萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.26-side story「陽はまた昇る」

2017-06-23 23:00:17 | 陽はまた昇るside story
Drown my world with my weeping earnestly,
英二24歳3月下旬


第85話 暮春 act.26-side story「陽はまた昇る」

“愛しい君へ”

何が違ったのだろう、自分は。
この手紙を宛てられたひと、その人と自分は何が?

どうして?

「…どうして俺はダメなのかな、」

問いかけ潮騒ふれる、カーゴパンツ沁みる岩が硬い。
波ながめる足もと若草なびく、ほろ甘い苦い辛い風。

「だめって英二、何についてかしら?」

低いアルト微笑む、その瞳が切長い。
自分の眼とすこし似ている、でも違う。

「ここだよ、」

ブルーブラック指さして筆跡なぞる。
綴られた言葉ひきよせる、よせる波くりかえす想い笑った。

「愛しい君へってさ、俺、いちども言われたことないんだよ?」

どうして自分は、言ってもらえない?

「英二…?」
「言われたことないよ俺、ほんとにさ?」

笑いかけて朝の海、祖母の瞳が映る。
皺も華やかな目もと似ていて、それでも違う人に笑った。

「母さんはもちろんだけど、姉ちゃんにも言われたことないよ?父さんにも、」

愛しい君、

そんなふう微笑まれ育ったら、自分は違ったろうか?
けれど誰にも見つめられなかった現実に海が香る。

「お祖父さんにもない、鷲田の祖父は想ってるらしいけど言われたことはないよ?能力を褒めてもらうことはあるけどさ、」

父母も祖父も、姉も、誰も自分を呼ばない。
家族にすら呼んでもらえない感情に微笑んだ。

「愛してるって、あなたにも言われたことありませんよ?お祖母さん、」

自分と似ている、そう思うことも多い。
けれど愛されているだろうか?解らない感情に潮騒さざめく。

「家族にも無条件の愛情はもらえなかったんだ、そんな俺が他人を愛せるわけないですね?」

もし愛されていたら、愛せたろうか君を?

―…英二、どうして?

響きだす、君の声。

―…どうして英二、わかってくれないの?

潮騒に君が問う、記憶ふかく涙が光る。
黒目がち滲んだ瞳まっすぐ見あげて、泣いている君の心。

「お祖母さんが言う通りですよ、俺は周太を傷つけてばっかりです。愛してるつもりで違ってばかりだ、」

なんど傷つけたろう、泣かせたろう?
まだ2年も経ていない君との時間、それなのに涙の数が多すぎる。

「この手紙で俺にも解ります、これは斗貴子さんの言葉だけど周太そっくりだから、」

そっくりだ、君とこのひとは。

「ここ、さっきお祖母さんも言ったところ、」

指さして筆跡、ブルーブラックあざやかに告げる。
コピーされた手紙、それでも響きだす想いの聲。

「君のお祖父さんに新しい奥さんを迎えてとお願いしました、ってとこね?」

祖母の声なぞってくれる、この声は彼女とたぶん似ていない。
それでも繋がれた血縁の聲に微笑んだ。

「周太も同じことしたんです、俺に、」

同じだ、このひとも君も。
だから違うのだと解って、その差が悔しい苦しい。

「周太くんが、英二に?」
「そうですよ、俺たちはリスクだらけでしょう?」

微笑んで潮騒ほろ苦い。
ずっと最初から解っていた、それでも選びたかった。

「男同士で、警察官なんて明日が解らない仕事で。それに周太は馨さんの真相を知ろうとしてた、だから危ない部署にいたんですよ?」

なにひとつ生みだせない、明日も解らない。
いつが最後の言葉になるか知れない、それでも選びたかった。

「周太が何をさせられていたか、あなたも調べましたよね?お祖父さんの書生が検察庁で出世してるから、長野でも間に合ったんでしょう?」

そういうところ自分と似ている、この人も。
それでも通わない感情へ微笑んだ。

「周太は俺を危険に巻きこみたくないって言ってたよ、それで他の誰かと俺がつきあうように仕向けたんだ、二度も、」

いつも君はそうだった。

「二度って英二、男性と女性に?」
「あいかわらず冴えてますね、あなたは、」

肯定と笑った真中、切長い瞳ゆっくり瞬く。
考え廻らす視線に微笑んだ。

「小嶌さんと俺にデートさせたんですよ、ふつーにお茶飲んで終了させましたけど、」

あの時間ずっと昔に感じる、それくらい遠い感情。

「美代ちゃんに聴いたわよ?告白したけど憧れと恋愛は違うって諭されましたって。気づいてて英二、かわしたんでしょう?」

低いアルトすこし笑っている。
あいかわらず華やかな笑顔に微笑んだ。

「周太の女友だちを相手にするとか悪趣味すぎですよ、女は責任問題になるし、」
「そうね?なるほど、」

祖母の声がうなずく、その視線が言った。

「妊娠の嘘に騙されたこともあったわね、英二も。騙されて、警察学校を無許可で脱け出して、」

こういうカード、このタイミングで切ってくる。
だから嫌な相手に笑った。

「殺されたら可哀相だと思ったんだよ、鷲田の祖父ならやりかねないでしょう?」

そういう祖父だ、そして自分は似ている。
それが嫌で逃げたかった想い言われた。

「安易に体をゆるす女性は口も頭もゆるいと判断されるわね、それでは鷲田のお家は務まらないでしょう?」

判断される、務まらない。
そんな言葉たちに自分も視られてきた。

「そうですよ?おかげで俺も嘘が巧くなりました、」
「英二の嘘は本心からだものね、みんな騙されてしまうわ、」

ほろ苦い甘い潮騒、声ふたつ笑う。
共に笑って、けれど外れない壁のまま微笑んだ。

「俺も俺自身を騙してますよ、周太じゃない男とセックスしてからずっと、」

どうして、あんなことしたのだろう?

「ずいぶん露骨に言ってくれるわね、こんなオバアサン相手に?」
「あなただから言えるんですよ、」

微笑んだ潮騒に呆れた視線が笑う。
切長い美しい瞳に口開いた。

「男の愛人なら面倒がないと中森さんにも言われました、結婚しなくても優秀な子供を作ればかまわないそうです、」

跡継ぎが出来ればいい、それで自由になれる?
けれど何のために自由を?

「鷲田の祖父は愛人としてなら周太を受け入れると思いますよ、でも周太はそんなの似合わない、」

君を「愛人」にしたくない。
それでも諦めきれない煩悶、声になる。

「周太は苦しんできたんです、秘密だらけで父親が殺されて、友達もいなくて、母親と二人で孤独で。警察官だって本当になりたかったわけじゃない、でも、それでも背中まっすぐにしてる周太だから…俺は好きになったんです、」

好きだ、今も。

「はっきり言えば周太は不幸まみれだ、でも周太の眼きれいでしょう?不幸でも穢れない周太が不思議で、どうしようもなく好きになって、」

好きだ、どうしようもなく。

「男同士なんてバカげてるって思いました、男だらけの環境に錯覚してると思ったし、同性愛の差別も知ってるし、それに」

バカげてる、錯覚かもしれない、差別のリスクも高い。
そんなこと解っている、それに、

「それに俺も、ふつうの、幸せな家族がほしかったんです。信じられないでしょう?」

ふつう、普通、ふつうの幸せ。

ありふれたあたりまえ、それがほしかった。
それだけ自分こそ「不幸まみれ」なのだろう、いまさらの自覚に微笑んだ。

「ただ愛してるって言われたかったんです俺も、この手紙にあるみたいな幸せが俺もほしいんだ、」

だから「どうしようもなく」君だった。

「出会ったころの周太はこの手紙まだ読んでないけど、それでも斗貴子さんの愛情は周太のなかに生きてたよ?俺なんかにも解るくらいに、」

だから君だ、こんなに愛されている君だから。

“愛しい君へ”

この言葉ほしかった、自分も。
ずっと求めて探して、それなり傷ついて、どこか醒めていった自分の感情。
ただ不信感だけ募らせて、それでもどこか期待して願って、出逢ってしまった想い微笑んだ。

「こんな俺を抱きしめて泣かせてくれたんだ、こんな俺を愛してるって本気で言ってくれたんだよ?初めてだったんだ俺、」

初めてだった、自分こそ。

「愛してるって本気で、心の底から抱きしめられたの初めてだったんだ。だから俺、ぜんぶ捨てても周太がほしかった、」

愛しい君、そう言ってくれた初めてのひと。
だから命も懸けたかった、なにもかも君に。

「お祖母さん、こんな俺を愛してくれたのは周太だけです。今は心が離れたんだとしても、俺も一度は愛されたんです、」

愛してもらった、自分も。

「周太だけが俺を見てくれたんです、能力とか貌じゃなくて俺を見て、俺を愛してくれた唯一人です、」

ただ一度、唯ひとり愛してくれたひと。
だから追いかけてしまう、どうしようもなく逢いたくて、わからない。

「でも傷つけたんです、俺の自己満足で周太のプライドを傷つけて、周太の気持ちを利用して他の男を抱いて溺れて…どうしていいか俺はわからない、」

わからない、どうして、どうして?

「どうしたら周太をちゃんと愛せるのか解らないんです、どう愛していいか解らない、愛してるつもりが傷つけるばかりで、」

唯ひとり愛してくれたひと、その愛に返せない。
こんなに求めて愛して、それなのに、どうして?

「どうしたらいいのかな俺、こんなに逢いたくて傍にいたくて…でも、小嶌さんなら周太をちゃんと愛せるんでしょう?」

自分には出来ない、だから彼女が選ばれる。

「女で学者になりたくて周太と同じ道に生きられる、なにより彼女は愛されて育ってますよね?愛しかたを知ってる、」

嫉ましい、どうしようもなく羨ましくて。
どうして自分はそうじゃない?

「お祖母さん、どうして俺は彼女みたいになれなかったんだろう?どうして俺は愛されなかったのかな、」

どうして?

問いかけ見つめて潮騒が鳴る。
この波打ちぎわ君がいた、その夏はもう遠く遠く届かない。
あのとき隣で笑って見つめてくれた、抱きよせて温かで、その温もり包まれた。

「愛してるわ、ずっと、」

潮騒が鳴る、

「英二、愛してるわよ私だって…生まれる前から待ってたわ、」

潮騒ほろ苦い甘い、頬ふれる温度しずかに凪ぐ。

「あなたの無事を祈って待ってたわ、無事に生まれて抱っこさせてと祈ってたのよ私だって、」

背中ふれる温もり抱きしめる、ふれる温度かぼそい。
こんなに華奢だったろうか?

「信じられないでしょう?私も愛情表現へたくそなのよ、だからこの手紙を読んでほしかったの、斗貴子さんの気持ち私も同じだから、」

耳もと低いアルトふれる、こんなに近く聴いたことない。
いつも向かいあっても離れていた、その声が頬すぐ笑う。

「可笑しいでしょう?亡くなったひとに代弁してもらうなんて…こんなふうに私も伝えられたら良かったのに、ごめんね、」

潮騒やわらかに温かい、頬ふれる温もり沁みる。
肌つたう温度やわらかに静かに、ふれる。

「ごめんなさい英二、いまさらだけど…斗貴子さんみたいにはできない私だけど、あなたを愛してる、」

愛されていた、自分も?
ほんとうに?

「周太を俺から引き離したのに?」

疑念こぼれる、声になる。
ほんとうに?

「引き離したわ、幸せになってほしいから、」
「どうして?」

問いかけ背中、かぼそい温もり強くなる。
痩せた腕は老いた時間、その温度やわらかに笑った。

「子どもを抱く孫を見たいって、人並みの幸せは欲ばりかしら?」

人並みを、このひとも願うのだろうか?

「英二に愛することを知ってほしいのよ、無条件の愛情はいちばんの幸福感だから、」

やさしい温もり抱きしめられる。
かすかな花の香あまい、幼いころから知る香。
この香こんなに近いことあったろうか、その腕しずかに解いて笑った。

「俺は周太に無条件ですよ?俺の体を好きにされても、幸せでした、」

あの夜、どんなに幸福だったか君も知らない。
あの初めての感情と感覚に微笑んだ前、祖母の瞳ゆっくり瞬いた。

「好きにされてって、周太くんが英二を?」
「そうですよ、信じられないでしょう?」

笑いかけて可笑しい、自分でも不思議だ。
つい笑って視界ゆっくり滲んで、海が光る。

「信じられないっていうか、まあ…予想のナナメウエって、こういうことね?」

驚いた、その呆気が自分を映す。
こんな貌もするんだ?つい笑った真中、言われた。

「予想のナナメウエでもなんでもいいわ。覚悟して選んだ道でも予想外の道でもね、そこを通らなくては辿りつけない幸せがあるわ、」

低いアルト、潮騒に笑っている。
その瞳まっすぐ自分に告げた。

「英二も周太くんの道を肯定できるわ、愛しているなら、彼の自由も愛せる、」

祖母の声に海が香る。
ほろ苦い甘い風のほとり、聴いた声に聲に波まばゆい。
光くだける潮騒、砂に生える草、そして波うつブルーブラックの筆跡。

(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】

第85話 暮春act.25
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山岳点景:山湖夜景

2017-06-23 22:18:02 | 写真:山岳点景
雲うつる残照、水鏡わたる灯火。


撮影地:山中湖@山梨県

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