富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

2017年幕開けです。

2017年01月30日 | パソコンサークル

2017年・・・の最初の記事になりました。
それぞれに苦心や工夫された年賀状が届いて、ほんわかした気分で見てた「正月」があっという間に過ぎて
平成29年が幕開けました。・・・それはそうと、どうやら「平成」と名乗るのもあと2年だけになりそうな気配です。

余談になりますが、昭和から平成になるときに、年号の候補があったという話をお聞きになったことがありますか?
「平成」「修文」「正化」らしいのですが、必ずしも確かな話ではないのですが・・・・
この中から「平成」が選ばれた経緯というか理由がわかりますでしょうか・・・
それは、「平成」だけがそのイニシャルが「H」であり、あとの候補が「S」であることが落選の理由という話で

というのも、よく和暦の年号を表記するときに明治は「M」、大正は「T」、昭和は「S」と
アルファベットで略すのに、「S」がかぶるのが都合が悪いとの理由です。
これは、エクセルでも大いに意味があって、年月日を「S28/8/21」と入力すると
ちゃんと「1953/8/21」と認識される仕組みがあって、重宝してるので
イニシャルがダブるとめっちゃ困ってしまいます。

はじめから、今回限りの「退位」って言うのがありきの議論であって
退屈な「天皇退位論」でしたが、引き続き年号制を維持するのだとしたら
次の年号は「M/T/S/H」以外のイニシャルになるよう決めていただきたいデスね。

一方、ここらの年明けは、何年ぶりかの積雪からくる雪害で、
集落内の道路という道路がマヒして、役場には苦情の電話が殺到。
それでも、除雪はままなりませんでした・・・・
このパニックに至った真ん中にいて、自分なりにいくつかの感想と実感をもったものでした。

一つにはこの町にこうした「災害」に即時に対応できる「建設業」の数が激減している現状です。
そのことから、除雪できる機械とそのオペレーターの絶対数も同時に足りない状況で
数年前と大きく異なって、たとえ行政が早期に手配し対応しようとしても
到底間に合うはずもないのです。
いわゆるこの町が発揮しうる「公助」のスケールは
ここんとこの公共事業費の締め付けによって、廃業や撤退などがかさむ業界にあわせて縮小しているのです。
そこで、本当には、こうした際に最もあてにすべき隣り合う者たちの「共助」というものが
よりどころになり、頼りになったはずです。
すくなくともその用意のあった区や集落では・・・・

けども現実は、高齢化や世知辛い現実と
あるいは、世代間の格差からくる共通理解の不足もあって
たとえば、大雪のあった月曜日などは、本来なれば
早朝みんなが助け合って本業を休んででも集落内の雪かきを一斉にするなどの
思い切った「助け合い」がはじめにあって当たり前でした。
けども、必ずしもどこかしこもがそうではなく、
一方的に、電話をかけては、時には怒鳴り散らしてでも、自分とこの町道や
道路の除雪作業などの「公助」ばっかりを求め、
遅い対応の行政を批判してばかりだったことも目立ちました。
わからないこともありませんが、行政の対応に限界があることを
知っておくべきでした。

余談ですが、たとえばこういう一面もあります
ある政党活動されている議員さんは、広報誌を各戸にくばり
「困ったら、何でも私に言うてください」と声かけられて回っておられると聞きます。
それが、さも「議員」というありようであるかのように・・・

彼らは今回どうだったのでしょう・・・
出動した際に、雪かきにくたびれた住民の一人に「行政は遅い、
同じ税金払うとるに・・・」
「こういう場合は議員さんにゆうたほうが早いんか?」と詰問されたことがありました。

それでは・・・議員さんに言うと、議員さんが来てくれて
「除雪」してくれはるんかと言うと
そうではありません。想像の域にしか過ぎないけど
議員に助けを求める人の多くは、議員からの行政へのアクセスを期待し
議員は、議員で役場に電話するか、時には自ら、出向いて呼びつける格好で
除雪の順番を変えてでも、自分のクレームを優先させ結果、「公助」の連発となることも
顧みずに、自己満足的にこういうことを、「仕事」としてしまいがちです。

私見ですが、議員とか公的な立場で直接的に行政へのアクセスは
広い意味での「口利き」で、逸脱した法令違反にも見えます。
そもそも区という自治会の活動を頭越しに、
一人の議員が、功名を得るように「公」にいきなりアクセスすることが
ええノか悪いのかわかってもおらず、たかだか町議の選挙目当てだとしたら
なおのこと、本末転倒に見えてきます。それを許容する人もまた意識が低いと言わざるを得ません。
こういう風土自体にも、「共助」が醸成されない要因があります。

高齢化にあわせて、人口減少や経済規模の縮小に見舞われて
この町の財政規模がますます小さくなっていく以上は、「共助」こそが
その核になることは、繰り返される「震災」から学んでいるはずです。

たとえば、各区にある除雪の機械への交付金であったり
全額でないにしても、除雪作業への負担に補助を与える仕組みであったり
そうした「仕組み」作りこそが、
この雪害のパニックからクローズアップされた課題だと感じています。

公助は確かに「楽」に思えても、財政上は、もう容易に期待できるほどの容量もなく
合併したことの特別な「プール金」も、とっくに底をつき、
この町にあふれたインフラへの過剰投資が、維持費と管理費という名で跳ね返って来る日が
間近に迫ってきている現実がここにあります。

よく「自己責任」などという漠然とした「押しつけ」がコイズミ以降のこの国にはびこっていますが
それを言う割に、自己責任を保証する手立てが法令化されたりはしていません。
「もう面倒は見ません」ということが増えたのであって
何人かでやろうとすることに実はバックグランドも支援の仕組みもないのです。

だからこそ、「共助」がこうした当てにできない状況を切り開き、
その支援として、たとえば「クラウドファンディング」などという手立てがあるのであって
公助が期待できない以上、それに代りうる手立てや仕組みをこれからどう作るのかが
実は喫緊の課題だとも思えます。
共助を支援する意識が行政にあったとしたら、
住民側にも従来のように、要望という地元へのおねだりに明け暮れることもなく
たとえば試みをクラウドファンディングを募って実現しようという意気が上がってくるだろうと思えます。

・・・・などとエラソーにも、
思いついた遅い年明けが僕の正月後の感想です。

 

相変わらず前置きばっかりがくどいのですが
2017年のサークルは、とにもかくにも
「エクセル」強化を前面に出して、2月8日(水曜)に起動しようと思っています

この記事に気づかれたら会員相互の連絡お願いします。


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