昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(392)北朝鮮問題を哲学的に考察する

2017-09-08 09:40:39 | エッセイ
 安倍首相はプーチン大統領と会談し、北朝鮮にさらなる圧力をかけることで話し合ったが、・・・
 
 一方トランプ大統領も中国にさらなる圧力をかけるべく働きかけをして北朝鮮に核放棄を迫る戦略を採っている。
 
 しかし、いずれも戦争になることは望んでいない。
 そして、北の核保有容認論も浮上している。
 その上で、昨日のブログでご隠居は「南北民族統一策」を提唱した。

 ボクは、今世紀最大の哲学者といわれるドイツのマルティン・ハイデッガーの言葉を思い出した。
 
 「世界」と「大地」という概念を使って人類社会を分析している。
 まさに人類は地球という大地の上に、自らを開け広げる「世界」を構築していく生き物である。
 中世の教会はまさにその象徴といえるかもしれない。
 
 神、宇宙、誕生と死、災難と祝福、勝利と屈辱の世界を上に向かって限りなく開け広げていく「世界」を想起させる。
 しかし、ここでは一定の記憶と歴史に固着された場所、「大地」に停留しつつ行われている。
 
 「世界」と「大地」は相補的であるとともに対立もしている。
 「世界」が常に空け開くことを本質としているのに対して、「大地」は常に、それを中に引き入れて保持しそこに閉じ込めておこうとする。
 ハイデッガーは言う。
「世界がすべての本質的な命運を主催している広がりと軌跡として、自らをある決定されたものの上に創基すべきであるならば、世界は大地を離れて浮動すべきではない」

 ところが、現代ではどうか?
 人類を滅ぼす恐れのある<核兵器>開発に奔走し、「大地」に根づいた民族は人工的な国境により分断され、人の生活がないがしろにされる無限に突き進む「世界」の様相を呈している。
 今こそ「世界」は根本的に問い直されるべき時に来ているのでは?
 





 <好奇心コーナー>
 
 9日は北朝鮮の建国記念日。 日本をまたぐICBMを発射するのではと噂されている。
 さて、めでたく<核保有国>の仲間入りを祝ったとして、金正恩にとって国民生活の改善という致命的な課題が待ち受けている。
   国内視察する金正恩将軍に対して「洗濯物」というあだ名が流布しているとか・・・。
 国民の生活に如何に対応すべきかが、彼にとってこれからの致命的な課題になる。
 <核抑止力>でもって国民の生活は贖えない。