<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



もう7年前になってしまうだろうか。
大阪の近畿大学で開催されたとある化学系の学会でのこと。
私の所属していた研究会もセミナーを開催するというので出席したところ、そのセミナーの来賓は文部科学省の課長なのであった。

「それでは○○課長、ご挨拶お願い致します。」

と研究会の会長を務める東京文京区にあるT大学の教授が紹介した。
演壇に上がった文科省の課長は研究会の意義とその活動を褒め称え、研究内容に対する持論と自分自身がいかに研究会を大切にしているかを滔々と述べたのであった。

ところが内容に「?」というところがいくつかあったものの、相手は大学を統括するお役所のお役人。
楯突いてはよろしくないと、だれもがその矛盾を黙っていた。
少なくともその時点では。

「質疑はありますか?」

とT大学の教授が会場にマイクを降ったとき、一人の壮年の研究者が挙手した。

「いいですか?」
「はいどうぞ」
てな具合に。

彼はゆっくりと質問というか、彼の意見を述べ始めた。
自分の意見は意見として、今文科省の課長が話した内容の矛盾点を非難しないように気を使いながら訂正した。
聴衆はみんな彼の言い方に心のなかで賛同。
かつ、事を荒立てない話術に拍手を送った。

「で、○○課長。今の意見についていかがでしょうか?」

とT大の教授が文科省の課長に振ると、

「その通りですね。まさに私が言いたかったのは。」

件の課長。

吉本新喜劇ならここで全員ひっくり返るところだ。

自分の言ったことがトンチンカンだったことに気がついたのか、課長は意見を180度変更してさも自分が言いたかったのはそのことだとばかりに変節する。
みんな意見が逆に変わったのに気がついていたが、さすがのT大学のセンセイもそれを指摘したらどんな災がふりかかってくるのか分からないので黙っていた。

私はこの時目撃したこの役人の負の本質を今も忘れることがでないでいる。

で、文科省の役人がなにやらおかしな行動をしている。
どう見てもへんてこりんだ。
加計学園の一連のスキャンダルにもならない事件は、どうみても「国立大学への天下りを指摘されて窮地に陥った役人たちの仕返し」にしか見えない。

つい昨年までは得意気になって国立大学の主要職を自分たちの思い通りに操作していたら、
「法律違反じゃないか」
と指摘され甘い蜜を吸えなくなったその腹いせだ。

それをマスコミが騒ぎ立てる様子は、慰安婦問題で現在の新聞の多くが以下にインチキであるのかを露見させられた恨みが作用しているとしか思えない。
インチキマスコミと盗人役人のコラボレート。
そんな馬鹿げた光景を、国民の多くがシラケた表情で眺めているというのが、真実だろう。

学会の講演でいとも簡単に自分の意見を翻したあのお役人。
教育を司る文科省のお役人。
実は彼らこそ、その教育を計画するに最も相応しくないというのをあの時目撃したわけだ。
今の報道を見る限り、政権与党の古臭い政治手法もいまいちだが、それ以上に腐臭のする役人と使命の終わったマスコミは一蓮托生。

秘密の内部メモが出るちう話を聞くたびに、
「なんなのそれ」
という気分になるのは私だけではないだろうな。

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東京から来た取引先の部長さんが、
「奈良って大阪から近いね...びっくりしましたよ」
と言われるまで、大阪人である私は地方の人にとって京都と奈良、神戸は大阪から結構距離のあるところという印象が強い場所であることをちっとも知らなかった。
むしろその一言に、
「えっ」
と驚いたのであった。

関西の都市ネットーワークは大阪を中心に西は神戸、東は京都と奈良、南は和歌山と四方八方に伸びている。
和歌山を除いて所要時間は30〜40分程度。
かなり近距離だ。
一方、街の個性は色とりどり。
どの駅を下りても印象がかなり違う。
関東では千葉も埼玉も横浜もどこもかしこもミニ東京になってしまっているが関西では間違っても京都、奈良、神戸、和歌山がミニ大阪になることはない。
そんなことはありえない。
神戸と京都なんかはどちからというと、
「大阪とは別個」
と割り切っており、一緒にされるとむしろ嫌な顔をする。

高校野球のシーズンや阪神タイガースが好調だとテレビやラジオで、
「今日の甲子園、大阪地方は....」
などと放送されると、神戸はおろか全ての兵庫県民が、
「甲子園は兵庫県!」
と訂正する。

京都に至っては今もなお、
「日本の首都は京都」
という信じて疑わない文化があるので1500年も前に一時的に都になっただけの大阪と一緒にされることは神戸にもまして屈辱だと思っている。
「いっしょにせんとおくれやす」
なのだ。

そこへいくと奈良は穏やかである。
奈良が都だったのは、はるか昔なので京都のように首都意識は無い。
さらに奈良県は産業が農業や観光が第一で、多くの県民は日中は大阪へ働きに出ている。
典型的なベッドタウンなのだ。

この至近距離に5つの街があることに目をつけたのが関東の人ではなく外国人。
関西を訪問する外国人旅行者が増加の一途を辿っており、とりわけ大阪滞在の外国人は半端ではなくなった。
このため心斎橋、道頓堀、宗右衛門町、新世界などミナミ方面を中心に、大阪はあたらかもアジアの観光都市といった雰囲気になっている。
正直、大阪人の私としてはウンザリすることもないではないが、街が活気に満ちて商売も繁盛するのであれば歓迎しなければならない現象だ。

彼らの多くは大阪に滞在し日中は京都、奈良に足を運び、大阪で夜遊びするというのがスタイルらしい。
この中でも奈良は京都と比べると地味な雰囲気が濃厚だが、その長き歴史に裏付けされた数多くの神社仏閣を中心にした奥深い文化遺産が主に欧米の旅行客をひきつけ増加させているのだという。

昼間は奈良で大仏さんを参拝し、鹿と戯れ、団子や葛きりに舌鼓を打つ。
で、夜は心斎橋や茶屋町で大騒ぎ。

考えてみれば関西アーバンネットワークはビジネスよりも観光に向いているのかもしれない。

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話題は昨日の続きのような一冊を紹介。

大澤昭彦著「高層建築物の世界史」(講談社現代新書)。

先々月。
休暇のごとく入院していた時に病院で大量に読んだ書籍の一冊がこれ。
古代ギリシャ時代から現代までの高層建築を扱った新書だ。

来月から大阪の国立国際美術館で「バビルの塔展」が始まることもあり、かなり気になっての一冊だった。

そもそも高層建築はいつごろから実際に出現したのか。
私は以前から大いに気になっていた課題なのだが、実際に自分で調べてみるところまでには至らず、今回のこの書物はその欲求を十分に満たしてくれる内容で溢れていた。
例えば最初に衝撃を受けたのはギリシャ時代のアテネの住宅は3〜4階建てのアパートメントだったということだった。

紀元前のあの時代に人々はすでに木造ではあるがアパートに住んでいたという。
この事実は同じ頃、吉野ヶ里遺跡で観られるような掘っ立て小屋のような家に住んでいた日本人と比較すると大いに驚くところなのだ。
また、灯台や教会のようなランドマークになる建物は当時から高さ50メートル級の高さがあり、構造計算なんのそので勇気ある建築家たちが様々な巨大建築を生み出していたことは建築テクノロジーの歴史認識を改めさせるものでもあった。

高層建築といえば幾つかの思い出がある。
まず、小学生だったか中学生だったかの国語の授業で霞が関ビルの建設を扱った話が教科書に載っていたことがある。
地震大国日本でどうやってあのような高層ビルの建築が可能になったのか。
五重塔の耐震性なども併せて解説されるその内容は、メカやテクニカルなものが大好きな私の心をぎゅっと掴んで今も記憶に刻み込まれている。
その後、多くの高層ビルが出現し今ではその霞が関ビルも高層ビルと呼んで良いのかどうか迷うような平凡なビルになってしまった。
周りには霞が関ビルを遥かに超える超高層ビルが立ち並び、どれが霞が関ビルなのか近くに寄ってみないと見つからないぐらい平凡だ。

国家や文化によって高層建築に対するこだわりがあるのかどうかも興味深いところだった。
昨日、深刻な住宅火災が発生したイギリスを始めとする欧州は高層建築に対するこだわりが小さいという。
とりわけ都心部は既存の景観を汚したくないために高層建築には強い規制を掛けている。
歴史とともに歩んできた景観を、簡単に破壊することは認められないという考え方だ。

それと対象的なのは中国。
今や高層ビルが最も多く建設されている国が中国だそうだが、ここは高さを競うこと金に貪欲なこととほぼイコールであり、高けりゃ歴史的景観などどうでもよく街のスカイラインを大きく変化させている。

二つ目の思い出は、他のブログ記事にも描いたことがあるがシカゴのシーアーズタワーに登った同僚が超高所恐怖症であったことだ。
エレベターでスカイデッキなる展望台へ上ると、彼は壁に背中を貼り付けたまま、

「窓に近寄ったら危ないですよ。危険です。わ〜〜〜高か〜〜〜〜」

と一向に素晴らしいシカゴの景観を見ようとしないのであった。

私も高所恐怖症ではあるが高いビルに上ることと、ヒコーキに乗ることは大好きな高所恐怖症持ちなのである。

シカゴのシーアーズタワーに上ること二ヶ月前。
私は台北にある当時世界一の高さだった「台北21」の展望デッキへ上がって日本人と台湾人による素晴らしきコラボレーションを思いきり堪能したところだった。
台北21から北方向をみると松山空港に着陸する飛行機が遥か下方向を飛んでいるのに目が釘付けになったものだ。

というように高層建築は実に面白いのだ。

エンパイヤステートビルは開業当時借りてがおらず8割がた空き部屋だったことや、9.11で倒壊したWTCのツインタワーを設計した日系人の建築士ミノル・ヤマサキの設計した建物は、ついタワーに限らず結構破壊される運命を辿っていることなど技術や歴史だけではなく、そのサイドスートリーのようなものも紹介されていて面白い。
本書は新書でもあり、内容は高層建築の歴史のDigestみたいなところがあったものの、知らないことがゴマンと詰まっていて読み応え十分なのであった。


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生まれて初めて映画館で鑑賞した洋画はジョン・ギラーミン監督の「タワーリング・インフェルノ」だった。
サンフランシスコにある138階建ての架空の超高層ビルが舞台。
完成したばかりのビルが中間付近の階の倉庫から出火して大災害に発展するというパニック巨編。
豪華客船が天地逆さまになる「ポセイドン・アドベンチャー」に続く映画ということで当時相当に話題になった。
確か製作はテレビ「宇宙家族ロビンソン」のアーウィン・アレンだった。

私は叔母に連れられ大阪の道頓堀松竹座でこの映画を観た。
今は歌舞伎の常設劇場の松竹座は当時映画館だった。
それまで特撮モノと言えばゴジラぐらいしか知らなかった私はアメリカの超大作の凄さにショックを受けた。
以後洋画、特にアメリカ映画の大ファンになったのであった。

昨夜発生したロンドンの高層アパートの全焼火災。
このニュースの映像を観ていたら自然に「タワーリング・インフェルノ」を思い出した。
あの映画の出火原因はコスト切り詰めで設計士の指定したケーブルを用いずに安物のケーブルを使ったために大火災になってしまった、というものだった。
ビルは新築で完成したばかりだった。
今回の火災になったアパートは1972年の建築ということだが、昨年に全面改装したばかりらしく、もしかすると映画と同じようなことが原因で火災になったんじゃないかと想像したりしている。

超高層ビルというのは高さが高いだけではない。
その階数が多い分、そこにいる人の数も半端ではない。

例えば60階建てのビル。
大阪のあべのハルカスや横浜のランドマークビルがそれにあたるが、1フロアに100人がいるとして60階建ての場合6000人がそのビルの中に居ることになる。
9.11の時にワールドトレードセンターのツインタワーが崩壊して3000人以上も犠牲者が出たのは、超高層ビルの巨大な人口も原因の1つだ。

実際はちょっとしたビルの場合、1つのビルに1万人以上が滞在していると考えていい。
これはちょっとした街の人口に匹敵する。
東京の新宿や大阪のOBPにはこの手の超高層ビルが幾棟も建っているのでその人口は凄まじく、ランチ難民が出てくるのもむべなるかなということになる。

今回焼けたロンドンのアパートは24階建てでそのうち20階がアパートとなっていて戸数は120。
1戸あたりの家族数を4人としたら480人が住んでいたことになる。
果たしてどれだけの人が深夜の火事に気づき脱出することができたのか。
今後のニュースが注目されるところだ。

で、タワーリング・インフェルノで一番思い出すのは映画そのものの凄さもあったが、実は他のところに印象に残る原因がある。
当時、私は小学3年生。
主役のポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンという二人の外国人俳優の顔の区別が暫くまったくつかなかったのが、今では最大の思い出なのである。


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久しぶりにラジオで国会中継を聴いてみると、
「なんとかならないのか、この人たち」
と思うことが少なくない。
いや、少なくないというよりもほとんど全編「ええかげんにせい!」と思うことの連続だ。
思わずテレビに文句たらたら言っている老人のように呟いてしまいそうになる。

今話題の加計学園問題にしろ、ピコ太郎同様にすっかり影を潜めてしまった森友学園問題にしろ、国会で議論すべき内容ではない。
もし仮に、そこに違法性があるのであれば、その仕事は検察の役目であって民進党の議員や共産党がお節介約ことではないのだ。

暴走する北朝鮮と韓国をどう扱うのか。
来るべき東南海大地震はどう対応するのか。
原子力発電所を再起動するに際して、もっと慎重にならなくていいのか。
アメリカのトランプのおじさんとテロで保守化する欧州のお友達をどうするか。
貿易問題は。
防衛問題は。
エネルギー政策は。

どれもこれも切迫した問題なのだ。

なのに、やってることは子供だまし。
国民も安倍首相一人の長期政権で良いとは思っていないけど、他に誰がいるのか、というのが本音なのだ。
民進党や共産党、社民党や残りの少数政党のわけの分からない議論に金を払っている余裕はない。

ということで、会議ばかりやっている会社は潰れるといいますが、我が国はどうなることやら......。

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明治製菓がスナック菓子の「カール」の東日本での販売終了を宣言した。
その理由は健康志向に伴う販売額の減少なのだという。
今後は四国の松山工場だけの生産になるため関東まで運ぶ運賃が採算にあわず、大阪以西での販売に限られるという。

あのカールおじさんが関東から、いや中京圏から東は消えてしまうことになった。

子供の頃。
カールと言えば私はカレー味であったが、これは全国から消えることになっており、残るはチーズ味とうすあじだそうで、どちらも私の好みではない。

それにしてもお菓子ひとつとってみても、大きな変化が起こりつつある。
じゃがいもの不作でカルビーがポテトチップスの出荷量を激減させているのは別として健康志向を原因として昔からあるお菓子が受難の時を迎えているのは、別に原因があるのではないかと思えなくもない。

健康を無視した食品は他にもたくさんある。
ブラジル産や中国産の食材、食品。
防腐剤いっぱいのコンビニ弁当。
食用油たっぷりのコンビニおにぎり。
脂肪注入安物焼肉などなど。

カールを食べて病気になったり死んだ人はいない一方、安物の牛肉で焼肉をやって食中毒で死んだ人はいるわけで、なにがなんだかわからないのだ。

ともかくカールおじさんは時代の食品イデオロギーの犠牲になり、関東から消える。

なお、大阪からカールを仕入れて首都圏で高く売ろうと考えているあなた。
もうすでにそんなだふ屋的取引は始まっているようなので、時すでに遅しなのだ。





※お断り・連載中の「旅と..」は少々書き直しをしております。
でき次第再開いたしますので、よろしくです。

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なんとも無粋な家具屋なこと。
どこのことかというと、家具量販のニトリ。

台湾企業に買収されたシャープには大阪人の私としては情けないやら恥ずかしいやら。
大いに失望していたのだったが、乗り込んで来た台湾人社長の戴正呉社長は粋な人なのであった。
経営不振で売っぱらった阿倍野区西田辺にあった旧本社を買い戻すと宣言。
売り先に交渉をして、このほど結論が出た。
半分は買い戻しに成功して、半分はダメなのであった。

西田辺の本社には私も一度だけお邪魔したことがある。
玄関を入ると、そこにはショーケースに収められたシャープペンシルが展示されていた。
シャープペンシルは三菱鉛筆やぺんてるが開発したした商品ではない。
シャープの創業者早川徳次が開発した商品だ。
シャープペンシルの名前は早川徳次ではなく、当時付き合いのあったライオン事務器の福井庄次郎社長のアドバイスで名付けられた。
そのシャープペンシルの成功が今日の液晶のシャープをスタート地点だとよく分かる展示なのであった。

戴正呉社長が旧本社の買い戻しを決めたのは「大阪創業の地を取り戻すことで精神もとりもどす」ということらしい。
これは数年前にJALの会長に就任した京セラの稲盛和夫が、トレードマークを日の丸の半かけしたシンボルから鶴丸に戻したこととよく似ている。
企業の伝統的なシンボルを大切にすることで創業の精神を取り戻す、という粋な作戦だ。

で、結果南港通りを挟んで南北にある2つの建物のNTT都市開発に売却した建物は買い戻しに合意。
もう一方のニトリに売却した建物はニトリが納得せず買い戻しできなかった。
ニトリはここでの店舗開店に熱意を燃やしてすでに建設に着手しているという。
ちなみに私は何度が近所のニトリに行ったことがあるが、没個性で良いものがあまりないので買い物をしたことがない。

ここで思うに、商売というのは文化が重要だなと感じることだ。
NTTはシャープの新社長の心意気を理解してかどうかわからないが同意して、ニトリは自分の商売優先で結論した。
ちなみににニトリはここからそんなに遠くないところに店舗をすでに持っている。

大阪人に限らず、顧客はどちらを贔屓にするのか。
考えなくてもわかると思うのだが。

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和食が世界遺産に登録されてから、全世界的に和食ブームなんだそうだ。
アメリカや東南アジアなど元々日本文化が入っていくのが早かったところはかなり以前から寿司屋やラーメン屋、牛丼屋などが普通にあったりするので「何を今更」という感がないこともない。
ただやはりヨーロッパや中国なんかでは日本文化の浸透が前記の地域と比べるとまだまだだったこともあり、現在一気にブレイクしているというのが実情なのだろう。

尤も和食ブームが広がると様々な影響が日本にも及んでくる。
良いことばかりではなく、悪いことも少なくない。

例えば「マグロの刺し身は美味い」ということを他国、とりわけ倫理観ゼロのC国に伝えてしまったためにマグロの乱獲が発生。
価格は上昇するは、ワシントン条約で保護されるなんて話は出てくるわで大いに迷惑だ。
なにしろブロードウェイ・ミュージカルの「ブック・オブ・モルモン」では「日本へ行きなさ〜〜い」と指示されたモルモン教徒の若い宣教師が「マグロだ!刺し身だ!」と言って喜ぶシーンがあったりするぐらいだ。

で、この和食ブームに乗っかって需要が増えているのが日本酒。
和食の蛋白で素材中心で、どちらかというと海産物の多い食事には日本酒が合う。
畢竟、海外でも日本酒の需要が増えてくるのは当たり前かもしれない。

しかも日本酒はワインと同じく繊細なアルコール飲料だ。
素材である米の質はもちろん、精米度や温度管理、水などにも味は大きな影響を受ける。
地域性も大きく物語がある。
今年の○○県の△△という酒蔵の純米酒は美味い。
なんていう具合に。
まるでワイン文化とそっくりである。

とは言え、日本酒の需要は劇的に改善されることはない。
ビールや焼酎に圧されて中小の酒蔵さんはもとより大手といえども、どうやって販売量を増やすのか苦心惨憺しているとこだ。
私の地元大阪には酒蔵が17社ほどあるのだが、1社を除き経営は決して楽ではないということを聴いている。
除外された1社はサントリーなので世界が違うし。

そんな国内市場を尻目に和食ブームの影響で日本酒の需要が全世界的に増えつつあるようだ。
ベトナムでビジネスコンサルをしている知人の話によると一升瓶1万円も2万円もするような酒が普通に消費されているという。
経済発展著しいベトナムとはいえ、国民の月収にも匹敵するような価格の酒を惜しげもなく購入するのはどういうことか。
そのあたりはベトナムのローカル経済ルールがあるようなのだが、それはまた別の話題。
フランスでは日本酒をライスワインとして普及させようと言う試みがあり、しかもそれなりのステータスをすでに得ているという。

ところで日本酒の英語表記がなかなかオカシイ。
Japanese Sake。
日経のグローバル欄でもJapanese sakeと表記されているので、多分正しいだろうし、私も外国人と英語で会話する時は清酒のことを無意識に「Japanese sake」と話す。
でもよくよく考えてみると、これっておかしくないか。
酒はsakeであって日本酒だからJapanese sakeというのは「なんのこっちゃ?」とならないのだろうか。

確かに私もJapanese sakeと話した後に「Japanese traditional liquor」と付加えることがある。
酒など知らない人に「sake」と言っても伝わらないだろうし、そこへ「Japanese」を付けたところで「日本のなんやらわからんもん」となることは間違いなく、まったくもって無意味だ。

日本酒ブームでの英語の呼び方。
Japansese sake以外になにかないのか。
最近の小さな疑問なのだ。


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ANAの機内ビデオ番組「めし友図鑑」がなかなかいい。
思わずそこへ行きたくなってしまうくらい食べ物の魅力で溢れているのだ。

別所哲也が案内人を務めるこの番組はANA国内線の機内またはネットで楽しむことができる。
国際線で配信しているかどうかは私はANAの国際線を利用したことがないので知らないのだが、ネットで鑑賞できるということは基本的に世界中どこからでも楽しめるということだ。

時々ヒコーキの機内番組には毎回乗るのが楽しみになってしまうコンテンツがある。
なかでも昨年まで配信されていたスターフライヤーの「鷹の爪団」は私の最もお気に入りのコンテンツだった。
仕事で疲れて戻る途中、社会風刺に溢れたあのアホな連中のドタバタストーリーを見ていると、心も体も回復してくるくらいリフェッシュすることができた。
ところが、今ではなぜかつまらないコンテンツが配信されている。
非常に悲しく、スターフライヤーなんか乗るもんか!と思ってしまうくらいだ。
そもそも大人が楽しめるアニメ作品などそうあるわけがない。
そういう意味で「鷹の爪団」は大人向けの番組。
むしろ子供は何を言っているのかわからないはずだ。

話がだいぶ逸れてしまったが、ともかく「めし友図鑑」は優れたグルメ番組だ。
国内の美味しいお米で炊いた美味しいごはんを中心にして、それにベストマッチするオカズを全国で取材し、それを司会の別所哲也がメチャクチャ美味しそうに食べる。
別所哲也が現地に行くのではなく、彼は社長室のようなところでデスクの前に座り、シンプルに出されたそれら「めし」とその「友だち」をいただく。
ただそれだけの番組なのだが、見始めたらヨダレが出てきそうになるくらい魅力的だ。

今機内とネットで配信されている「めし友」では新潟県南魚沼産のコシヒカリが題材になっている。
この米で作ったご飯に何が合うのか。
それを中心にその新潟の「のっぺい汁」、「塩引き鮭」、福島県会津地方の幻の「山塩」が取り上げられている。
とりわけ記憶に焼き付いて離れないシーンは、炊きたてのコシヒカリのご飯に焼きたての塩引き鮭の切り身がトンと置かれ、別所哲也が「いたがだきます」と食べ始め、一呼吸魔があいて痺れるような口調で「美味い!」と叫ぶその瞬間である。
見ているこっちも「美味そう!食べたーい!」と叫びそうになる。
最大の見せ場だ。

こうなるとヒコーキに乗っている場合やないやないか。
茶碗もってワシにもご飯と鮭をちょうだい!と客室乗務員にリクエストしたくなるほどに感動するのだ。
最近はグルメ番組を見てもあまり感動しなくなってしまったが、この「めし友図鑑」は明らかに別格であろう。

ここんところ仕事の関係でヒコーキに乗ることが激減したのだが、それでもネットを使ってこの番組を見ることができるとは。
なかなかやるじゃないかANA!
機内でもご飯と鮭の組合せを食べさせて!
そう思う番組なのである。

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この事件はどういうわけか新聞などでほとんど報道されていない。
私が事件を知ったのも、たった一回放送されたNHKのニュースを聴いたというカミさんからの伝聞からであった。
で、その事件とはなんのことかと言うならば、

「南海電鉄のIC交通カードの基幹であるミナピタカードのクレジットカードナンバーが2万件以上も流出してしまった」
という事件なのだ。

いや、事件ではあるまい。
少なくとも南海電鉄にとっては。
彼らにとっては事故や失敗、若しくは単純ミスに分類される事象なのだろう。
でもユーザーからしてはたまったものではない「事件」なのだ。

どのような事件かというと次の通りだ。

大阪難波にある南海電鉄経営の「なんばパークス」および「なんばCITY」のクレジットカードの顧客に対してカード統合案内のDMを送る際にハガキの宛名面にその顧客のクレジットカードナンバー16桁をすべて印刷して投函してしまったのだというのだ。
ちなみにそのハガキの現物がカミさんの元へも届いていたのだが、確かに16桁の番号が正しく、しかもわかりやすく、カミさんの名前のすぐ下に印字されていた。
これはどういうことか。
カミさんの名前とクレジット番号が正確に照合でき、セキュリティのゆるい店舗ではお買い物ができてしまうのではないか、と思えるハガキなのである。
しかも、このハガキが送られてきたのはカミさんだけではなく、カードを利用する21,873人のユーザーに送られているというのだ。

そもそも個人情報保護法にも何らかの抵触をする事件ではないかと思えるのだが、南海電鉄の反応はラッシュ時の急行のように鈍い。
いや、鈍いというようりも、他人事なのだ。

ミナピタカードのサイトを開いてみると、
「ダイレクトメールへのクレジットカード番号の記載について(お詫び)」
の表示があり、クリックすると南海電気鉄道株式会社名で事の次第を伝えるPDF文書が開く。
そこには発生した日付や件数、状況などが書かれている。
だが、原因についてはあたかも単純ミスのように書かれているのに加えて、自社のチェック構造がどうなっているのかの説明は一切なされていない。

しかも肝心のお客様への対応は、
「カード番号及びお名前だけでは第三者による利用は困難であり、またクレジットカード会社の監視システムにて不正利用防止のための管理強化や....いただいております。」
となっている。

これはどういうことかと要約すると、

その1、そんな情報など役にも何にも立たないので私は関係ありません。
その2、監視は南海電鉄ではなくクレジトカードの会社の仕事。

と受け取ることができて、まったくの他人事であることが認識できるのである。

ということで南海沿線に居を構えている私としては、いっそのこと今後は阪急のパソナカードとスタシアPiTaPaカードに変更したほうがよほど安全ではないかと思案しているところだ。
地域的には関係ないけど。

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