萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.6 side story「陽はまた昇る」

2019-02-22 10:09:30 | 陽はまた昇るside story
変わりゆく時に、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.6 side story「陽はまた昇る」

見慣れた廊下、いつもどおり寮の窓。
レザーソール微かな響き自分の足、遠く近く同僚たちの声。
いつものまま官舎は静かな賑わい微かな緊張、そんな廊下の扉に英二は止まった。

―なんも変わんないのにな?

心ひとり言葉こぼれる、それくらい変わらない。
もし違うなら廊下の窓、官舎にグラウンドに咲いた薄紅の数だろう?
そうして立ち止まる自室の前「いつもどおり」そんな日常の扉に鍵さしこんだ。

かちん、

いつもの開錠音に扉が開く、ほろ苦い香かすかに馴染む。
ぱたり背中に扉を閉じて、スーツ肩から脱いでネクタイゆるめた。

「は…」

呼吸ひとつ衿元ゆるむ、ボタンふたつ外して息できる。
ハンガーにジャケットかけてネクタイ吊るして、ワイシャツの袖まくり窓を開けた。

ほら?青空なにも変わらない。

―でも昨日とは違うんだ隣も、全部が、

心裡ひとりごと、開いた窓から風かすかに甘い。
ほとんど感じられない匂い、けれど馥郁やわらかな風に薄紅ひとつ舞った。

「桜か、」

言葉ひとつ零れて花が舞う、ただ一片だけの春。
この花さっきも道に咲いていた、そんな季節にも心どこか動かない。

―去年は桜、周太と見たんだ俺…あの家で、

あの家で君と桜を見た、ただ幸せだった春の夜の時間。
たった一年前のことで、そのくせ遠すぎる。

「周太…今なにしてる?」

想い声になる、君に聴こえるはずないのに。
それでも唇かすかに香かすめる、去年の夜に香った春。
こんなふう幸せは結局いつも遠いのだろうか?
それでも君は来た。

―でも奥多摩まで来てくれた周太、俺を探して、

君は来てくれた、雪深い森の底まで。
まだ捻挫も治りきらない君の足、それでも来て、叫んだ。

『どんな貌でも逃げないことが愛することなんだよ英二!だから僕はここにいるんだっ、』

あの言葉、ただ信じられたら幸せだ。
けれど信じていいのか解らない。

『きれいだね…ブナはいいね、雪のなかでも水を抱いて、生きて、』

奥多摩のブナの森、そんなふう君は微笑んだ。
黒目がちの瞳やわらかに澄んで、静かな穏やかな声しんと沁みる。
そんな横顔ただ綺麗で、きれいで、そんな君を自分の居場所にしていいのか解らない。

『売られて、酷いめに遭って、それでも生きてきた気持ちは同じだね…英二と僕と、』

同じ、そう微笑んでくれた君。
けれど本当は同じじゃない、だって自分は、

「望んだんだ俺は…ほんとうは、」

低く声こぼれる唇、その本音が軋んで痛い。
こんなふう痛むのは「本音」だからだ、ほら?

『鷲田君が警視庁を受験したとき、宮田次長検事のお孫さんだと話題になったよ。司法試験を首席合格している君が何故だろうとね?』

ほら称賛の声また響く、さっき言われたばかりの声。
ここにいる今この警察の中枢、そこにいる男すら自分を讃える。
そういう瞬間が感覚がおもしろくないなんて、この自分に言えるだろうか?

―言えない俺は、ただ気分いいから、

ほら自省して軋んで、その痛みすら本当は心地いい。
これが自分の等身大、それでも窓はるか雪嶺の記憶を歩く。

『起きな宮田っ!新雪だよっ、』

記憶が笑う、底抜けに明るい眼だ、
まっすぐ自分を見てくれる眼は黒く蒼く澄む、あの眼に会いたくなる。

―こういうとき光一がいたら弱音も言えるんだけどさ…もういないんだ、

もう隣室にあの男はいない。
この警察で、山で、いつも笑っていた同齢の先輩。
あのザイルパートナーにいつも支えられていた、その実感いまさら微笑んだ。

「いまごろ予備校だよな?」

あの男は今きっと受験だけを見ている。
そこに自分は入る余地もない、それくらい真剣なのだと知っている。
そうして独り眺める窓の風、隣室かすかに別人の気配もう漂う。

―もういるんだもんな、佐伯がさ?

佐伯啓次郎、もうあの男が隣に来た。
これから日常どう変わるのだろう?眺める想いにノック響いた。

「帰ったか宮田?黒木だ、」

聞きなれた声たんたん低く響く。
この声は変わらないな?いつもながらの先輩に扉ひらいた。

「すみません、黒木さんから来てもらって、」

戻った挨拶こちらからいけなかったな?
すこしの反省と笑った前、トレーニングウェア姿が口ひらいた。

「こっちこそ戻って早々すまん、あのな?今すぐ壁の訓練場に来られるか、」

長身の瞳すこし途惑うような視線、その貌いつもと少し違う。
なにか困っている、そんな上官で先輩に微笑んだ。

「すぐ行きます、シゴキですか?」

着任の初め、そんなことがあった。
たぶん今も「ある意味」同じだろう?推測に小隊長はため息ついた。

「ああ、佐伯のヤロウとんでもないぞ?」

名前ひとつ呼吸かすかに乱れる。
それくらい「とんでもない」のだろう?そんな今いる場所に笑った。

「シゴキはどちらも大変ですね?」

こんな言い方いくらか皮肉だ?
それも受けとめる視線が笑った。

「大変だがな、刺激も必要だろ?」

望むところだ?
そんな眼はシャープに明朗で、この空気に英二も笑った。

「はい、すぐ着替えます、」

※校正中
(to be continued)
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