野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2022年12月25日 高山不動から諏訪神社参道を経て鎌倉峠

2022年12月31日 | 奥武蔵へようこそ
(歌碑の近くにあるベラヴィスタ上からの眺め)

12月。秋は賑やかだった奥武蔵でもめっきり歩く人が少なくなる。こういう人恋しくなる季節は昔からある参詣道や峠道をのんびりと歩きたくなる。そこで今回は間野集落から高山不動尊にお参りし、八徳集落へ下った後、学校道を使って顔振峠まで歩くことにする。下山ルートは一般ルート扱いながらまだ歩いたことのない諏訪神社参道を使い、時間が許せば高麗川を渡って鎌倉峠を越える予定だ。

間野から高山不動を経て顔振峠
朝8時前に西吾野駅に着く。普段はバリエーションルートを歩くため所要時間の予測が難しく、朝一の電車で来ることが多いので、久しぶりにゆっくりとした出発である。今日はクリスマスなのだが、駅を降りた登山客は意外に多い。装備を整えていると大半の登山客は出発した後であった。歩き慣れた駅前の坂道を下り、北川道路を遡って間野集落へ向かう。今年はラニーニャの影響で厳しい寒さとなっており、日差しの無い北川の谷は風が吹いて酷く寒い。斜面に家々が密集した間野集落内を登っていく。家は多いのだが、あまり人気は感じられない。道標にしたがって小道を左に入る。振り返ると西武秩父線が見え、ちょうど特急ラビューが通り過ぎていった。

(間野集落上部から西武秩父線を望む)

小道は登山道へと変わり、杉林の中を九十九折に登っていく。所々薬研堀になっていて道の古さを感じさせる。立入禁止のロープが張られた分岐を見送ると傾斜の緩んだ尾根を進む。尾根の東側に付けられた道が古い道のようだが、迂回路が設けられている所もある。再び傾斜が急になると道は小さく九十九折に登っていく。やがて頭上に古びた木造の建物が見えてくる。萩ノ平茶屋跡に到着だ。数年前の大雪でベンチが置かれていた休憩スペースの屋根部分はすっかり壊されてしまったが、壁のある小屋の部分だけはまだ形をしっかりと残している。ここでお婆さんが茶屋を営んでいるのを見たのは山歩きを始めた頃だったので、廃業してからもう10数年は経っているのではないだろうか。

(V字の薬研堀 奥武蔵の古い道はこうなっていることが多い)


(真っ直ぐ進む道が古い道のようだ 左に迂回路もある)


(掘割ったような道)


(萩ノ平茶屋跡)

萩ノ平より先は比較的傾斜の緩やかなトラバース道が続く。ここまで来てしまえば高山不動までは体力的に厳しい所はない。尾根に出ると赤坂と呼ばれる平場に出る。南にも尾根が延びていて、分岐であることを示す道標と石仏が置かれている。古い地形図を見ると南の尾根に道は描かれていないが、古い石の道標には「左 あがの」と彫られており、何らかの道があったことは間違いないようだ。緩やかに尾根道を進み、愛宕山を南から巻くと大峠分岐に着く。不動三滝を示す道標があるのが目印になる。祠のある大峠方面への分岐を分けると道はトラバースしながら下り、不動堂と大イチョウとの分岐に着く。不動堂方面に上がると珍しく誰もいない。不動堂には白い布が掛けられており、正月準備が進められていた。

(赤坂)


(左の道標には「左 あがの」と彫られているように見える)


(大峠分岐)


(高山不動)

高山不動まで来たら大抵は奥の院である関八州見晴台まで足を延ばすのだが、今日は寄り道せずに八徳(やっとく・やっとこ)を目指す。下の広場へ下りると大イチョウがあるのだが、もうすっかり葉を落としていた。広場の地面には都会ではあまり見られなくなった霜柱があちこちにできていた。寒いのはもちろんのこと、山の方がいくらか湿度も高いのだろう。旧高山小学校の前を通り、民家前の展望地に出る。高畑山から伊豆ヶ岳にかけての尾根の向こうには川苔山・蕎麦粒山・三ツドッケ・七跳山などの奥多摩の峰々が一望できる。高山不動がある限りここの眺めが損なわれることは無さそうだ。

(大イチョウ 葉をすっかり落としている)


(広場からの眺め 枝が邪魔するのであまり良い展望とは言い難い)


(霜柱 平地は異様に乾燥しているせいかあまり見られない)


(民家前の展望地からの眺め 七跳山はもしかすると大平山かもしれない)

一旦車道を上がって嶽ノ越への山道に入る。周囲をじっくり眺めてみると随分と墓が多い。道が良いのも納得である。道標の立つ嶽ノ越から八徳へ下る道は以前登りに使ったことがある。途中九十九折で足が止まるほど体力的に厳しい道だった記憶がある。まずはその九十九折を下る。急斜面ということもあり、歩きやすいとは言い難いが、道はよく整備されている。荒れた雰囲気は全くなく、八徳と高山不動を行き来する人がそれなりにいるのだろうと推測される。15分ほど下ると傾斜が緩み、トラバース道へと変わる。沢の合流点を過ぎると薄の生える明るい谷に出て、橋を渡ると八徳に着く。終始よく整備されているが、下りに使っても足腰に疲れが出るほど厳しい道だったことは間違いない。

(嶽ノ越)


(九十九折を下る 道は細いがそれほど歩きにくくない)


(沢が右手に見えてくるとトラバース道へと変わる)


(明るい谷に出た 八徳まではあと少し)


(こういう光景が好き)

舗装路を少し下ると林道八徳入線が分岐する。ここを入ると掃除をする地元の小母ちゃんに出会う。結構な山奥で地元の人に出会うとやはり嬉しい。傾斜の急な車道を登っていくとヘアピンカーブの所から中腹道が風影(ふかげ)へと延びている。以前コメント欄でこの道のことを地元では下の学校道と呼んでいることを教えていただいた。確かに子供たちだけで歩いても問題ない程度によく整備された道である。二度沢を横切ると道は登り始める。林道本田沢(もつたさわ)線に出合うまでずっと登りが続くので、ここは急がず登っていく。本田沢線を横切るとフラットな道になる。大松尾根が南へ分岐する所で顔振峠への中腹道に入る。諏訪神社参道を真っ直ぐ目指すのなら風影への道に入ったほうが良いが、今日は顔振峠南の摩利支天で昼食を取る予定だ。

(林道八徳入線に入る)


(八徳集落下部)


(八徳と風影を結ぶ学校道)


(九十九折を登る 一度登り始めたら本田沢線に出合うまでずっと登り坂が続く)


(林道本田沢線を横切る)


(羊歯の葉が生い茂る かつてはもっと藪っぽい雰囲気だった)


(風影・顔振峠との分岐)

顔振峠への中腹道は緩やかな登りが続く。「顔振峠へ」といっても実際は500mほど西にある歌碑の前へと出る道だ。15分も歩くと前方に建物が見えてくる。暗い杉林を抜けるとベラヴィスタの建物を見下ろす展望地に出る。以前もこんなに展望の良い所だったか記憶にない。ベラヴィスタの右に見える大きく盛り上がった山は大高山だ。そこから右に尾根を辿るとU字を描いた前坂の鞍部があり、右端には西武建材の吾野鉱業所が少しだけ見える。奥は丹沢から奥多摩にかけての尾根が見え、ベラヴィスタの真上に見える独立峰は大山だ。大山の右に連なるのは丹沢山地で、段々と低くなると奥多摩の峰々が見えてくる。一際高く凸凹とした山は大岳山で、真っ白に雪化粧した富士山を挟んで大岳山と対峙するのは御前山だろう。ここから富士山が見えるということはベラヴィスタのテラスからも眺められるのではないだろうか。

(顔振峠への中腹道)


(歌碑の近くにあるベラヴィスタ上からの眺め)

展望地から上がった所はグリーンラインで、歌碑は道路の向こう側にある。写真を撮っているとトレイルランナーや登山者が通り過ぎていく。高山不動では人に会わなかったが、顔振峠では結構な人出に遭いそうだなと思った。店を閉めている富士見茶屋を過ぎると顔振峠に立つ茶屋街が見えてくる。眺めの良い峠とよく言われるが、峠から南側の展望を楽しむには平九郎茶屋の駐車スペースか顔振茶屋の敷地に入らなければならない。それなら摩利支天下の展望案内板からのほうが気兼ねなく眺めを楽しめる。平九郎茶屋の脇から峠道を下ると摩利支天のお堂が立ち、その脇にはベンチの置かれた休憩所がある。ちょっと早いがここでカップラーメンを作り、昼食休憩とした。

(歌碑)


(富士見茶屋 現在は店を閉めているようだ)


(顔振峠の茶屋街)


(摩利支天横の休憩スペース)

諏訪神社参道を下る
昼食をのんびり取っていると峠道を次々と登山者が登ってくる。冬場は空気が澄んでいるので眺めの良い所には人が集まりやすいのだろう。昼食を終えて峠道を下ると展望案内板のある展望地に着く。ベラヴィスタ上からの眺めだと御前山より西は隠れてしまっていたが、ここはその隠されていた西側の部分がよく見える。伊豆ヶ岳や武甲山が見えるのは大きなセールスポイントであるが、それとともに風影の集落の様子が見渡せるのも良い。峠道を更に下ると林道風影線に下り立つ。林道を南に下るとグリーンラインに接続する。育代山への山道を見送り、阿寺集落の最初の民家が見えてくる辺りで林道が南へ延びている。これは諏訪神社参道や虎秀山ルートに接続する道で東吾野へと書かれた道標も立っている。今回はこれを使わず、民家のガレージ脇から諏訪神社参道・虎秀山ルートに入る。

(顔振峠下の展望スペースからの眺め)


(林道風影線に下り立つ)


(諏訪神社参道・虎秀山ルートの入口に立つ看板)


(諏訪神社参道周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

諏訪神社参道・虎秀山ルートは2013年2017年の過去二度歩いている。虎秀山ルートは途中荒れ気味だった記憶があるが、諏訪神社参道はどうだろうか。まずは伐採地を下る。歩く人が少ないのか草を被る所が多い。林の中に入ると先ほど見かけた林道が合流してくる。林道の広さになった道は途端に歩きやすくなる。緩い尾根を下っていくと左に道が分岐する。左の道に入ると以前訪れた阿寺の岩場に出られる。今回は更に道なりに緩い尾根を進む。一様に下っていた尾根が登り坂へと変わる所が「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)に大ダナツチと書かれている地点で、諏訪神社参道と虎秀山ルートとの分岐でもある。

(グリーンラインから分岐していた林道に合流)


(左は阿寺の岩場方面へと下る 今回は正面を行く)


(大ダナツチまでは林道のような広い道が続く)


(大ダナツチ)

虎秀山ルートは過去に歩いているものの、宝山の頂上は登山道から外れているので、今まで一度も訪れたことがなかった。今回は諏訪神社参道を下りる前に頂上へと寄り道していく。宝山への登り坂に入ると植林地の上を通る。まだ木は大きくなっておらず、以前歩いた時と同じく御前山から武甲山にかけての奥多摩・奥武蔵の山々を一望することができる。のんびりと眺めていきたい景色ではあるが、今日は風が強く、帽子が吹き飛ばされそうで立ち止まっていられない。写真だけ撮って足早に宝山頂上へ向かう。林に入ると右手の尾根に「←宝山へ」と書かれたピンクテープがあり、指示に従って尾根を登れば宝山(後口山 448)の頂上に着く。檜の枝藪が繁茂する頂上で、冬場でも長居したい所ではない。

(植林地上からの眺め)




(宝山の頂上)

道を戻りいよいよ諏訪神社参道を下る。2017年のときは植林がされる前の伐採地の状態だったのだが、現在は杉の幼木が育ち、枝藪が道に被る所もある。かなり急な斜面のトラバースで歩きにくさはあるが、定期的に整備が入るのか踏み跡は維持されている。息苦しさを感じるほどの幼木帯を抜けると杉林の中のトラバース道が続く。地理院地図の記載とは異なり、諏訪神社参道は宝山の西側斜面を進んでいる。通る人が少ないせいか落枝が道を隠す所が多いのだが、踏み跡は明瞭で迷いそうな感じはない。不安に感じたとしても程よい間隔で道標が設置されている。宝山南西の尾根を越えると急斜面を九十九折に下っていく。若干草の被る所はあるが、2017年に歩いた虎秀山ルートと比べても整備状態は良い。尾根を越えてから10分ほどで民家が見えてきた。かつて家屋が立っていたのであろう石垣の下を通っていくと舗装路に出る。草刈りの済んだ民家が側にあるので、ここが中峰集落の最上部ということになるのだろう。

(ネットを開けて植林地を進む)


(踏み跡はあるが枝藪にひっかかれる)


(植林地を抜けた 2017年と比べると違いがよくわかる)


(かつての参道なのかは不明だが整備された道が続く)


(随所に道標が現れる 距離表示が有難い)


(尾根を越えると九十九折に下る)


(かつてはこの辺りが中峰集落の最上部だったのだろう)


(中峰集落最上部で舗装路につながる)

中峰は南側に開けた広い緩斜面にあり、かなり民家の多い大きな集落だ。綺麗に草刈りのされた土地が多く、なかなか画になる景色だと思う。民家が多い分、道路も複雑に分岐しているが、とりあえず下へ向かう道を選べば問題は無い。最後は左にカーブして国道299号に出る。時計を見ると12時半前だ。奥武蔵登山詳細図によると鎌倉峠を越える下平橋から吾野駅までのルートは75分掛かるという。計画書には14時過ぎに吾野駅到着としているので、まだ時間的余裕はある。予定通り鎌倉峠を越えていくとしよう。





(中峰集落の様子)


(国道299号に接続)

鎌倉峠越え
鎌倉峠は甲斐と武蔵を結ぶ秩父往還の途中にあり、「新編武蔵風土記稿」によると秩父郡と高麗郡を分ける境だったという。明治期から整備された地形図には鎌倉峠の記載は既に無く、高麗郡も入間郡に編入された後であった。ただその当時も鎌倉峠は入間郡に属していた東吾野村と秩父郡に属していた吾野村とを分ける境となっており、秩父と入間・高麗との境であるという認識はまだあったのかもしれない。とりあえず鎌倉峠を目指して先ずは中峰集落から国道を東へ進む。道路の向こう側に見えてきた橋が下平橋で、橋の先には下平集落がある。信号の無い横断歩道を慎重に渡り、橋を渡ると小さな集落を抜けて車止めのある遊歩道が延びる。車止めより先は川沿いに進み、次に見えてくるのがその名も鎌倉橋だ。道は橋の手前で右に曲がり、橋からの道と合流する。この辺りは民家が集まっており、橋の近くにはお惣菜屋さんがあって結構繁盛しているようだ。

(下平橋)


(川沿いの遊歩道を進む)


(鎌倉橋)


(鎌倉峠周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

トンネルで西武線を潜ると坂組の集落に入る。ここも民家が多く、割と人気を感じられる。集落内の道路は西に向かって上り坂になっており、一段と傾斜が急になってきたと思うと「鎌倉坂」と書かれた道標の立つ分岐に出る。奥武蔵登山詳細図では右の舗装路を上がっても鎌倉峠へ行けるようだが、折角なので道標にしたがって左の道に入る。左の道はすぐに砂利道となり、古い街道らしき雰囲気がある。冬の午後でかつ西に向かって谷を登っていることもあり、だいぶ薄暗くなってきた。それが余計に古い道っぽさを醸し出している。最上部にある民家へやってくると再び道標が立ち、右は吾野駅、左は大高山を示している。鎌倉峠は示されていないが、大高山へ行くのは明らかに間違いなので右の道を上がる。なかなかの急坂で右にカーブすると掘割の道となる。落枝だらけでかなり荒れた感じだがここも峠道の雰囲気はある。右手に井上神社を見送ると前方の尾根がだいぶ低くなってきた。依然として急な坂を登りきると尾根を掘り割った鞍部のある鎌倉峠に着く。峠に立つ案内板には新編武蔵風土記稿の一節が抜粋されており、地元の人は鎌倉坂と呼んでいたことが記されている。またかつては西側の眺めが良かったとのことだが、現在は暗い杉林が広がっているだけだ。

(トンネルを潜って坂組集落へ)


(鎌倉坂への道標がある なお右にも舗装路が延びている)


(分岐の近くにある建物 民家というよりはお寺っぽさがある)


(鎌倉坂の遺構はよくわかっていないらしいが古い道ではないかと感じる)


(右が鎌倉峠への道 左の道は大高山へと通ずる)


(古い道っぽさを感じさせる掘割の道 薬研堀というほどではないと思う)


(井上神社 掘割が途切れている所から下りていくことができる)


(鎌倉峠)


(峠にある案内板)


(峠の西側は杉林が広がるだけだ)

峠から西へは九十九折に下っていく。草が被る所も多く道がわかりにくい。「旧街道・歴史の道の旅」というサイトや奥武蔵登山詳細図の著者である池田和峰氏の「奥武蔵 登山詳細図踏査日記」でも西側の峠道がわかりにくい旨が記されていて、あまり遅い時間に歩くべき所ではないと痛感させられる。川に近づいた所で踏み跡は羊歯の葉の下に完全に隠れてしまった。よく見ると土留めの木段で整備した跡があるようだが、傾斜も緩くなったので歩きやすい所を適当に下る。河原へ出る手前で川より一段高いフラットな高台に出る。ここは川がカーブし始める所で土砂が溜まりやすく、フラットな高台を形成しているのだろう。特段踏み跡はないが、このフラットな高台を西へ進む。段々と河原へ近づくと沢によって高台が寸断される。このまま河原へ下りてしまっても問題ないように感じるが、渡渉すると細い踏み跡があり、木で補強されたトラバース道が延びる。トラバース道が終わるとここで踏み跡は途切れる。河原の藪を山側から回り込むと杉の植えられた平場に出る。山の斜面に沿って進むと民家の敷地らしきフェンスで囲まれた原っぱの前に出てしまう。一旦往路を戻り、川へ向かうとフェンスを回り込む道に出た。ここもわかりにくい所だった。

(九十九折を下る 踏み跡はかなり薄い)


(草の下に土留めの木段があるが、気にせず歩きやすそうな所を下ったほうが速い)


(川より一段上のちょっとした高台に出る)


(沢で高台が寸断されている よく見ると沢の向かいに薄い踏み跡がある)


(木で補強された道が延びる)


(トラバース道が終わると平場に出る ここから河原へと出るのが正解)


(河原に民家を回り込むように道が付けられている)

川沿いに進み、南天神橋で舗装路に出て、林道吾野飛村線を西に行く。奥武蔵登山詳細図には川沿いの道が途中から延びているように描かれているのだが、民家の駐車スペースを通る形となり、ここは歩きたくない。遠回りにはなるがそのまま林道を進む。最後の民家を過ぎると道路は傾斜を増す。左へ大きくカーブする手前で木の間から国道と西武線を見下ろすちょっとした展望地がある。かつての峠から展望が失われた分、林道から眺望を得られるようになったというのが現代の山事情をよく表していると思う。沢沿いを登っていくと土石流災害之地と彫られた碑が見えてくる。このまま林道を上がり続ければ林道平坂飛村線に合流するが、吾野駅へはこの石碑から分岐した道を下る。問題は一見すると道が見当たらないことだ。奥のベンチまでやってくると灌木の茂みの裏から砂利道が下っている。地理院地図だと実線で描かれているので、てっきり舗装路だと思い込んでいた。

(南天神橋)


(林道から西武線と国道が見下ろせる)


(土石流災害之地の石碑 左に見えるベンチの裏手に吾野駅への道が延びる)

ベンチで小休止し、改めて吾野駅を目指す。これから下る砂利道には「花と緑の散歩道」という名が付けられている。道の両脇に杉林が広がっているので緑の散歩道であることに異論はない。ただ花はどうなのだろう。石碑近くの灌木が花を付けるツツジ類なのかもしれない。砂利道は緩い傾斜で林の中を下っていく。クルマの轍が目立つものの歩きにくさはない。むしろ硬い舗装路を歩かされるよりは遥かに快適だ。良い気分で下っていると林を抜けて住宅街に出る。さてここから道なりに進むのが一番単純だが、奥武蔵登山詳細図を見ると住宅街を抜ける路地を通れるようだ。林を出てすぐ左手に見える民家の前を進んでいく。すると住宅街の中に小さな祠が祀られている。民家の敷地や道の脇に祠が置かれている光景はよく見るが、道の真ん中に鎮座するのはちょっと珍しい。祠を過ぎると集落の西端にある高台へとやって来る。振り返ると集落の上を西武線が通るのが見える。なかなか良いロケーションだが、鉄道写真を撮るには手前の電線が邪魔してしまうのが惜しい。山の端に沿って進むと2014年にりゅうがい山(龍崖山)を登った際に訪れた坂石桜までやって来る。ここは花の咲く時期に再訪してみたい所だ。桜の脇を下ってガードを潜ると吾野宿に着く。家屋の立ち並ぶ通りを進み、急な石段を登って無事吾野駅に到着。顔振峠までは歩いたことのある道で少々面白味に欠けたが、諏訪神社参道と鎌倉峠は予想以上に整備され、また面白い道だった。来年もまたこうした新しい発見があることを願いつつ家路に就くのだった。



(花と緑の散歩道)


(住宅街が見えてきた この後左に見える建物の前の道に入る)


(入口を振り返ったところ)


(集落を抜ける道の真ん中に祠がある)


(集落西端の高台から西武線が見える)


(坂石桜)


(白髭神社 西武線のガードを潜ると吾野宿に出る手前にある)


(吾野宿)

DATA:
西吾野駅7:56→8:09間野集落→8:41萩ノ平茶屋跡→8:46赤坂→9:01大峠分岐→9:09高山不動9:19→9:26嶽ノ越→9:52八徳集落→10:43歌碑(ベラヴィスタ上)→10:53顔振峠→10:56摩利支天11:21→11:26風影集落→11:34阿寺集落→11:51宝山(後口山)→12:20中峰集落→12:32下平橋(下平集落)→12:39鎌倉橋→12:51鎌倉峠(鎌倉坂)→13:07南天神橋→13:19土石流災害之地の碑→13:31花と緑の散歩道入口→13:39坂石桜→13:46吾野駅

地形図 正丸峠 越生 原市場

トイレ 高山不動尊不動堂脇

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~西吾野 377円 吾野~小手指 377円

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高山不動から顔振峠及び諏訪神社参道については一般ルートです。今回歩いたルートについては危険な所は無いと思います。
鎌倉峠については登山というよりは軽い山歩き・ウォーキングの扱いになるかと思いますが、鎌倉峠から南天神橋の間で道が不明瞭です。自信か無ければ鎌倉橋方面から往復するだけでも十分でしょう。

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