昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(154)第18回読書ミーティング(5)宇宙からの帰還

2016-05-26 06:13:17 | 三鷹通信
 参加者(小生)推薦図書、立花 隆「宇宙からの帰還」       
 
 <解説>何人もの宇宙飛行士の内的体験を徹底した取材によって鮮やかに描いていく。
 宇宙へ行って感じたことについて、彼ら自身に「こんな面白いインタビューを受けたのは初めてだ」と言わしめた、若き立花隆の手腕が、読めば必ず実感できる1冊。
 宇宙から帰ってきて宗教家になった人、精神の破綻をきたしてしまった人、実業界や政界で成功を収めた人、など様々な人々の話が収録されている。
 特筆すべきは、宇宙で神を感じたという人々の多さ。
 宇宙船のなかで、ふと地球を見るとき、神と宇宙と人間について、地球にいてはわからない、別の世界が拓かれてくる。
 単行本は1983年刊。サイエンス読み物のもはや古典と言っていい作品。現在21刷。

 小生が感じた、宇宙からの見方を三つ挙げてみたい。

 *ジーン・サーナン: アポロ17号で最後の月面着陸を果たした。
  
 宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさにうたれる。こんな美しいものが、偶然の産物として生まれるはずがない。ある日ある時、偶然ぶつかった素粒子と素粒子が結合して、偶然こういうものができたなどということは、絶対に信じられない。地球はそれほど美しい。何らの目的なしに、何らの意志なしに、偶然のみによってこれほど美しいものが形成されるなどということはありえない。・・・宇宙からそれを見たとき、それは「神の存在」へのゆるぎない確信になった。…どの宗教の神が上位ということではない。我々がいう”God”も唯一至高の存在に対してつけられた一つの名前だ。私はどの宗教も基本的によきものだと思っている。
 ・・・宇宙はいまや人類にとって環境の一つになったと思う。海洋が人類の環境であると同じ意味において宇宙も人類の環境である。・・・そのためにすべきことは巨大なスペースステーションを作ることだと思う。

 これが大半の宇宙飛行士の感想だが、中には人類社会の醜さが浮き彫りになったと感じる見方もある。

 *ジョン:スワイガート: 「栄光ある失敗」と呼ばれたアポロ13号で月面着陸を目指したが事故のため果たせず、しかし無事帰還した。
 地球の外から地球を見るという経験を持った。・・・ところが、この地球に帰り、ワシントンに行って政治家たちを見たとき、連中の頭がどうしようもなく古く、固く、狭いのを知って、これではどうしようもないと思った。・・・たとえば、科学技術の時代に、科学技術の知識がなければ、世の中をどうしていければいいかなんてことは、まるでわからないはずだ、ところがアメリカの議会では、535人の上下両院議員のうち、科学技術のバックグラウンドのある議員はたったの5人しかいないんだよ。・・・アメリカの議会はもっぱら弁護士ででき上がっているんだ。・・・テクノロジーの理解は政治家の充分条件ではない。しかし必要条件ではある。現代社会解決を迫られている問題のすべてが、テクノロジカルな解決を必要としている状況にあるからだ。・・・これから21世紀にかけて解決が迫られている最大の問題は、エネルギー問題、食糧問題、南北問題だ。いずれもテクノロジーなしには解決できない、
 また、彼は「デモクラシー」についても語っている。
 「リベラル派のどこがいけないのか?」という問いに対して、
 デモクラシーが健全なのは、有権者が自分たちの投票行動のいかんによって、政治資金から多くのものを引き出すことができることを発見するまでの間だ。この原理を発見してしまうと、有権者は政府資金からより多くのものを約束する候補者に投票するようになり、従って候補者たちは競ってより多くのものを約束するようになる。その結果、デモクラシーは必ず財政破綻に陥って、財政的に破たんする。そこまで行くと、もうデモクラシーではどうにもならないというので、独裁政治がそれにとって代わる。・・・
 なるほど・・・。
 三番目に注目した見解は?

 *ラッセル・シュワイカート: アポロ9号で月面着陸を達成した。
 人間という種に対する義務感を強く感じたということだ。この体験の価値は、私にとっての個人的価値ではなく、私が人類に対して持ち帰って伝えるべき価値だ。私は人間という種のセンサーだ。感覚器官に過ぎないと思った。それは私の人生において、最高にハイの瞬間だったが、エゴが高揚するハイの瞬間ではなくて、エゴが消滅するハイの瞬間だった。種というものをこれほど強烈に意識したのは、はじめてだった。そして種を前にした、自分の卑小さを強く感じた。私の下では、ちょうど、第三次中東戦争がおこなわれていた。人間同士が殺し合うより前に、もっとしなければならないことがある。人間と人間の関係も大切だが、人間という種と他の種との関係、人類という種と地球との関係をもっと考えろということだ。・・・その後、ラブブロックが「ガイア」という本を書き、それを読んで、これだと思った。
 ・・・古代人の神話的世界観においては、太陽神と地母神が人間の父であり母であった。
 ラブロックは、この古代人の世界観は、現代科学の観察と一致するという。
 地球全体が一つの生きた有機体であるという。
 
 地球は一つの大きな生物であるというのだ。地球は人間をはじめとするさまざまな生き物が生きている「場」に過ぎないのではなく、それ自体が一つの生物であり、他の生物はこの巨大な生物に寄生している微小な生物に過ぎない。
 ・・・いま、人類は地球の上で核戦争による絶滅の危機にさらされている。そのことと我々がちょうど時を同じくして、地球の外に出る能力を身につけつつあることは、私には偶然の一致とは思えない。・・・核戦争が起こらないとしても、地球上の人類にあまりよい未来はない。というのは、人間という種の内部で、画一化がどんどん進化しているからだ。これは交通・通信の発達と、環境の画一化といういずれも文明のもたらした現象によるものだ。一つの種が健全な生命力を保っていくためには、多様性が必要なのだ。多様性のためには多種の環境が必要だ。特に穏健な環境ではなく、苛酷な環境が必要だ。それなのに地球上の環境は、画一的に穏健になりつつある。こういう種は種としてひ弱になっていく。いつどんなことが原因で大絶滅が起きるかもしれない。それに対して宇宙に進出した人類は、宇宙という過酷な環境の中で、きたえられ、より強い種として発展していくであろう。・・・人類全体としては、多様な発展を宇宙でとげるであろう。

 
 <好奇心コーナー>

 今、伊勢志摩に世界をリードする7か国の首脳が集まり、サミットが開かれようとしている。
 
 宇宙から地球を見下ろす場で行われないと人類の本質的な問題解決にはつながらないだろう。


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