<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



当ブログの読者の皆様へ。

只今筆者は旅に出ておりなかなか更新できない環境です。
当ブログはGW明けに再開しますので、暫しお待ち下さい。



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なんとも無粋な家具屋なこと。
どこのことかというと、家具量販のニトリ。

台湾企業に買収されたシャープには大阪人の私としては情けないやら恥ずかしいやら。
大いに失望していたのだったが、乗り込んで来た台湾人社長の戴正呉社長は粋な人なのであった。
経営不振で売っぱらった阿倍野区西田辺にあった旧本社を買い戻すと宣言。
売り先に交渉をして、このほど結論が出た。
半分は買い戻しに成功して、半分はダメなのであった。

西田辺の本社には私も一度だけお邪魔したことがある。
玄関を入ると、そこにはショーケースに収められたシャープペンシルが展示されていた。
シャープペンシルは三菱鉛筆やぺんてるが開発したした商品ではない。
シャープの創業者早川徳次が開発した商品だ。
シャープペンシルの名前は早川徳次ではなく、当時付き合いのあったライオン事務器の福井庄次郎社長のアドバイスで名付けられた。
そのシャープペンシルの成功が今日の液晶のシャープをスタート地点だとよく分かる展示なのであった。

戴正呉社長が旧本社の買い戻しを決めたのは「大阪創業の地を取り戻すことで精神もとりもどす」ということらしい。
これは数年前にJALの会長に就任した京セラの稲盛和夫が、トレードマークを日の丸の半かけしたシンボルから鶴丸に戻したこととよく似ている。
企業の伝統的なシンボルを大切にすることで創業の精神を取り戻す、という粋な作戦だ。

で、結果南港通りを挟んで南北にある2つの建物のNTT都市開発に売却した建物は買い戻しに合意。
もう一方のニトリに売却した建物はニトリが納得せず買い戻しできなかった。
ニトリはここでの店舗開店に熱意を燃やしてすでに建設に着手しているという。
ちなみに私は何度が近所のニトリに行ったことがあるが、没個性で良いものがあまりないので買い物をしたことがない。

ここで思うに、商売というのは文化が重要だなと感じることだ。
NTTはシャープの新社長の心意気を理解してかどうかわからないが同意して、ニトリは自分の商売優先で結論した。
ちなみににニトリはここからそんなに遠くないところに店舗をすでに持っている。

大阪人に限らず、顧客はどちらを贔屓にするのか。
考えなくてもわかると思うのだが。

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和食が世界遺産に登録されてから、全世界的に和食ブームなんだそうだ。
アメリカや東南アジアなど元々日本文化が入っていくのが早かったところはかなり以前から寿司屋やラーメン屋、牛丼屋などが普通にあったりするので「何を今更」という感がないこともない。
ただやはりヨーロッパや中国なんかでは日本文化の浸透が前記の地域と比べるとまだまだだったこともあり、現在一気にブレイクしているというのが実情なのだろう。

尤も和食ブームが広がると様々な影響が日本にも及んでくる。
良いことばかりではなく、悪いことも少なくない。

例えば「マグロの刺し身は美味い」ということを他国、とりわけ倫理観ゼロのC国に伝えてしまったためにマグロの乱獲が発生。
価格は上昇するは、ワシントン条約で保護されるなんて話は出てくるわで大いに迷惑だ。
なにしろブロードウェイ・ミュージカルの「ブック・オブ・モルモン」では「日本へ行きなさ〜〜い」と指示されたモルモン教徒の若い宣教師が「マグロだ!刺し身だ!」と言って喜ぶシーンがあったりするぐらいだ。

で、この和食ブームに乗っかって需要が増えているのが日本酒。
和食の蛋白で素材中心で、どちらかというと海産物の多い食事には日本酒が合う。
畢竟、海外でも日本酒の需要が増えてくるのは当たり前かもしれない。

しかも日本酒はワインと同じく繊細なアルコール飲料だ。
素材である米の質はもちろん、精米度や温度管理、水などにも味は大きな影響を受ける。
地域性も大きく物語がある。
今年の○○県の△△という酒蔵の純米酒は美味い。
なんていう具合に。
まるでワイン文化とそっくりである。

とは言え、日本酒の需要は劇的に改善されることはない。
ビールや焼酎に圧されて中小の酒蔵さんはもとより大手といえども、どうやって販売量を増やすのか苦心惨憺しているとこだ。
私の地元大阪には酒蔵が17社ほどあるのだが、1社を除き経営は決して楽ではないということを聴いている。
除外された1社はサントリーなので世界が違うし。

そんな国内市場を尻目に和食ブームの影響で日本酒の需要が全世界的に増えつつあるようだ。
ベトナムでビジネスコンサルをしている知人の話によると一升瓶1万円も2万円もするような酒が普通に消費されているという。
経済発展著しいベトナムとはいえ、国民の月収にも匹敵するような価格の酒を惜しげもなく購入するのはどういうことか。
そのあたりはベトナムのローカル経済ルールがあるようなのだが、それはまた別の話題。
フランスでは日本酒をライスワインとして普及させようと言う試みがあり、しかもそれなりのステータスをすでに得ているという。

ところで日本酒の英語表記がなかなかオカシイ。
Japanese Sake。
日経のグローバル欄でもJapanese sakeと表記されているので、多分正しいだろうし、私も外国人と英語で会話する時は清酒のことを無意識に「Japanese sake」と話す。
でもよくよく考えてみると、これっておかしくないか。
酒はsakeであって日本酒だからJapanese sakeというのは「なんのこっちゃ?」とならないのだろうか。

確かに私もJapanese sakeと話した後に「Japanese traditional liquor」と付加えることがある。
酒など知らない人に「sake」と言っても伝わらないだろうし、そこへ「Japanese」を付けたところで「日本のなんやらわからんもん」となることは間違いなく、まったくもって無意味だ。

日本酒ブームでの英語の呼び方。
Japansese sake以外になにかないのか。
最近の小さな疑問なのだ。


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ANAの機内ビデオ番組「めし友図鑑」がなかなかいい。
思わずそこへ行きたくなってしまうくらい食べ物の魅力で溢れているのだ。

別所哲也が案内人を務めるこの番組はANA国内線の機内またはネットで楽しむことができる。
国際線で配信しているかどうかは私はANAの国際線を利用したことがないので知らないのだが、ネットで鑑賞できるということは基本的に世界中どこからでも楽しめるということだ。

時々ヒコーキの機内番組には毎回乗るのが楽しみになってしまうコンテンツがある。
なかでも昨年まで配信されていたスターフライヤーの「鷹の爪団」は私の最もお気に入りのコンテンツだった。
仕事で疲れて戻る途中、社会風刺に溢れたあのアホな連中のドタバタストーリーを見ていると、心も体も回復してくるくらいリフェッシュすることができた。
ところが、今ではなぜかつまらないコンテンツが配信されている。
非常に悲しく、スターフライヤーなんか乗るもんか!と思ってしまうくらいだ。
そもそも大人が楽しめるアニメ作品などそうあるわけがない。
そういう意味で「鷹の爪団」は大人向けの番組。
むしろ子供は何を言っているのかわからないはずだ。

話がだいぶ逸れてしまったが、ともかく「めし友図鑑」は優れたグルメ番組だ。
国内の美味しいお米で炊いた美味しいごはんを中心にして、それにベストマッチするオカズを全国で取材し、それを司会の別所哲也がメチャクチャ美味しそうに食べる。
別所哲也が現地に行くのではなく、彼は社長室のようなところでデスクの前に座り、シンプルに出されたそれら「めし」とその「友だち」をいただく。
ただそれだけの番組なのだが、見始めたらヨダレが出てきそうになるくらい魅力的だ。

今機内とネットで配信されている「めし友」では新潟県南魚沼産のコシヒカリが題材になっている。
この米で作ったご飯に何が合うのか。
それを中心にその新潟の「のっぺい汁」、「塩引き鮭」、福島県会津地方の幻の「山塩」が取り上げられている。
とりわけ記憶に焼き付いて離れないシーンは、炊きたてのコシヒカリのご飯に焼きたての塩引き鮭の切り身がトンと置かれ、別所哲也が「いたがだきます」と食べ始め、一呼吸魔があいて痺れるような口調で「美味い!」と叫ぶその瞬間である。
見ているこっちも「美味そう!食べたーい!」と叫びそうになる。
最大の見せ場だ。

こうなるとヒコーキに乗っている場合やないやないか。
茶碗もってワシにもご飯と鮭をちょうだい!と客室乗務員にリクエストしたくなるほどに感動するのだ。
最近はグルメ番組を見てもあまり感動しなくなってしまったが、この「めし友図鑑」は明らかに別格であろう。

ここんところ仕事の関係でヒコーキに乗ることが激減したのだが、それでもネットを使ってこの番組を見ることができるとは。
なかなかやるじゃないかANA!
機内でもご飯と鮭の組合せを食べさせて!
そう思う番組なのである。

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この事件はどういうわけか新聞などでほとんど報道されていない。
私が事件を知ったのも、たった一回放送されたNHKのニュースを聴いたというカミさんからの伝聞からであった。
で、その事件とはなんのことかと言うならば、

「南海電鉄のIC交通カードの基幹であるミナピタカードのクレジットカードナンバーが2万件以上も流出してしまった」
という事件なのだ。

いや、事件ではあるまい。
少なくとも南海電鉄にとっては。
彼らにとっては事故や失敗、若しくは単純ミスに分類される事象なのだろう。
でもユーザーからしてはたまったものではない「事件」なのだ。

どのような事件かというと次の通りだ。

大阪難波にある南海電鉄経営の「なんばパークス」および「なんばCITY」のクレジットカードの顧客に対してカード統合案内のDMを送る際にハガキの宛名面にその顧客のクレジットカードナンバー16桁をすべて印刷して投函してしまったのだというのだ。
ちなみにそのハガキの現物がカミさんの元へも届いていたのだが、確かに16桁の番号が正しく、しかもわかりやすく、カミさんの名前のすぐ下に印字されていた。
これはどういうことか。
カミさんの名前とクレジット番号が正確に照合でき、セキュリティのゆるい店舗ではお買い物ができてしまうのではないか、と思えるハガキなのである。
しかも、このハガキが送られてきたのはカミさんだけではなく、カードを利用する21,873人のユーザーに送られているというのだ。

そもそも個人情報保護法にも何らかの抵触をする事件ではないかと思えるのだが、南海電鉄の反応はラッシュ時の急行のように鈍い。
いや、鈍いというようりも、他人事なのだ。

ミナピタカードのサイトを開いてみると、
「ダイレクトメールへのクレジットカード番号の記載について(お詫び)」
の表示があり、クリックすると南海電気鉄道株式会社名で事の次第を伝えるPDF文書が開く。
そこには発生した日付や件数、状況などが書かれている。
だが、原因についてはあたかも単純ミスのように書かれているのに加えて、自社のチェック構造がどうなっているのかの説明は一切なされていない。

しかも肝心のお客様への対応は、
「カード番号及びお名前だけでは第三者による利用は困難であり、またクレジットカード会社の監視システムにて不正利用防止のための管理強化や....いただいております。」
となっている。

これはどういうことかと要約すると、

その1、そんな情報など役にも何にも立たないので私は関係ありません。
その2、監視は南海電鉄ではなくクレジトカードの会社の仕事。

と受け取ることができて、まったくの他人事であることが認識できるのである。

ということで南海沿線に居を構えている私としては、いっそのこと今後は阪急のパソナカードとスタシアPiTaPaカードに変更したほうがよほど安全ではないかと思案しているところだ。
地域的には関係ないけど。

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昨年度の最大のヒット映画といえばアニメ映画の「君の名は。」。
その「君の名は。」を先週の日曜日に鑑賞してきた。
何を今更、というなかれ。
我が家で「君の名は。」を見てみたいと盛んに訴えていた高校生の娘が受験勉強から解放されたため、やっとのことで家族で観に行くことができたのだ。

この映画はそもそも昨年8月26日に公開された映画なのに未だにロードショー公開が続いている化物作品だ。
誰がこの映画のヒットを予感していたであろう。
期待感の無いまま大ヒットしたその理由を私は知りたい。
それが映画を見た最大の理由であった。
何の、どんなところが人々の心を惹きつけるのか。
なにしろこの映画は配給会社でさえヒットするとは期待していなかったに違いない。
というのも夏休みも終わりという8月末に公開されたところが「期待外」というところをはっきりと表しているからだ。

これは配給会社が必ずしもヒットを予見することができないという実例で、そんな作品の有名な例に「スター・ウォーズ」がある。
かの歴史的大ヒット作品も初公開の1977年はわずか50館での公開だった。
全米で50館なので配給元の20世紀フォックスはまったく期待していたとは思えない。
「監督はほとんど新人だし、出演者もスター俳優がいないし、玩具がビュンビュン飛んでいるだけの、こんな映画ヒットするわけがない」という判断だったようだ。
しかも当のルーカス本人がコケるのを恐れて公開日はハワイへトンズラしていたという伝説のある映画である。
「君の名は。」まさしく、そういう配給会社が期待していなかった映画なのだ。

娘の受験が終わるまでこの映画は見ないという約束があったため、事前にこの映画の情報を仕入れることを私は控えていた。
物語はもちろんのこと、評判、や出演している声優の名前さえ調べることはなかった。
ただ、なんでヒットしているのか。
それが気になって仕方なかった。

楽しみにしていた娘も、公開された頃、つまり受験シーズンが激化する直前に見に行った友達の評価を聞いていただけなので事前知識は殆どなかったのだ。
ただ主人公の男女の心と体が入れ替わる映画、ということだけを知っていたに過ぎない。
私はこのことから大林宣彦監督、小林聡美、尾美としのり主演の「転校生」の焼き直しではあるまいか、とも想像していた。
ところが全く違う映画だった。

ロードショー公開されて半年以上が経過。
私達親子が訪れた映画館は驚いたことに未だ客席が三分の一以上埋まっていたのだ。
これは凄い。
私はどういう映画が始まるのか久しぶりにワクワクして本編が始まるのを待っていた。

結論から言って、見終わった後の感想は、
「何か判然としないが、心の底に何かがある、いたたまれない気持ち」
が蘇ってきたということだった。
蘇って来た、ということは以前に体験したことのある感覚ということなのだが、その感覚とは阪神大震災が発生した直後からの数年間感じ続けたあの、
「いたたまれない気持ち」
と同じなのであった。

映画が公開されて半年以上も経過するのでストーリーを知っているひとも多いことと思う。
この映画は、
「あの時、あのことに注意をしていれば、あの大災害でも死なずに済んだかも知れない」
という、あの気持を思いださせるものがある。
後悔とはまた違った、坑がうことのできない運命を、受け入れがたいと感じる「あの感覚」とでも言うのだろうか。
複雑な感情だ。
そう、この映画は単にエンタテーメントとしての物語ではなく、日本人の多くが過去20年間に遭遇した2つの巨大災害をフラッシュバックする映画だったのだ。

この映画を見終わって数日間、あの感覚がなかなか消えず、
「どうしてそういう感覚を持ってしまったのか。確かめるためにもう一度見てみたい」
と思うようになっていた。

もしかするとこの映画のロングランはそういうところに人々を惹きつけて止まないという理由のひとつがあるのではないか。
考えれば考えるほど、この映画が生み出すあの感覚が魔力のように私の心を包み込んでくるのだ。


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1990年8月。
クウェートに軍事侵攻したサダム・フセインは日本人やアメリカ人など外国人を人間の盾にしてクウェート解放を目指す連合国軍に対抗。
その卑怯な手口に世界を大いに驚かせたのだった。
2017年3月。
金正男暗殺に始まるマレーシアとの外交上の対立で北朝鮮政府は駐北朝鮮のマレーシア人の出国を禁止。マレーシア政府から譲歩を引き出すための人間の盾にした。
まったくもって卑怯極まりないことについて北朝鮮は気にするセンスは持ち合わせてない。

この2つの類似した事態で大きく異なるのは他国の態度だ。
1990年のイラクの人間の盾は結局逆効果になり、やがて砂漠の嵐作戦に始まる湾岸戦争に発展。
サダム・フセイン政権の崩壊が始まることとなった。

一方、2017年の北朝鮮の人間の盾は何の効果もなく米軍はもちろん、北朝鮮の身内である韓国も対立している当事者のマレーシアも動かない。
人質になっているマレーシア大使館員の人々には申し訳ないが無視されている状態が続いている。

これはやはり北朝鮮にはイラクのような石油資源がないからに違いない。
簡単に述べると北朝鮮はまともに相手にしても価値がない存在ということだ。
石油はないし石炭もない。
農業もいまいちだし、産業技術は無いに等しい。
こんなところ関わっているとろくな事はない。
マレーシアが今抱えている対北朝鮮問題を見るにつけ「なんて厄介な」思うだけである。

ということで鬼ヶ島こと北朝鮮。
この国を退治するのは周辺国以外は国際社会に関心がないので結構たいへんかもしれない。

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ミュージカル映画「LA LA LAND」鑑賞した。
物語はもちろんよく出来ているし、美術の色彩感覚も凄いし、カメラワークはどうやっと撮ったのか分からない驚きの部分も少なくなく、ジーン・ケリーの巴里のアメリカ人を彷彿させるエンディングの画面づくりも映画ファンにはたまらないものがった。
つまり凄い映画だった。
この「LA LA LAND」を鑑賞したあくる日に、梅田のBillboard大阪でクリストファー・クロスの日本公演へ出かけた。
クリストファー・クロスというと映画「ミスター・アーサー」で歌った「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」でアカデミー主題曲賞を受賞したシンガーソングライターだ。
毎年この時期に来日して大阪と東京でライブをしているという日本贔屓だ。
元々高い声質で透き通るような歌い方が魅力的だったが、やはり40年近く前と異なり声質が少し劣化していて、前半「声が出てないな〜」と少し残念だったが、ソロでギターの弾き語りを始めたころから調子が出てきたらしく最後は大いに盛り上がりなのであった。

歌手の声は年齢とともに大きく左右されるな、と考えながら帰宅している途中、一緒にライブに行った娘が、
「やっぱり向こうの人は歌がうまいな〜」
と言った。
やっとのことで受験が終わりそうな高校生の娘が息抜き第一号で出かけたイベントだった。
娘は子供の頃から祖父母と一緒にいる時間が長かったために演歌やフォークには詳しいがJ-POPにはほとんど興味がないみたいで話題にすることが殆ど無い。
ちなみにお気に入りのシンガーは松任谷由実だ。
そんなこともあって昔や外国の歌には興味を持っている。
最近は英語の聞き取りにも力を入れていたので、クリストファー・クロスの歌詞もかなり聞き取れたらしくご機嫌であった。
LALA LANDといいクリストファー・クロスといい、世界品質のエンタテイメントの高品質に感動していたのであった。
そんな中、

「J-POPの歌って何を言っているのか分からへんし、下手やと思う。お父さん、昔から下手な歌手は多いん?」

と訊いてきたので、

「昔も下手な歌手は少なくなかったで。」

と答えた。
私は浅田美代子や大場久美子を思い出したのだ。
せっかくなので帰宅してからユーチューブで彼女たちの下手くそな歌を娘に見せ聞かせしてみようということになった。
で、帰宅後、彼女たちの歌を聞いた娘が、

「え、上手やん」

と言った。
驚きであった。
巷に溢れるJ-POPの歌品質を標準とした場合、昔の浅田美代子や大場久美子の歌唱力は音痴ではなかったのだ。
しかもそれを私自身が感じたのだ。
浅田美代子の「赤い風船」を聴いて、
「え......こんなはずではなかったんや、け、ど」
となってしまったのだ。
浅田美代子や大場久美子などの歌は当時子供であった私が聴いても衝撃的なくらい下手くそなのであった。

それを「普通やん」と思うこの感覚はなんなのか。

歌手のクオリティは慣れで変わるのだと初めて知った瞬間であった。

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「本年度のアカデミー作品賞は.........Now oscar goes to.......... "LA LA LAND"!」
「わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
(大観衆の拍手喝采!)
「と、言ったけど、ホントは"Moon light"!」
(舞台の全員と客席の観客が全員ズッコける)

と言う具合にいけば吉本新喜劇みたいで何事もなかったのだろう。
が、そこはアカデミー賞。
吉本新喜劇というわけにはいかなかったようだ。

前代未聞のご発表になった原因を作った犯人については「Forbes JAPAN」に記事が載っていたのでそちらを参照。(http://forbesjapan.com/articles/detail/15375)

それにしてもミスしたスタッフはともかくとして発表した二人がよかった。
フェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティなのであった。
この二人の組み合わせといえばもちろんニューシネマの金字塔「俺達に明日はない」。
1967年の名作の主演二人組ボニーとクライドを演じたのがこの二人だった。
私は「俺達に明日はない」を劇場で見たのは1978年ごろ。
毎日新聞大阪本社のビルにあった大毎名画座という映画館でみた。
このビルの地下には大毎地下劇場という名画座があって大毎名画座は同ビルの6階ぐらいにあって、そこで上映されている映画よりもより映画マニアに好まれる作品が上映される映画館だった。
「ニューシネマ」という響きとともに私は「明日に向かって撃て!」は大毎地下劇場で「スティング」との二本立てで何度も見ていたのだが「俺達に明日はない」を見る機会がなかなかなかった。
ちなみに「イージーライダー」は未だ見たことがない。

初めて「俺達に明日はない」を見てそのエグい内容に度肝を抜かれた。
エグいというのは汚いという意味ではなく、ボニーとクライドという若い二人の生きざまのエグさに度肝を抜かれたのだ。
さらに脇役にジーン・ハックマンとジーン・ワイルダーが出ていたのも私には衝撃的だった。
1978年ごろと言えばふたりともトップスターだったからだ。
マシンガンで撃ち殺される最後のシーンよりも、もしかしたらこういう些細な事が強烈に印象に残っていた映画だったのかもしれないな、と今回想いを馳せたのだ。

その後、ウォーレン・ベイティの映画は数多く見ることになったがフェイ・ダナウェイについては「タワーリングインフェルノ」以外にお目にかかることはなかった。

そういえば著名な二人組をもう見ることは出来ないのだな、ということも元気にしている二人を目にした思った。

ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。
ジャック・レモンとウォルター・マッソー。
ジーン・ワイルダーとリチャード・プライヤー。
ジョン・べルーシーとダン・エイクロイド。
ウィリアム・シャトナーとレナード・ニモイ。
などなど。

年老いたボニーとクライドはまたもや世間を騒がせてくれたのだが、その健全な姿に懐かしさを感じつつ安堵した映画ファンは少なくないはずだ。

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宮﨑駿が監督したNHKのアニメ番組「未来少年コナン」に登場するジムシーは豚のことを「うまそう」と呼んでいた。
当時中学生だった私は「ヘレカツ」は美味しそうに見えるのだが、どう考えても「生の豚肉」はもちろん「豚」そのものを見て、それを美味しとは思えなかった。
どちらかというと生きている動物は豚だけでなく、それが牛であっても、鶏であっても美味しそうと思ったことはなかった。
従ってジムシーのセリフはアニメの世界だけのものだと思っていたのだ。

やがて社会人になって結婚をして子供を連れて大阪天保山の海遊館に行った時に水槽の中を元気に泳いでる「鯵」の群れを見て初めて「美味しそう」と思った。それが初めて生きている動物を見て美味そうと感じた経験なのであった。
しかし未だ「あんこう」や「なまこ」「タコ」の類を見て「美味そう」と思えたことはない。

内澤旬子著「世界屠畜紀行」(角川文庫)で著者はジムシーのように生きている豚や牛を「美味そう」と言っていた。
ジムシーのセリフはアニメだけのものではなかったのだ。
本書は生きている牛や豚を見て「おいしそう」と言える著者が日本、韓国、アメリカ、モンゴルなど世界の幾つかの国々の屠畜を取材し、その仕事に従事する人々やそれを取り巻く社会、そして方法、考え方などを著した紀行ものだ。
本業はイラストレーターらしく、わかりやすいイラストが添えられている。

この本を初めて見た数年前、
「これは凄いことを書籍にしたものだ」
と感じてすぐにも読まなければ、と思った。
でもすぐに買わなかったのはそこそこ値段が高かったことと、他に買わなければならない本があったためで今回やっと文庫を見つけて読むに至ったのだ。

そもそも屠畜という業務そのものが日本人には馴染みが薄い。しかもそれを生業にする人たちを差別してしまう闇の文化がある。
このため一般の人が「屠畜」から「加工」に至るプロセスを見たり聴いたりすることは稀である。
今、一般的には食肉がスーパーに並んでいる時はの姿は存在しない。
ただそこには「商品」があるのみ。
綺麗にカットされパックに詰められフィルムでラッピングされている。従ってそれが生き物であったことを連想させるものが無い。
肉だけではない。
魚も切り身で売っているので元はどのような形の魚なのか知る由もない。

このような状態は人間の食に対する基本的意味を失わさせるのに十分な役割を担っているわけで、本書で度々謳っている、
「すべての生き物は他の生き物の生命を頂戴しなければ生きていくことができない。」
ということを知らず知らずに忘れてしまっているのだ。
そういう意味で、屠畜は立派な職業であり、職人技とも言えるその技術はいずれの国の場合でも他の職業同様尊敬すべきものなのだ。
技術も驚きだったが、我々は牛や豚の生命を頂いて生きながらえているということを思い起こさせてくれるという意味でなかなか類を見ない良書なのであった。


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