<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



たまに冗談で言ったことが本当になることがある。
今回の旅行はまさにそういうリアルになってしまった冗談であった。

「東京へ家族で行くなら自動車やな」

家族三人で大阪から東京まではマイカーを運転して走ったほうが絶対に安いという安易なことを以前から話していた。
たとえLCCでも、高速バスでもマイカー移動に勝るものはないという考えだ。
でも片道500kmはそう安穏に決めていいドライブでもない。
それに私はロングドライブがあまり好きではない。

そもそも昨年までの勤め人であった私は毎週のように東京に出張していた。
このため家族からは、
「ええな、色々見られて」
と言われることが少なくなかった。
そのたびに、
「仕事やがな」
と説明をしていたのだが、仕事に絡めてアート・イベントを頻繁に見ていたのも事実だ。
これを家族は指摘する。
「いずれ家族みんなで東京のアートイベントへ」
という要求が出されたのも必然なのであった。

家族で行くとなると問題になるのが交通費。
「仕事なら交通費が会社からでるやん。個人で行くとみんなの分出さなあかん。一人往復3万円はかかるからな。」
そう。
1人3万円。
家族3人で9万円もかかってしまう。
これをLCCを使って1人往復2万円としても6万円。
かなりの金額だ。
そこで解決策として、
「うちの車で行ったら1人分で行けるん違うか」
と話していた。
確かに高速道路は往復1万6千円程度。それにガソリン代。
往復3万円を切りそうだ。

で、なんでマイカーで東京に行くことになったかというと先月、仕事で東京に行った時に千代田区立日比谷文化館へ立ち寄ったことがきっかけだった。

日比谷文化館は図書館にも関わらず立地のためか1階がギャラリーになっていて美術展が開かれている。
私は東京滞在の時はここで調べ物をするのに利用するのだが、ギャラリーも楽しみの1つなのだ。
この日、1階のギャラリーでは「DOMANI 明日展PLUS」という展覧会が開かれていた。
なんでも文化庁が主催する若手現代美術家の支援事業の結果を評価するのがこの展覧会だということでなかなか力が入っていた。
ちっとも知らない官製アートプロジェクトなのだが1967年から続く歴史ある事業なのだという。
実のところたまたま見たこの展覧会での若手の作品が面白く、かつ衝撃的なのであった。
若い、といっても30代、40代もいるのだがそういう実力派が競う新鮮なアートはビッグネームが繰り広げるイベントとは違うパワーを感じることができる。

しかも本展が2週間後から六本木の国立新美術館で開催されるということを係の人に教えてもらうと、
「これは、大学生の娘に見せてやりたい。」
と自然に感じたのだった。

とは言え年度末の忙しいシーズンに、しかも脱サラしてやっと仕事が軌道に乗ったものの、まだまだ物入りで節約も大事だ。
ということは飛行機や新幹線は論外。

マイカーで行くことに決定したのであった。

つづく

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人名の読み方というのは難しい。

「羽生、負けたんやて。」
と私。
「羽生、勝っとるぞ。今、一位じゃ」
とは父。
「いや、羽生が中学生の藤井5段に負けたんやて」
「羽生、おおお!」

将棋が好きな父に羽生善治竜王に中学生棋士・藤井段が勝ったというニュースが伝えたところ、オリンピックの男子フィギュアの結果直前。
羽生結弦選手が金メダルを獲得する瞬間と重なったため、我が家の父は大いに混乱したのであった。

読み方違うでしょ。おやじ!

87歳の父は認知症ではないないわけだが、父にとってはややこしい読み方違い。
でもいずれもビッグニュース!
宇野昌磨選手の銀メダルも相まって、日本は今日も元気に動いていると実感した瞬間なのであった。

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京都での仕事が終了したので帰ろうと思って電車に乗るべく阪急電車の西院の駅に行った。

次の電車を見ると14:10梅田行準急とある。

ああ、そういえばこの時間帯は西院は各停か準急しか止まらなかったんだ、と梅田への道のりに多少の時間を要することに気がついた。

で、しばらくしてもう一つ気がついたのは14:10はとうに過ぎていたということ。

 

その昔。

タイのアユタヤからバンコクに戻ろうとアユタヤ駅で切符を買ったた 、正午初の列車の切符だった。

その時時間はすでに12:30。 「あの、すいません。この切符すでに時間が過ぎてるんですけど」 と英語で言ったみたが通じない。 普通、タイは日本と同じで英語が通じない。

なんとなく駅員が待ってろというジェスチャーをしたので正午初の列車の切符を待つことさらに一時間。 13:30にバンコク行の快速列車がやってきた。

要はダイヤ通りになんか走っていないということなのであった。

 

でもここは日本。

なんでやねん、と思っていたら駅アナウンスが。

「摂津市駅で車両故障が発生いたしました。このため京都線の電車はすべて止まっています。現在JR、京阪などへの振替輸送を開始いたしました。」 という。

なんのことはない。 電車が不通になったばかりなのであった。

仕方がないので地上へ出て改札から出てバスで四条河原町に向かうことにした。

祇園四条から京阪電車に乗ろうと思ったのだ。 通常であれば電車で5分ほどの西院から河原町の距離。

ここを市バスに乗るとどのくらい時間がかかるのか。

京都の道路事情を改めて確認してヘトヘトになってしまった。

なんと、西院から河原町まで40分。 とりわけ烏丸通を過ぎてからのたった数百メートルが進まない。

どどっと疲れが出たのでそのまま降りずに河原町通を北進して今出川通へ。

京阪電車の始発駅「出町柳駅」まで足を延ばしてそのまま京阪電車の特急に飛び乗った。

 

阪急の運休は振替輸送では振替にならないことがよくわかったのであった。



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10年ほど前の何年間というもの数ヶ月に一度と言う割合でタイのバンコクに遊びにでかけていた。
バンコクに遊びにと言っても「あっち系」の遊びではない。

日頃の仕事の疲れを癒やすため。
会社とは一切縁を断ち切るため。
全く違う環境に身を置いてリラックスしたいため。
などなどなど。

これらの目的を達成するため私はなんちゃってバックパッカーとして週末に行って戻ってこれる場所としてのバンコクがお気に入りなのであった。

バンコクではだいたいサトーン地区という場所にあるサービスアパートに滞在。
昼間はバンコク都内をほっつき歩き、夜はシーロム通りの屋台やルンピニー公園そばにナイトバザールの屋台街でタイ料理をつまみにアサヒビールかシンハビールを飲むというような至って健康な余暇なのであった。

この中で、バンコク都内のほっつき歩きで最も面白いのが路線バスツアーだった。

伊勢丹の中にある紀伊國屋書店やあちらこちらに点在する東京堂書店へ行くと「バンコクバスマップ」というバンコクの路線バスの日本語案内書が売られている。
これを使う。
ここに書かれている地図を見て目的地を色々定めて出かけるのだが、タイ語が満足にできないことに加えてタイ語の文字が全く読めないために非常に面白い旅が楽しめるのだ。

どういうことかというと、どこにたどり着くのか最後まで目が離せないのが楽しい。

たとえば、
「これや!」
と目星をつけたバスに乗り込む。
すると予想とは全く違う場所に向かって走る。
「これ○○行きます?」
とガイドブックや指差し会話帳を使ったり、数少ないタイ語の単語を並べたりして車掌さんに訊ねる。
すると、
「次で降りて、○○番のバスに乗ってね」
と教えてくれる。
で、にこやかな車掌さんの指示に従って乗り換えたところ、また見ず知らずの地区に走っていってしまうということが少なからずあった。

私はこれをタイ・バンコクのミステリーツアーと密かに呼んで楽しんでいた。

タイの物価は日本に比べると恐ろしく安く、路線バスに乗っても日本円で10円から50円程度の運賃のため、間違っても気にならない。
路線バスは地元の雰囲気を楽しめることが何よりで、ツアーバスなどに乗れるか!という気分になるまで時間はかからなかった。
しかも、どこかわからなくなって、
「しゃあない、都心までタクシーで帰ろう」
ということになっても日本円で1000円も出せば、かなりの距離でも戻ってくることができた。

ああ、またバンコクで路線バスを楽しみたい。
そんな年度末の忙しい近頃なのである。

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漫才というのは見かけによらず難しい芸。
関西人なら二人揃えば漫才さ、なんていうのはあくまでも冗談でそんなに簡単な話芸ではない。
だから喋り上手いからと言ってすぐに漫才師になれるわけではないし、二人揃ってボケとツッコミができているからと言って漫才かといえばそうとも言えない。

漫才には独特のテンポと雰囲気。
そして稽古され尽くした「芸」としての成熟度と嫌味を感じさせない「知」が要求されるものだ、と私は堅苦しくかんがえるとそうなんだと思っているのだ。

最近の若手の漫才師の芸を見ていて時々こっちが恥ずかしくなってくることがある。
ギャグが滑っているのに本人たちは気づかない。
得てして雰囲気もできていないし、芸も熟れておらず、ひねり出そうとする知が痛々しい。
笑っているのは漫才師と同世代の女の子たちで、アイドルを追っかけるようにお気に入りの漫才師の追っかけているのだろうか。
だから面白くなかっても面白く感じて笑うから、やっている方も自分たちの芸が面白いと勘違いするのかもしれない。

こういう芸人だと賞味期限が非常に短くあっとい間にテレビの消費財として使用され芸が磨かれることもなく消えていくのだ。
安心して楽しむことのできるキャリアのある芸人さんが少なくなった。

レツゴー三匹の長作が亡くなったというニュースを聴いて、
「またまた上手い漫才師がいなくなった」
と寂しく思った関西人は少なくないはず。
私もそういう一人なのだ。
レツゴー三匹は「じゅんでーす、長作です、三波春夫でございます」の出だしで有名だが、この出だしのネタでさえ毎回聴いては笑っていたものだ。
しゃべくりあり、コントあり、歌ありの漫才はテンポよく、雰囲気も抜群で大いに楽しんだものなのであった。
数年前に「じゅんでーす」のじゅんが亡くなり、「三波春夫でございます」のリーダー正児が認知症になったと伝えられ、今回の長作が亡くなったというニュースでレツゴー三匹が完全に歴史の存在になってしまったことは寂しい限りだ。

考えてみればベテラン漫才はネタが同じでも大いに楽しめた。
夢路いとし・喜味こいし、人生幸朗・生恵幸子、横山ホットブラザーズ、やすし・きよし、ラッパ久丸、ダイマル・ラケット、漫画トリオなどなど。
レツゴー三匹はこういう芸人さんたちの一組であったことは間違いない。

面白かったレツゴー三匹。
上方の芸能史にそのピリオドが打たれてしまった。

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先週の土曜日。
カミさんと一緒に出かけた大阪市内中心部は静かでほのぼのとした雰囲気が漂っていた。
大阪ガスの本社近くの有料駐車場にマイカーを預けて御堂筋をぶらぶら中之島方向に向かって歩いていると、側道横に「御堂筋完成五十周年記念碑」なるものが建っているのを発見。
ここは仕事やプライベートで良く歩くところなのだが、この記念碑に気がついたのは初めてなのであった。

「いつ建てたんや、こんなもの」
と見てみると最近建てられたものではまったくなく昭和62年とある。
昭和62年というと阪神タイガースが21年ぶりの優勝し、日航機が御巣鷹山に墜落したあの昭和60年の2年後である。
まったくもって目立たない記念碑なのであった。

御堂筋といえば大阪のメインストリート。
両側に林立するビルの高さがつい数年前まで規制されていて、国内では珍しい建物の高さが揃った大通りなのであった。
それが緩和されたのは大阪維新の会による大改革。
今、この大阪の一等地の幾つかのビルは建て替えが進んでおり、通り側の面は従来通りの高さで、少し奥まったところが超高層というような街に進化しつつあるところだ。

御堂筋はかつては小さな通りでしかなかった。
そんなところを景気対策も兼ねて計画された街の一大プロジェクトが御堂筋建設計画。
地下鉄と並行して作られたことは私のような大阪人の場合、小学校の授業でも習う歴史なのであった。
巷では、
「飛行場作ってどなんすんねん」
というような批判もあったようだ。
当時、御堂筋の1ブロック西側に靭飛行場があったからそういう噂も出たのであろう。
それでも今や御堂筋は無くてはらない大阪の顔でもある。

ところで、この記念碑で最も興味をひいたのは、この御堂筋の建設費が書かれていたこと。
御堂筋の建設費は当時のお金で3375万円であったという。

これって安いのか高いのか。
はっきり言ってピンとこないので換算してみることにした。

今と違って用地買収などで工事期間が延長。
工事費用が膨らんで自治体の財政を圧迫、なんてこともなかったのだろうか。
工事期間は大正15年から昭和12年なので12年間。
旧街地から住民に移動してもらい、取り壊す。
それで新しい道を地下鉄掘りながら作ったわけだから決して長いとも言えないし、短いとも言えない。
何を基準で考えたら良いのか悩んでいたところ、ちょうど同じ頃に建設していた大阪城の現天守閣を思い出した。

大阪城は大阪市民と住友本家からの寄付金で再建されたことはつとに有名で、
「役所の力にだれが頼るか。自分らだけでやらなあかん」
という江戸時代からの浪花の人々の心意気が残っていた時代でもあったわけだ。

で、その大阪城の天守閣の建築費が約50万円。
建設は大林組。
従って、
「大阪城って誰が建てたん?」
との質問に、
「豊臣秀吉〜〜」
「違うで、大工さんや」
という大阪の子供の間で交わされるよくある冗談は正確ではなく、
「違うで、大林組やで」
というのが正しい。
談合があったかどうかは定かではない。

話がそれてしまったが周囲の城壁や城内にあった大阪砲兵工廠などの整備費用と合わせると総工費は150万円であったという。
この50万円を現在の貨幣価値に直すと200億円。
従って御堂筋の建設費3375万円は1兆3500億円。

いつの時代も公共工事はお金がかかるという、という下世話でリアルな現実を確認できた記念碑なのであった。

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大阪市立天王寺動物園のアジアゾウ「博子」が亡くなったという小さな記事を新聞に見つけて愕然とした。
なんと博子は天王寺動物園最後の象だったそうで、これで大阪では象を見ることはできなくなったという。
博子は1970年の大阪万博の時にタイ王国から寄贈された象だそうで、御年48歳。
高齢の上、怪我をしてしまいそれが化膿して歩けなくなっての結末だったようだ。

この記事で驚いたのは博子の死だけではない。
「象」は動物園では定番の動物と思っていたら絶滅危惧種に指定されていて簡単に輸入できないばかりか、輸入ができたとしても象の生活を考えて保護し飼育する場所は広大な場所を必要とするのだという。
動物愛護の考え方が浸透した結果だが、今後我々の子や孫は「象さん」を見るためにはパンダ宜しく国内の限られた動物園か海外へ出かけなければならなくなる、というわけだ。

象と言う動物。
とりわけアジアゾウはタイやミャンマーへ行くと家畜として活躍していることもあり、一般的な動物だと思っていた。
私もバンコク都内の幹線道路で象が歩いているのを見てビックリしたことがある。
動物園の定番で、大好きな動物でもあった。
私にとってはキリン、ペンギン、アシカに並ぶ堂々たる人気者なのだ。
子供の頃、この天王寺動物園に連れて行ってもらいお菓子をあげた記憶が鮮明に残っている。
もしかするとその象は今回亡くなった博子だったかも分からず、そう考えるとショックは小さくない。

本物の象を見たのはミャンマーのヤンゴン動物園を訪れた時であった。
近場の天王寺動物園を久しく訪れたことはなかったのだが、象のいない動物園なんて。

知らない間に動物園事情が大きく変わっていることに大きなショックを受けている。

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猛烈に忙しかった年末のある日。
デスクワークがあまりにきつく肩こり、膝痛、腰痛、眼底疲労などが耐えられないくらい疲れてきたので、設計していたCAD作業の手を止めてYoutubeで気晴らしをすることにした。
「忙しいんちゃうの?」
と言われそうだが、いくらタフな私だからといってず〜〜っと集中できる時間には限界がある。
たまには仕事と何ら関係のない雰囲気を味わう必要があるのだ。

で、youtubeでなにげに検索していたら古い探偵ナイトスクープのエピソードが出てきた。
検索キーワードは何だったか忘れてしまったが、もしかすると「上岡龍太郎」だったかもしれない。

探偵ナイトスクープは関西の人なら知らない者はいないというくらいの人気長寿番組で私が大学を卒業した直後ぐらいから放送されているのでかれこれ30年になる。
この番組は視聴者からの依頼に基づいてタレントが調査に赴くという半視聴者参加番組なのだが、出て来るネタは超一級。
以前は完全な関西ローカルの番組であったため、この番組が元ネタの東京局制作のパクリ番組が氾濫していたこともあるくらいだ。
作家の百田尚樹がこの番組の放送作家出身であることも知られている。

発見したエピソードは25年ほどまえのもので、
「時代劇によくでてきて『先生、先生』と悪いやつらに呼ばれてはすぐに斬られて死んでしまう役どころの俳優さんがいますが、その俳優さんをぜひとも徹子の部屋に出してあげて欲しい」という内容なのであった。
夫婦共々その無名俳優のファンであるという依頼に基づき桂小枝探偵が太秦の東映撮影所に赴きその俳優・福本清三を見つけ出した。
その後、東京まで連れ出してホンモノの徹子の部屋のセットで女装をして桂小枝が黒柳徹子に扮してインタビューを始めるのだが、そこへ黒柳本人が現れ「なにをやってらっしゃるの?」と怒り心頭。
しかしその理由を知るに及び、興味をいだき、後日本当に「徹子の部屋」に出演してしまうという話なのだ。

私はこの話を噂では聞いていたが、見たのは始めてで大いに感動したのであった。
探偵ナイトスクープはただのお気楽娯楽番組ではないところがこういうところで、福本清三はこの番組をきっかけに大部屋の斬られ役俳優の中でも知る人ぞ知る存在になる。

「いや〜〜、面白かった」
と思い、試しにウィキペディアで福本清三の事を調べてみると、ナイトスクープ以上にビックリする内容が書かれていた。
なんと、2015年にこの福本清三を主演に一本の映画が撮られていたのだ。

「太秦ライムライト」

時代劇が無くなりつつある京都の伝統ある撮影所に所属をしている一人のベテラン大部屋俳優。
斬られ役専門のその俳優にスポットを当て若きスターとなる女優と撮影所の人々の姿を描いている秀逸のバックステージ物なのであった。
しかも私は全く知らなかったのだが、この映画はカナダの国際映画祭でグランプリを受賞。
主演の福本清三が主演男優賞を受賞していたのだ。

どんな映画なのか見たくて仕方がなくなった私は仕事を力づくで終わらせて年始に車で15分ほど離れたTSUTAYAでDVDをレンタル。
近所のTSUTAYAでは在庫してなかったのだ。
早速鑑賞したところ、映像は美しく、感動させ、泣かせる映画なのであった。
私自身、映画少年であった頃の感覚を思い出し、なんとも表現のしょうのない気持ちになったのであった。
ずっと大部屋俳優だった役者さんが主演だと、まわりの俳優はどういう態度をとるのだろうか。

鑑賞前、少し私は心配していた。
しかし、映画を見るとそういう心配はちっともないことがわかったのだ。
むしろそういうスターの後ろを支え続けた斬られ役俳優が主演することに、どれだけ太秦の人たちが力を合わせたのか。
映画を見終わった私は映画屋さんたちの心意気に大きく感動を覚えたのだった。

主演の福本清三。
それを松方弘樹や萬田久子、小林稔侍が、そして「木枯し紋次郎」や「極道の妻たち」の中島貞夫監督が本人役で支える。
よく練られた贅肉のない物語。
映画だけが表現できるであろう悲しいぐらい美しい映像。
人生模様。

斬られ役の物語。
今回斬られたのは私の心かもしれない。



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週刊文春は週刊新潮とならぶ私の愛読週刊誌なのであった。
エッチ記事も1〜2ページあるにはあるが、それぞれ週刊誌としては硬派で保守派で一本筋の通ったところが他誌とは違う魅力だった。

ところがその文春が知らない間にかなり堕落していたのだ。

私は小室哲哉のファンでもないし、彼の音楽がお気に入りでもない。
だいたいどれが彼の楽曲なのか、正直のところ聴いてもわからない。
彼が活躍した1990年代は、私の最も忙しかった年代でもありテレビやラジオを聞くことも見ることも少なく、いわゆるヒット曲の類はちっとも記憶にない。
1970年代の生まれのカミさんと音楽ことで知識が共有できないのは、ちょうどこの頃の作品が中心だ。

だからといって、今回の「小室哲哉引退」の報道を聞いてもそんなにショックとは思わなかった。
でも、その詳細を新聞で読むと、そのショックは小さくなく、私は愛読誌だった週刊文春の堕落というか品質の凋落を改めて確認することになってしまったのだ。

どうやら文春は他の三流週刊誌のようにゴシップをスッパ抜き部数が伸びて売上につながるという麻薬に蝕まれてしまっていたのようのだ。

これはきっとベッキー、ゲスの極み乙女の不倫事件に端を発する麻薬なのだろう。
こういう世界は市井の興味を誘い部数が伸びる。
だからといって政治家のスキャンダルのように人々の生活につながってくるかというと、芸能人のそれである。
全く関係のないどうでもいい話なのだ。

こういうどうでもいい話は文春や新潮の出番ではなく女性セブンや週刊現代の世界ではないだろうか。
少なくとも私はそう思っていたのだ。

今回の小室哲哉の記事は明らかにベッキー&ゲス事件とは異なる性質のものだ。
彼は病気のために知的障害を負ってしまったカミさんの世話を健気にも続けていていた。
しかし心的ストレスは相当なもののはず。
相談相手も欲しい。
かといって仕事は忙しい。
でも出来るだけのことはしてやりたい。
そんなストレスを抱えての女性との関係である。

そんなこと放っておいてやったらどうなんだ、というのが市井の意見に違いない。

障害を負った家族の世話は容易ではない。
年老いた親の世話。
障害を負った伴侶の世話。
事故で動けない子供の世話。
そういうケースは誰にでも当てはまるものであり、立派な社会問題だ。
そういうハンデを抱えた人の数が少なくないだけに深刻である。

働きながらハンデを負った家族の面倒を見ている人は今回の彼の記事をどういう気持で読んでいるのか。
文藝春秋社の連中はわかっているのだろうか。
文春は小室哲哉を取り上げてプライベートなことで避難する前に、彼の苦労を通じて介護生活の問題にスポットライトを当てるほうがよほど大切なんじゃなかったのか。
それこそ一般の感情とは正反対の心の持ち主にしか思えない憤りを感じるのだ。

月刊文藝春秋で綿密な記事を描き、月刊諸君!で論を戦わせる。
週刊文春はその先遣隊ではなかったのか。

堕落の文春。
文春もついにマスゴミの仲間入りをしてしまったのが悲しい。

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「『西郷どん』の鹿児島弁て一般の人にわかるように言ってって、ホントの鹿児島弁やとわからへんねんて」

とはカミさんの弁。
正直そんなことは合点承知の助なのであった。

今から30年前。
新人社会人だったころ。
私は建築設備の計測と調整の仕事で沖縄のリゾート地・恩納村を訪れた。

恩納村は著名なムーンビーチホテルを始め数々の豪華ホテルが建ち並ぶ。
沖縄本島東岸の夕日の美しい観光地だ。
私はここで建設中のとある豪華ホテルの建築現場に仕事で1ヶ月間ほど滞在した。
九電工という会社からの依頼の仕事なのであった。

豪華リゾート地であるにもかかわらず宿泊したのは民宿のような安宿でテレビは無料だが、エアコンが1時間100円。400円までしか投入することのできない蒸し暑い、食事が飛び切り不味い安宿であった。
唯一、宿の人が超親切であったことが救いではあった。

沖縄での仕事は内容は関西でやっているいつもの内容と変わらなかった。
現場の監督さんも職人さんもみんな技術も高く親切であった。
でも、大いに困ることがひとつあった。
それは言葉が通じにくいということなのであった。
それも驚くことに地元沖縄の職人さんたちは何を話しているのかよく分かるのだが、問題は監督さんたちなのであった。

監督さんたちは九電工の鹿児島営業所の人たちで、監督さんたちは鹿児島弁で仕事をしていたのだった。
当然といえば当然。
大阪の監督さんが大阪弁で話すとの同じ。
でも、大阪からやってきた私達には監督さんの鹿児島弁はまったく聞き取ることができず。

「え?」
と聞き返すことが多いのであった。

沖縄訪問前、私は沖縄の職人さんの言葉の方が理解できないかも知れないと思っていた。
ところが島人職人さんは大和人にもわかりやすく話してくれることに超慣れているらしく、私たちの前では島人言葉では話さないのであった。
「こっちの言葉で話したらわからないだろうから」
と島人親方はニコニコしながら言ってくれた。

で、困ったのが大和人薩摩人の監督の方々であった。
この監督さんたちは鹿児島、少なくとも九電工の本社のある福岡を出たことが無いらしく、指示も何もかも全て鹿児島弁であった。
鹿児島弁。
ほとんど外国語。

NHK大河ドラマ「西郷どん」。
本格的鹿児島弁でドラマをやったら、ある意味視聴率は一時的に上がるかもしれない。
但し字幕スーパーが必要だ。

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