萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.22-another,side story「陽はまた昇る」

2017-03-23 09:30:00 | 陽はまた昇るanother,side story
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
harushizume―周太24歳3月下旬



第85話 春鎮 act.22-another,side story「陽はまた昇る」

なにも言えなかった。

「…は、」

ため息そっと立ち止まった街角、ウィンドーに花が咲く。
ふりむいた人波は改札口あふれる、あのむこう置き去りにしてきた。
言うべき言葉も言えない自分、こんなところまで逃げてきてしまった想いが唇噛んだ。

「…田嶋先生、」

名前つぶやいてガラスごし花が光る。
街角の店あふれる花々、その輝きに高峰の花が揺れる。

『北岳草って言われて思いだしたんだ、あの男も北岳みたいな貌だった。』

なぜあんなふう言ったのだろう、父の旧友は?

『訊くぞ、周太くんの本命はどんなひとだい?』

あの問いかけ真剣だった、でも怖い。
それなのに疼いて鼓動が軋む、言うべきだったと解るから。
話して、そうして信頼の真実お互いに見つめあえばよかった?

『だからなあ周太くん、俺を父親代わりにしてくれよ?』

あんなふう告げてくれた想い、どれだけ涙が深い?

『馨さんがザイルに命懸けて一緒に登ったのは、俺なんだ…誰にも譲れんだろ?』

命懸けて一緒に駈けた、父の唯ひとり。
その想いは自分より長い時間、そしてずっと深い篤い後悔。
それなのに自分は逃げてしまった、その言い訳と立ち止まる視界、ガラスの花園が咲く。

―どうしよう僕…きっと変な貌してる、今、

雑踏の声、埃っぽい風、どこか甘い明るい影。
靴音たち慌ただしい、こんな三月末は普通なら年度末。
きっと母も忙しく闊歩しているだろう?だって母は「普通」に働いている。

―そうだよね、普通なんだお母さんは…本当はどう想ってるのかな、

普通に会社勤めして、普通に役職も得て、普通に部下から食事も誘われる。
親しい同期の女性も普通のいわゆるキャリアウーマンで、普通に温泉が好きだ。
そんな母は普通に恋をして結婚して、けれど違ってしまったのは夫の死別が「殉職」だったこと。

―普通にがんばってきたお母さんなのに…どうして僕は、

父の殉職、それがどれだけ母を苦しめたろう?
その姿いちばん近くで見てきた、それなのに自分は何をしてきたろう?
そんな自分を理解したから、だから父の友はザイルを渡そうとしてくれている。

『馨さんの素顔は俺がいちばん知ってる。周太くんのお母さんにも譲らんよ?ザイルで命も繋いだ時間に異論は認めん、』

あのザイルは自分だけじゃない、母も救おうとしている。
あの華奢な母、その肩から荷を譲られようと父のザイルパートナーは笑ってくれる。

『俺にくらい素でもイイじゃないか、馨さんの代わりなんて言ったらオコガマシイけどな?』

ほんとうに?

あの言葉ほんとうに信じて、それでもザイルは切られない?
迷って疑いそうで、けれど考えめぐるガラスの花園に扉が開いた。

「やっぱり周太くんだわ、」

からん、

鐘の音に美しい声が微笑む、開かれた扉にエプロン姿たたずむ。
栗色なめらかな髪長く束ねた長身、その白い頬やさしい薔薇色に笑った。

「こんにちは周太くん、お花に逢いに来てくれたの?」

見つめる真中、色白やさしい薔薇色がまぶしい。
この笑顔ずっと逢っていなかった、それなのに呼んでくれた名前に微笑んだ。

「はい、あの…こんにちは由希さん?」
「名前ちゃんと覚えてくれたのね、うれしいわ。好きなだけお花うんと眺めていって?」

澄んだ声やわらかに笑ってくれる。
透明で深い、どこか不思議な響きの声に扉くぐって馥郁くるまれた。

「ん…いい香、」

甘い香、深い香、青い清々しい香。
すこし謎めいた芳香、さわやかな甘さ、香さまざま咲き誇る。
白、浅黄、桃色うす紅、あわい紫に青いろ水色、橙色から黄金きらめく。

「いい香でしょう?蝋梅と水仙を今朝お届けしたばかりなの、ここにも少し活けてあるわ、」

澄んだアルトが笑いかける、その白い手もと馥郁やさしい。
透ける黄色に白と黄金、それから薄紅あわい萌黄色に微笑んだ。

「クリスマスローズも…かわいい、蝋梅まだあるんですね?」
「山のほうは今が盛りよ、春らしい香だから活けたいってご注文いただいてね?クリスマスローズは今日いちばんの美人さん、」

花つむぐ声やわらかなに響く。
朗らかな澄んだ落ち着いた声、この声ただ懐かしく笑いかけた。

「あの、このあいだの水仙と花束ありがとうございました…水仙は押し花にして、」

花をくれた、そして名前を教えあった。
あの冬から月は流れて今、春ほころぶガラスの花園が微笑んだ。

「大切にしてくれてるのね?ありがとう、あの花束はお役に立てたかしら?」

ほら、優しい。
気にしてくれる優しさに周太は微笑んだ。

「はい、美代さん合格しました、」

このひとに伝えたかった、だって花束つくってくれた。
その願いに花屋の笑顔ほころんだ。

「よかった!おめでとう!」

薔薇色の頬ふわり明るむ、長い睫きらきら笑う。
瞳の底から喜び輝いて、ただ綺麗で優しくて鼓動そっと滲んだ。

「はい…由希さんが喜んでくれたこと美代さんに伝えます、」

伝えたら、あの女の子はすこし支えられる。
今すこしでも多く支えがほしい、そんな願いに涼やかな瞳が微笑んだ。

「ぜひ伝えて?あとね…よかったら周太くんのことも話して?」

どうして?

「え…?」

なぜ自分のことを?
解らなくて見つめた真中、涼やかな瞳やわらかに微笑んだ。

「おせっかいならごめんなさい、なんか心あふれそうな貌してるから…顔見知り相手のほうが気楽な時もあるでしょう?」

このひとは花の女神かもしれない、ほんとうに。

―だから僕つい来ちゃうんだ、ここに…今も、

花の女神、なんて24歳の男が言うことじゃない。
でも自分は想ってしまう、そのままに美しい瞳が笑ってくれた。

「ちょうどね、一休みにお茶を淹れたところなの。一緒してくれたら嬉しいわ、」

遠慮しないで、嬉しいから。

そんな言葉が微笑んでくれる、その声が瞳が静かに温かい。
だから気づいてしまう、このひとはいつも独りかもしれない。

―いつも由希さんしかいない…みんなで来たときも、英二との時も、

店だけだろうか、彼女の孤独は?
想い見つめるまま周太は肯いた。

「あの…ご迷惑じゃなければ、」
「迷惑ならお誘いしないわ、奥へどうぞ?」

涼やかな瞳ふわり笑ってくれる。
招いてくれる手は白く華奢で、その荒れた指先が温かい。

(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】


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