ファンタジアランドのアイデア

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イラクにおける悲惨な戦闘を阻止する仕組み アイデア広場 その161 

2017-08-14 18:22:19 | 日記


中東の歴史や現代の状況を少しでも理解するために、彼らの戦闘に焦点をあててみました。1980年から1988年まで、イラクとイランは戦争状態にありました。イラクは、この戦争で化学兵器を使用しました。注目すべきことは、アメリカはイラクの化学兵器使用を非難しなかったのです。一方、イランはイラクの地雷原を突破するために、驚くべき戦術を採用しました。イランの子ども達を先に地雷原を歩かせたのです。子ども達の爆発後、正規軍が突撃する戦術をとったのです。1988年イラクのフセインは、自国民であるクルド人に化学兵器を使用しました。現在クルド人は、イスラム国(IS)の撲滅に大きな力を発揮しています。クルド人は、IS側に民間人は残っていないという前提にたっています。ISの地域から、自動車がくれば即打つ防御態勢をもっています。このような悲惨な戦いが、テロの自爆攻撃のモデルになっているようです。
そこで、どうしてこのような悲惨な戦闘を行うことができるようになったのかを調べて見ました。そして、悲惨な戦闘をなくすには、どうすれば良いのかを考えてみました。最初のクルド人に対する化学兵器を使用は、1920年にイギリスが行っています。クルド人の独立を抑えるために行ったのです。イラクは、スンニ派20%、シーア派60%、クルド人20%という宗派と民族分布になっています。フセインのイラクは、軍の有力者がスンニ派であり、軍を支配していました。軍を支配したものが、権力を握るということが中東全体を貫く構図です。フセイン体制では、スンニ派が出世も早く高度な教育も留学にも有利だったのです。湾岸戦争以後、フセインを倒したアメリカはシーア派を優遇し、治安や管理能力のあるスンニ派を排除しました。スンニ派が不満を募らせ、アメリカへの抵抗運動が起きました。そこに、アルカイダは加わったわけです。さらに、アルカイダから破門されたISが、イラクやシリアで勢力を拡張し、政情不安をもたらすという構図ができました。
 悲惨な戦闘を止めるヒントがありました。アメリカ軍は、初期においてシーア派を優遇しました。でも、彼らは治安維持能力に欠けていたのです。そこで、アメリカ軍のゲリラ担当者は、10万人のスンニ派の人々を1人当たり月300ドル(1ヶ月3000万ドル)で治安担当要員に雇用したのです。これは、「イラクの息子」作戦といわれるものです。この作戦は月に3000万ドル使いましたが、イラクの治安はとても安定したのです。スンニ派がアメリカに抵抗するのは、失業して仕事がないからだったのです。でも、悲劇は起きます。アメリカの撤退が決まると、シーア派のマリキ政権は「イラクの息子」の10万人を解雇したのです。職を解雇された、かつ軍事技能を持ったスンニ派のやることは、決まっています。自分の生活を守ることです。軍事訓練がないシーア派の政府軍は、戦闘に習熟しているスンニ派は対抗できませんでした。マリキ政権に対しスンニ派は、不満を持っていました。こんな情勢の中で、シリアで成長したイスラム国(IS)が、スンニ派不満分子と合流したわけです。イラクのスンニ派不満集団とシリアスンニ派の合流が、イスラム過激派の巨大勢力を誕生させた理由です。戦闘を止めるヒントは、イラクのスンニ派20%、シーア派60%、クルド人20%の生活を安定させることです。クルド人は、自治区で安定した生活をしています。問題は、イラクおける少数派のスンニ派の処遇です。彼らは技術を持っています。高い教養もあります。彼らの能力をくみ上げ、スンニ派の人々の能力を生かす政策が、紛争を和らげることになります。月3000万ドルで、イラクが安定した時期もあったのです。