居が見事なのは、裁かれる側が、凛として、とても日本人的であることに、アメリカ人が困惑をみせ、傾きかける様子をカメラがとらえていることである。台詞はどれも重いけれど、噛みあいそうにない台詞を演出と芝居によって噛み合わせた。検事、弁護士、裁判官たちの心の表情を日本側にもってこんとする様は、うまいっ!と思う。そうしたうまさは、いろいろなところに見える。・・・だが、全体を通して、なぜか小説を読んでもらっている感じがする。淡々とし、緻密すぎたのか?私の頭が悪すぎるのか?煮詰めすぎているなと思うが、ここは、私の頭の問題として・・・。

 それにしても、オープニングから出てくるナレーターが気に入らない。正直、下手な部類に入る。語っている人物の顔も頭に浮かぶから、画を追うのが目いっぱいで、ナレーションを疎かに聞いてしまった。日本が戦争をしていたことを知らない世代もでてきて、そういう方に説明しているのだろうから、ここはわかっているからいいけれど、丁寧であっても端的に編集されているので、新しい映像なわけだから、もっとしっかり聞きたかった。

 心に穴のあいた気分で劇場を出る。わかっていないのではなく、どういう脚本から、この映画が誕生したのかを知りたい気持が先へ先へいっているのだった。「陰日向に咲く」まで1時間50分ある。久しぶりに、リンガーハットで、ちゃんぽんと餃子を食べる。高校生の頃はよく行ったけれど、大阪では滅多にお目にかかれることはなかった。九州では珍しくないが、ズルッとすすって、懐かしい味を思い出した。  <70点>

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