The cataracts blow their trumpets from the steep 風雪の滝
第83話 雪嶺 act.9-side story「陽はまた昇る」
雪壁いくつか出来てると思うんだけど切株があるのを選んでください、ものすごく大きいから埋もれていても解かると思う。
そう教えられたとおり月光の雪面、銀色かすかに黒い木肌のぞく。
グローブの指ふれても雪は硬い、凍結しばれる切株にピッケル突きたてた。
がつっ、
確かな手ごたえに氷雪が割れる。
慎重に刃先ふるい叩き割って、現れた年輪に英二は微笑んだ。
「よし、これだ、」
雪壁の蒼い影の底、あわい月光に切株はたたずむ。
幾星霜ここに生えるのだろう?感心と振り向いた。
「ありました、ここがポイントです、」
雪面ごし声かけた先、白い影が着実にやってくる。
裾ひるがえった合羽の下アサルトスーツが黒い、その体躯は小柄でも引き締まる。
防寒着もヘルメットも黒い、白いフードの翳マスクに顔も見えなくて、けれど無性に懐かしい。
―やっぱり周太なのか、周太?
ショートロープ手繰りながら暁闇を透かす、その距離まだ手も届かない。
けれどあと5mで隣に来るだろう、その視界に白い風がゆれた。
「っ、」
息呑んだ暁闇の底、蒼い雪面すべるよう雲がくる。
音もない風の色、けれど頬なぶった冷気に叫んだ。
「吹雪がくるぞ!走れっ、」
あれは白魔の影だ。
呑まれたら死ぬかもしれない、どうか間に合ってくれ走ってくれ。
ただ願い叫んだ真中で白いフードの顔こちら見る。
その動きにショートロープ軽く引っ張った。
「振り返るなっ、走れ!」
もし吹雪に呑まれたら視界すべて塞がれる、体温も奪われる。
そのリスク音もなく白く迫り圧し包む、もう近い危険にショートロープ手繰り叫んだ。
「確保してやるっ、飛びこめ!」
あと4mでここに来る、きっと周太なら間に合う。
ただ信じて見つめながら腰のカラビナ探り、ハーケンひとつ外した。
―すぐセルフビレイしたほうがいい、ツェルトだけでも被って凌げたら、
この雪壁で吹雪の直撃は遁れるだろう。
けれどザイルの相手が気遣わしい、だって体力が違う。
―もし周太なら今の山行で消耗したはずだ、喘息の発熱も、
雪山に慣れた自分とは違う相手、しかも呼吸器の爆弾を持っている。
それが冷気と湿度に耐えきるだろうか?心配はらうよう切株にハーケン突き刺した。
かつっ、
氷きらり跳ねて楔くいこむ、樹皮1cmほど入ったろう。
そのまま左手のピッケル振りあげ一撃、がつりハーケン打ちこんだ。
がつっ、
岩盤ならハーケンが歌う、けれど樹肌は鈍く受けとめる。
それでも深く撃ちこんだ楔に左手でザイル結わえハーネス繋いで、そして顔上げ叫んだ。
「飛びこめっ、受けとめてやる来い!」
白い大気あと5m、あと10秒で巻きこまれる。
蒼い翳ゆらり近づき迫って、けれど白いフードは駆けこんだ。
「っ…は、…っ、」
白いフードの翳が息こぼす、その呼吸が荒い。
この標高のダッシュは疲れたろう、安堵とねぎらい笑った。
「間に合いましたね、よかった、」
笑いかけタイトロープ縮めひきよせる。
このまま繋いでおけばいい、そんな思案とツェルト広げながら無線つないだ。
「登頂、ビバークに入ります、」
名乗らない、暗号文にて用件だけ。
そう決めてある通信先はひとこと返した。
「了解、気をつけて、」
馴染みの声は応えて無線すぐ切れる、こうして傍受を防ぐ。
―山岳ガイドなら無線機なんて当然持ってるもんな、小屋にもあるだろうし、
今いる斜面のむかいに籠城事件の小屋はある、しかも犯人は山のプロだ。
この吹雪と谷を挟んでも傍受される可能性が否めない、だから無線すぐ切ると微笑んだ。
「ツェルトで吹雪を凌ぎましょう、この雪壁で小屋からは見えないので安心してください、」
説明しながら簡易テント張ってゆく。
小さなスペースしか作れない、けれど寄添えば入れるだろう。
「失礼します、」
断りいれ抱き寄せて、白いフードの肩そっと強張る。
掌ふれる骨格は太くない、そして頬ふれる香に鼓動そっと軋んだ。
―周太の匂いだ、これで違う男だったら微妙だな?
さわやかで穏やかな香は木蔭を想わせて、そしてオレンジの香あまい。
こんな香も華奢な骨格も似ている、けれど間違えなら可笑しくて笑ってしまう。
ほんとうに正解ならいいのに?願望ごともぐりこんだ狭い空間、ほっと息つき話しかけた。
「気温が明方にむかって下がります、かなり冷えこむのでこの装備だと温め合わないと凌げません、吹雪に巻かれると尚更です、」
雪壁の影は風雪いくらか防げる、けれど吹きさらす野営であることは変わらない。
ザック座る雪面も凍え冷気くゆらせる、この状況から救いたくて膝に抱きあげた。
「男の膝なんて気持ち悪いでしょうけど我慢してください、雪の夜明は不慣れだと低体温症も起こしかねません、任務に差し支えたら困ります、」
もし周太なら、きっと体調を崩させてしまう。
―こんなビバークは喘息の炎症を悪化させる、冷えて熱出したらきっと、
違う男かもしれない、けれど期待は夢見たくて抱きしめる。
この香もアサルトスーツ透かす骨格も期待つのらす、そして期待の分だけ怖い。
―発砲した瞬間が雪崩の警告だ、もし周太なら俺は、
ここから狙撃する、そのために連れてきた男は誰だろう?
本当は誰なのか解からない、それでも膝の上かばう男を抱きしめている。
それは任務の責務が選んだ行動で、それ以上に個人的感情が鼓動を疼く。
君は誰?
「冷えてきましたね、喉は乾きませんか?」
ちいさなツェルトの空間は薄暗い、その薄い壁さらさら敲かれだす。
もう吹雪が到達した、そんな気配にザックさぐりテルモスを手渡した。
「紅茶です、蓋開けると飲み口があるので飲んで下さい、熱いから気をつけて?」
ヘッドランプ点けて、ふわり光の輪が明るます。
雪ふる音さらさら絶え間ない、風の唸り通るごとツェルトふるえて波うつ。
雪も風も吼えゆく嵐の底、ちいさな光と膝抱きあげた温もりが優しい。
―やっぱり周太かな、こんなに安らぐって、
吹雪のなかツェルト1枚でビバークする。
こんな状況は自分も初めてだ、それは山岳救助隊なら運がいいだろう。
それくらい天候いつも恵まれ無事にきた、けれど唯一度だけ巻きこまれた記憶に微笑んだ。
「吹雪にビバークは俺も初めてなんです、でも去年の三月に一度だけ危なかったことがあります、」
このことは秘密に隠されている、だからもし違う相手なら「事」かもしれない?
そんな心配かすかに見つめながらも懐の温もりに続けた。
「雪崩で谷へ落とされました、でもブッシュ帯、草叢があってスピードが緩んだのと落ちた先の雪がちょうどいい深さだったので助かりました、」
あれから一年が経つ、あのとき自分は境を彷徨った。
それを救ってくれた人がいる、あの信頼をランプの影に笑った
「そのとき助けに来てくれた仲間が今日も待機しています、この山に詳しい仲間も来ています、だから無事に必ず下山できますよ?」
ザイルパートナーも仲間もいる、だから必ず生きて帰られる。
そう信じるまま笑いかけて、けれどテルモスそっと啜る音しか応えない。
―やっぱり声を聴かせたくないんだな、周太なのか?
SAT隊員は「誰」なのか秘密にする。
だから声も聴かせないことは普通なのかもしれない、けれど面識ない相手なら問題ないはずだ。
それとも声だけでも身元あばかれる可能性を避けるのだろうか、解からなくて、それでも膝の温もりは優しい。
もし君ならば、この時間ずっと続けばいいのに?
「打ちあわせに立ち会われていたから解かるでしょうけど、俺のザイルパートナーは上官でもあるんです。山に生きている佳い男ですよ、いつも笑って真剣で、誰より山を憎みながらも愛していて。山ヤなら誰もが山を愛するだろうけど、あいつは憎むからこそ愛してるのかもしれません、」
ひとり言葉こぼれてくる。
返事してくれるわけじゃない、ただ思いつくまま語っているだけ。
それでも白いフードの翳かすかに頷いてくれる、この相槌だけでも幸せだ。
―うなずいてくれるたび香るな、木の葉みたいな匂いとオレンジと、
深い穏やかな爽やかな香、オレンジ優しい甘い香。
この香どちらも愛しい懐かしい、ずっと憧れて追いかけた時間が戻ってくる。
『宮田のばか、』
ほら記憶は呼び方も今と違う、声のトーンすら違う。
あのころ毎晩いつも一緒に勉強して、そうして寝落ちに眠りこんだ。
春から夏の懐かしい時間はじき二年経つ、あの小さな寮室からこんな遠くに来てしまった。
「そのパートナーには俺、いっぱい迷惑かけまくってるんです。仕事でもプライベートでも山をたくさん教わって、家族や恋愛まですごい迷惑かけています。だから帰ったら今までの借りきちんと返したいです、仕事でもプライベートでも今度はあいつのワガママいっぱい聴いてやります、」
ヘッドランプの小さな明かり、自分だけの声、そして雪と風の音。
薄暗いせまい空間で体温ひとつ抱いている、その温もりに唯ひとつの願い笑いかけた。
「でもね、そいつ以上にもっと迷惑かけまくってる人がいるんです。俺の身勝手でいつも振り回して、秘密も嘘もたくさん作ったんです、」
どうか君、本音このまま聴いてほしい。
いま体温ひとつ分け合うのは君だと信じている、違う他人かもしれないと思いながらも信じてる。
だから今ここで真実の欠片こぼして届けたい、こんな願いすら身勝手かもしれないのに唇が動く。
「ほんとうは秘密も嘘も俺は嫌いです、嫌いだからこそ大事な人のためなら出来ると想っています、自分のプライドよりも大事な人だから、」
そう、自分より何より君が大事だ。
大事だから大切だから護りたくて何でも出来ると信じている。
出来ると信じたから今だってここにいる、その願いごと抱えこんだ体温そっと身じろいだ。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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第83話 雪嶺 act.9-side story「陽はまた昇る」
雪壁いくつか出来てると思うんだけど切株があるのを選んでください、ものすごく大きいから埋もれていても解かると思う。
そう教えられたとおり月光の雪面、銀色かすかに黒い木肌のぞく。
グローブの指ふれても雪は硬い、凍結しばれる切株にピッケル突きたてた。
がつっ、
確かな手ごたえに氷雪が割れる。
慎重に刃先ふるい叩き割って、現れた年輪に英二は微笑んだ。
「よし、これだ、」
雪壁の蒼い影の底、あわい月光に切株はたたずむ。
幾星霜ここに生えるのだろう?感心と振り向いた。
「ありました、ここがポイントです、」
雪面ごし声かけた先、白い影が着実にやってくる。
裾ひるがえった合羽の下アサルトスーツが黒い、その体躯は小柄でも引き締まる。
防寒着もヘルメットも黒い、白いフードの翳マスクに顔も見えなくて、けれど無性に懐かしい。
―やっぱり周太なのか、周太?
ショートロープ手繰りながら暁闇を透かす、その距離まだ手も届かない。
けれどあと5mで隣に来るだろう、その視界に白い風がゆれた。
「っ、」
息呑んだ暁闇の底、蒼い雪面すべるよう雲がくる。
音もない風の色、けれど頬なぶった冷気に叫んだ。
「吹雪がくるぞ!走れっ、」
あれは白魔の影だ。
呑まれたら死ぬかもしれない、どうか間に合ってくれ走ってくれ。
ただ願い叫んだ真中で白いフードの顔こちら見る。
その動きにショートロープ軽く引っ張った。
「振り返るなっ、走れ!」
もし吹雪に呑まれたら視界すべて塞がれる、体温も奪われる。
そのリスク音もなく白く迫り圧し包む、もう近い危険にショートロープ手繰り叫んだ。
「確保してやるっ、飛びこめ!」
あと4mでここに来る、きっと周太なら間に合う。
ただ信じて見つめながら腰のカラビナ探り、ハーケンひとつ外した。
―すぐセルフビレイしたほうがいい、ツェルトだけでも被って凌げたら、
この雪壁で吹雪の直撃は遁れるだろう。
けれどザイルの相手が気遣わしい、だって体力が違う。
―もし周太なら今の山行で消耗したはずだ、喘息の発熱も、
雪山に慣れた自分とは違う相手、しかも呼吸器の爆弾を持っている。
それが冷気と湿度に耐えきるだろうか?心配はらうよう切株にハーケン突き刺した。
かつっ、
氷きらり跳ねて楔くいこむ、樹皮1cmほど入ったろう。
そのまま左手のピッケル振りあげ一撃、がつりハーケン打ちこんだ。
がつっ、
岩盤ならハーケンが歌う、けれど樹肌は鈍く受けとめる。
それでも深く撃ちこんだ楔に左手でザイル結わえハーネス繋いで、そして顔上げ叫んだ。
「飛びこめっ、受けとめてやる来い!」
白い大気あと5m、あと10秒で巻きこまれる。
蒼い翳ゆらり近づき迫って、けれど白いフードは駆けこんだ。
「っ…は、…っ、」
白いフードの翳が息こぼす、その呼吸が荒い。
この標高のダッシュは疲れたろう、安堵とねぎらい笑った。
「間に合いましたね、よかった、」
笑いかけタイトロープ縮めひきよせる。
このまま繋いでおけばいい、そんな思案とツェルト広げながら無線つないだ。
「登頂、ビバークに入ります、」
名乗らない、暗号文にて用件だけ。
そう決めてある通信先はひとこと返した。
「了解、気をつけて、」
馴染みの声は応えて無線すぐ切れる、こうして傍受を防ぐ。
―山岳ガイドなら無線機なんて当然持ってるもんな、小屋にもあるだろうし、
今いる斜面のむかいに籠城事件の小屋はある、しかも犯人は山のプロだ。
この吹雪と谷を挟んでも傍受される可能性が否めない、だから無線すぐ切ると微笑んだ。
「ツェルトで吹雪を凌ぎましょう、この雪壁で小屋からは見えないので安心してください、」
説明しながら簡易テント張ってゆく。
小さなスペースしか作れない、けれど寄添えば入れるだろう。
「失礼します、」
断りいれ抱き寄せて、白いフードの肩そっと強張る。
掌ふれる骨格は太くない、そして頬ふれる香に鼓動そっと軋んだ。
―周太の匂いだ、これで違う男だったら微妙だな?
さわやかで穏やかな香は木蔭を想わせて、そしてオレンジの香あまい。
こんな香も華奢な骨格も似ている、けれど間違えなら可笑しくて笑ってしまう。
ほんとうに正解ならいいのに?願望ごともぐりこんだ狭い空間、ほっと息つき話しかけた。
「気温が明方にむかって下がります、かなり冷えこむのでこの装備だと温め合わないと凌げません、吹雪に巻かれると尚更です、」
雪壁の影は風雪いくらか防げる、けれど吹きさらす野営であることは変わらない。
ザック座る雪面も凍え冷気くゆらせる、この状況から救いたくて膝に抱きあげた。
「男の膝なんて気持ち悪いでしょうけど我慢してください、雪の夜明は不慣れだと低体温症も起こしかねません、任務に差し支えたら困ります、」
もし周太なら、きっと体調を崩させてしまう。
―こんなビバークは喘息の炎症を悪化させる、冷えて熱出したらきっと、
違う男かもしれない、けれど期待は夢見たくて抱きしめる。
この香もアサルトスーツ透かす骨格も期待つのらす、そして期待の分だけ怖い。
―発砲した瞬間が雪崩の警告だ、もし周太なら俺は、
ここから狙撃する、そのために連れてきた男は誰だろう?
本当は誰なのか解からない、それでも膝の上かばう男を抱きしめている。
それは任務の責務が選んだ行動で、それ以上に個人的感情が鼓動を疼く。
君は誰?
「冷えてきましたね、喉は乾きませんか?」
ちいさなツェルトの空間は薄暗い、その薄い壁さらさら敲かれだす。
もう吹雪が到達した、そんな気配にザックさぐりテルモスを手渡した。
「紅茶です、蓋開けると飲み口があるので飲んで下さい、熱いから気をつけて?」
ヘッドランプ点けて、ふわり光の輪が明るます。
雪ふる音さらさら絶え間ない、風の唸り通るごとツェルトふるえて波うつ。
雪も風も吼えゆく嵐の底、ちいさな光と膝抱きあげた温もりが優しい。
―やっぱり周太かな、こんなに安らぐって、
吹雪のなかツェルト1枚でビバークする。
こんな状況は自分も初めてだ、それは山岳救助隊なら運がいいだろう。
それくらい天候いつも恵まれ無事にきた、けれど唯一度だけ巻きこまれた記憶に微笑んだ。
「吹雪にビバークは俺も初めてなんです、でも去年の三月に一度だけ危なかったことがあります、」
このことは秘密に隠されている、だからもし違う相手なら「事」かもしれない?
そんな心配かすかに見つめながらも懐の温もりに続けた。
「雪崩で谷へ落とされました、でもブッシュ帯、草叢があってスピードが緩んだのと落ちた先の雪がちょうどいい深さだったので助かりました、」
あれから一年が経つ、あのとき自分は境を彷徨った。
それを救ってくれた人がいる、あの信頼をランプの影に笑った
「そのとき助けに来てくれた仲間が今日も待機しています、この山に詳しい仲間も来ています、だから無事に必ず下山できますよ?」
ザイルパートナーも仲間もいる、だから必ず生きて帰られる。
そう信じるまま笑いかけて、けれどテルモスそっと啜る音しか応えない。
―やっぱり声を聴かせたくないんだな、周太なのか?
SAT隊員は「誰」なのか秘密にする。
だから声も聴かせないことは普通なのかもしれない、けれど面識ない相手なら問題ないはずだ。
それとも声だけでも身元あばかれる可能性を避けるのだろうか、解からなくて、それでも膝の温もりは優しい。
もし君ならば、この時間ずっと続けばいいのに?
「打ちあわせに立ち会われていたから解かるでしょうけど、俺のザイルパートナーは上官でもあるんです。山に生きている佳い男ですよ、いつも笑って真剣で、誰より山を憎みながらも愛していて。山ヤなら誰もが山を愛するだろうけど、あいつは憎むからこそ愛してるのかもしれません、」
ひとり言葉こぼれてくる。
返事してくれるわけじゃない、ただ思いつくまま語っているだけ。
それでも白いフードの翳かすかに頷いてくれる、この相槌だけでも幸せだ。
―うなずいてくれるたび香るな、木の葉みたいな匂いとオレンジと、
深い穏やかな爽やかな香、オレンジ優しい甘い香。
この香どちらも愛しい懐かしい、ずっと憧れて追いかけた時間が戻ってくる。
『宮田のばか、』
ほら記憶は呼び方も今と違う、声のトーンすら違う。
あのころ毎晩いつも一緒に勉強して、そうして寝落ちに眠りこんだ。
春から夏の懐かしい時間はじき二年経つ、あの小さな寮室からこんな遠くに来てしまった。
「そのパートナーには俺、いっぱい迷惑かけまくってるんです。仕事でもプライベートでも山をたくさん教わって、家族や恋愛まですごい迷惑かけています。だから帰ったら今までの借りきちんと返したいです、仕事でもプライベートでも今度はあいつのワガママいっぱい聴いてやります、」
ヘッドランプの小さな明かり、自分だけの声、そして雪と風の音。
薄暗いせまい空間で体温ひとつ抱いている、その温もりに唯ひとつの願い笑いかけた。
「でもね、そいつ以上にもっと迷惑かけまくってる人がいるんです。俺の身勝手でいつも振り回して、秘密も嘘もたくさん作ったんです、」
どうか君、本音このまま聴いてほしい。
いま体温ひとつ分け合うのは君だと信じている、違う他人かもしれないと思いながらも信じてる。
だから今ここで真実の欠片こぼして届けたい、こんな願いすら身勝手かもしれないのに唇が動く。
「ほんとうは秘密も嘘も俺は嫌いです、嫌いだからこそ大事な人のためなら出来ると想っています、自分のプライドよりも大事な人だから、」
そう、自分より何より君が大事だ。
大事だから大切だから護りたくて何でも出来ると信じている。
出来ると信じたから今だってここにいる、その願いごと抱えこんだ体温そっと身じろいだ。
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【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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