Kou Farm

畑の話と日々の雑談

トマトも人も

2017-05-25 21:59:55 | 畑の事
間に合うか・・とヒヤヒヤしてたトマトの植え付けも 駆け込みでなんとか間に合わせ
只今 生育中です

ポツリポツリと実もついて

朝方には ちょっと見にくいですが

葉先に水滴がついてます 
順調な印ですが・・
一時期 天候がすぐれず 雨が続いた時は ほぼ全ての株に病気がでて
ホントに肝を冷やしました
その後 晴天が続き 回復して上の画像の通り 元気に育ってます 

芽掻きをしながら 一本ずつ誘引していくのですが 理想的な株もあれば ちょっと心配な株も
パッと見 皆同じトマトなのですが 一本としてコピーした様な同じ株はありません


それで ふと思ったのですが
ここ数ヶ月 会社員の方々の話を聞く機会が多く 
僕の様な立場から見ると 会社という拘束もしくは枠組みを外して見てしまうものですから
会話の中に その人の素を探してしまいます
そこで思いましたのは その人は何十年という積み重ね あるいは経験を経てきて
今 その会社にいるわけです 余程親しくならない限り同僚とは 今 の付き合いです
過ごしてきた月日を考慮して付き合うのは 極まれでしょう
その 今 の付き合いを無難にこなすのが社会人なのでしょうが なかなか上手くいかない事もしばしば 
まぁ そりゃそうで 違った生き方 経験 考え方 をした人たちが 極端な話 ある日突然
今日から毎日 最低8時間共同生活をしてもらいます と言われても 戸惑うし ストレスも生じるでしょう

個々の 今 には過去という時間が隠されてます
それを思いながら見ると 会社はドライに目的遂行をする場所ではなく 個々の人が過去に縛られていたり
過去のくびきを乗り越えようとしていたり あるいは 過去からのご褒美をもらっていたり
常に流動する 何かの生き物のように思えたりします

視点を会社から それぞれの個人に移してみると 会社はその人が持つ課題(会社のではない)をクリアするための
ステージと見る事もでき そこで苦しんで落ち込んだり わずかでもクリアして笑顔になったりする姿は
時に笑えたり 時に感動させてもらったり 時にアホやなぁと呆れたり
とにかく もちょっと頑張れとエールを送りたくなります

また その姿は僕自身と重なり 自らを省みるきっかけにもなります

まぁ~ なんですなぁ 人って 愛おしいものですなぁ・・何目線だ(笑)

年をとっても

2017-05-18 21:59:36 | 日々の事
先日 あるテレビ番組を見てました
90歳の寿司職人と70歳の天ぷら職人の交流を取材したドキュメンタリー
二人とも高名な人なので メディアもちょくちょく取り上げ知ってはいたのですが
こんな歳だったんですねぇ~
今なお現役でヤル気 探求心  負けん気 が充実してるのに驚嘆しました 
業種は違えど 僕もモノ作りに携わる者として 到底まねできない・・
そもそも 自分と比較する事自体可笑しいのですが(笑)

僕が思うに 一つの事に打ち込んで70歳にもなれば やりつくして そろそろこんな所か
と諦観の域に達するものか と思うのですが
もちろん肉体的な衰えは当然あっても その精神は純粋さを増し さらに輝いているように見えます

こんな年のとり方もあるのだな・・と これまた感嘆
この方達は経済的にも成功(?)してますが そうでなくとも何事かに一身に打ち込む事は
内面外面 共に人としての美しさを醸し出すんだなぁ~と感じた次第です

微妙だが違う

2017-05-11 21:57:39 | 畑の事
畑では
ホウレン草が

キャベツが

ジャガイモが

育ってきてます

去年の夏に最初の種を茉播いて以来 育ち方を観察してきましたが
やっぱり違う もちろん つくばとは気候が違うので その影響は受けている
しかし それだけでは無さそうです
分かり易いのは窒素の量だろう 土壌分析の結果では窒素がとりわけ不足していた
有機系の畑にはありがちな事ですが 去年の今頃までは慣行農法の人が使っていた
それでも不足気味と言う事は あまり肥料(化学肥料)を入れなっかたのだろう(僕にとっては好都合)

それと もう一つ ここは台地なうえに関東ローム(火山灰層)なので水はけがすこぶる良い
普通の雨なら 止んで翌日には午前中から耕運機を入れられる
それで雨で流亡し易い硝酸態窒素が少ないのも頷ける
今できる対策は腐植を増やし いわゆる団粒化を進める事 それである程度は水をくわえ込める・・と思ってます
そんな訳で 先日も新畑でせっせと堆肥撒き
いや~疲れました

そんな僕を癒してくれるのが
こんな風景

山間部の小さな畑に水が張られました
もうすぐ田植えです
この田んぼも 大昔はずっと小さかったのだろうと想像します
少しずつ山を開き 時間をかけて少しずつ広げてきたのではあるまいか
違和感なく風景に馴染んでる姿が そう思わせます

ひよっこ考3

2017-05-05 22:05:28 | 自然
いやいや びっくりだぁ
小淵沢のキャンプ場 第一駐車場は県外ナンバーの車であふれ
入りきれなかった人らぁ 第二駐車場でテント張ってぺよ
普段イノシシか雉が散歩してるだけだっつうのに
いやいや ゴールデンウイークとはいえ はぁびっくりだ
確かに迫るような山の新緑は まぁ綺麗だけんど
谷間の狭い所に こんなに人が集まると ちょっと尋常じゃねェべ
こんでは知る人ぞ知る穴場スポットとは もう言えねェなぁ~


さて

先日の ひよっこ
集団就職列車の中で 一人ポツンと座ってる女の子に
みね子達が こっちゃこう(こっちにおいで)と相席させ 皆の弁当を少しずつ分け 食べさせる 
この過剰なぐらいの親切と優しさ
ストーリーの展開上 大した意味もなく入ったシーンかもしれないが
みょうに懐かしい
僕が子供の頃 こんな感じの光景をよく見たような気がする
僕の親世代はこんな感じの事をしてたなぁ その記憶が懐かしさの源泉らしい


一昔前まで 農村とは稲作百姓の集団でした 大根やニンジンではなく米を作るための共同体
水資源や収穫物の管理 共同作業が多い事から 村は結束が固く その分排他的でもあった 
村八分などは結束の固さの裏返しであろう
かと言って よそ者に対してまったく不親切かと言うとそうでもない 警戒心はあるものの好奇心は旺盛
当時の人達の心の風景は歴史的なくびきの中にあり(それは今も同じかもしれませんが) 平成を生きる
現代人には すべてに共感できるものではないかもしれません

ただ思いますのは
当時も差別や偏見はありました(ある意味 今より酷い)が 今よりも緩やかな空気感が漂っていた
ような気もします
裸の大将で有名な山下清 もし彼が高名な画家でなかったら ただの怪しい人です(笑)
時代は少し遡りますが 昭和15~29年 無名の彼が (しかも彼は知的障碍者です)
長期に渡って放浪の旅ができるなんて 時には見ず知らずの彼を雇用し働かせてくれた人もいたようです
沢山の人の好意がなければ 彼の旅は成り立たなかったと思うのです
今の世の中 もし彼が放浪したくても 世の仕組みが それを許さないんじゃないでしょうか

時代は比較できるものではありませんが 今に至る変化を示唆しています
それを単純に良い悪いとは言えませんが 興味深い事ではあります


ちなみに
一人ポツンと列車に乗っていた澄子ちゃん
福島県いわきの出身です
この時代 活況を呈した常磐炭鉱は下火となり 多くの労働者が収入の道を閉ざされました
映画フラガールも まさにこの時代を切り取ってます
澄子ちゃんの家も きっとそのあおりを受けたのでしょう(と勝手に解釈)彼女はフラガールにはならず
集団就職で東京を選んだ
奥茨城村は高萩市の山間部(大野や下君田)から里美 大子 あたりの何処かを想定してると思うのですが
福島のいわきから隣接する茨城の北茨城 高萩のように炭鉱という近代化の波の恩恵にあずかれなかった
地域です 小さな田畑を耕し 副業を持たなければやっていかれなかった貧しい土地
全国の中山間地も似たり寄ったりだったのではないでしょうか
みね子達が映画を見ようと思えば一時間以上バスに揺られ 親切な警察官の出身地 高萩 までこなけれ
ばならなかった(たぶん)
この時代の高萩は飲食店 洋品店 映画館 スーパーマーケット(今よりは小型だが)なんでもあったのです
そして 今 みね子達が働く東京では首都高を車がビュンビュン走り 新幹線がとんでもないスピードで人を運び
銀座では自由を謳歌する若者がぶらぶらしてました(銀ぶら と言うそうな)

全くもって 歴史とは 時間の流れとは 日本国中 一様に流れるのではなく モザイク状です 


・・とまあ 知ったような事を書いてますが この時代 僕はまだ生まれてもいません(笑)
僕が知っているわずかな事実を基にした想像です

集団就職と聞けば地方の貧困という印象が強いのですが
その貧困も 何の貧困なのか?物質的な貧困であるならば
それが不幸ばかりであったのか?
みね子達の 溢れんばかりのお人好し感が そうではないと 伝えてくるのです