Kou Farm

畑の話と日々の雑談

沼田牧場

2016-06-27 20:43:41 | お店
畑から山間部に向かう
花貫ダムを過ぎ さらに奥へ 15分もすると山間の小さな集落
道沿いに小さな畑や田んぼが

お爺ちゃん お婆ちゃん達がちゃんと手を入れてます
そこから さらに山道をうねうね登ると なんと目の前をトンビが横切る 
空高く輪を書いてるのは見た事ありましたが 目前2~3mはビックリ
やがて 視界が開け 牛舎が見えてくる

沼田牧場さんです
ご夫妻と 三代目にあたる息子さんとで営まれてます
メインの乳牛は

個別のゲージは無く 牛舎の外にも自由に出れるようになってます
ストレスが少なくて 牛達も心地よさそうに餌を食べたり 寝っ転がって反芻したりする姿が何とも可愛い
近年は和牛子牛の繁殖も手掛けてるそうで

こちらは息子さんが担当
その牛舎の前には 広大な牧草地 肥料は日々牛達が生産してくれますので 無駄なく循環してます

搾りたての牛乳 もちろん無加熱 いわゆる生乳を一杯ごちそうになりました 初めての体験です
うまい! 甘い!がくどくはない さらりとした喉越し
初めて平飼い有精卵を鶏舎で飲んだ時同様 驚きです
食というのは ホントに経験してみないと分からない事が沢山ありますねェ

ただ残念なのは 法律上 生乳が一般に流通するのは とても難しいのです
ご家族から その辺の所や 飼育にまつわる話 その他いろいろな話を伺いました
ご夫妻が口をそろえて言った言葉が印象的です
『好きでなければ続かないよ』
この言葉には これまでの困難や苦労が隠れています
それでも続けてきた事への 謙虚な自信 を感じました
プロというのは技術や知識だけでなく 風雪に磨き上げられた内面も必要なのだと・・改めて思いました

いただいた牛糞 しっかり堆肥にさせてもらいます


さて


じつは この街 高萩は 畜産の歴史がとても長いのです
最初は 皆さんご存知の水戸黄門こと 二代水戸藩主徳川光圀の命で馬の牧場が開かれました
のち何度かの閉鎖 再開を繰り返しながら昭和まで続いたのです
売買の市もひらかれ 最盛期には出店も多数でて それはそれは賑やかだったそうです
牛は 戦後 馬の需要が減るのとは逆に 肉や牛乳など食生活の変化とともに頭数を増やしてきたそうです
今ではブランドの常陸牛のルーツはこの辺にありそうです

僕が子供の頃は もう市は開かれてませんでしたが 建物というか柵というか 痕跡は残ってました
友達の家の前でしたので そこで遊んだ記憶が薄っすらあります
今では その痕跡も無くなりましたが 形は変わっても 畜産の歴史は続いてるんですね
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山の中では

2016-06-22 21:40:48 | 日々の事
先日 あまり通った事のない道を走ってみました
遂に対向車に合わなかった山の中の道
道の両サイドは 急斜面に林立する杉 右へ左へカーブしながら 上へ下へアップダウン
突然に立木が切れ 視界が開ける

夕もやの中 彼方に浮かぶ峰々
思わず車を止め デジカメを持ち出す
なんとも幻想的です
栃木の山々でしょうか それとも福島か あまりにうねうね走ってきたので方向感覚が無い(笑)
仕事帰りに ふらりときた道 
森の香り 涼しげな空気 鳥の声
落ち葉を踏む音は狸でしょうか それとも猪 樹上を行くのは野生のリス 

高萩に帰ってから 真昼間 何度か野生の狸とご対面 チョコチョコ歩いては何か探す また歩いては何か探す
ついに僕と目が合う 一瞬 お互い微動だにしない 思い出したように逃げ出す狸君 
けして機敏とは言えない その姿はユーモラス 葉っぱを頭にのせて化けたりはしませんでした 残念(笑)

猪にはまだ会ってません 足跡だけです 丸いんですよ
友人知人は対面した事があるそうで ウリ坊を引き連れたお母さん猪 
瞬間 冷静さを失うほどの大きな猪 最初は大きな岩に見えたそうです
追いかけられなくて 良かったですねぇ 今時洒落になりません


なんてことはない 日常の一コマでした

それから やっと堆肥の原料 牛糞をもらえる所が決まりました
今週末 天気が良ければもらいに行こう
これまた山の中 今度は何に出会えるでしょう?
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夢でも見ようよ

2016-06-15 20:32:02 | 日々の事
先日は一日雨 なので普段は行かない所を色々訪ねてきた
農協 農業改良普及センター 市役所の農林課 観光商工課 地域創生課 です
この街での僕の農業の形を模索してます
各所 話は随分脱線して・・いや厳密には脱線ではないのですが

一つ分かった事があります
作った野菜は 売れる所=人がたくさんいる所 に持っていくのが妥当な考えなのですが
もう一つ この街で売りたい思いも多分にある事です

その為に この街 高萩に どうにか人を呼び込めないか? と 一見 野菜売りとは直接関係がないような事まで考えてしまう 
考えてるうちに もう 野菜とは全然関係ないところまで飛躍する(笑)
自分でも これはただの妄想ではないか・・となってきたので
地域創生課でぶつけてみた ぶつけられた先方はたまったものではないでしょう(笑)
それでも さすがは公務員 ちゃんと聞いてくれました(愉快であったか 不愉快であったかは定かではありません 笑)

内容の一部をひとつ
僕は 第二次ベビーブームで生まれた 現在40代前半の人達 彼等彼女等の購買力 消費の動向がポイントになると思っています
それ以降は坂を転がるように人口が減っていきます これはどうあがいても今更どうにもなりません
その40代前半あるいはその前後の人達の購買力がある間に 何かを変えるなら 変えたほうがいい
そんな思いがあり 勝手に焦りを感じています

そこで 一つの方法として 外部からの個人商店の誘致と思うのです(市内の既存店との兼合いを考慮して)
大都市では独立を夢見て修行している若者達が沢山います
彼等彼女等に そのチャンスの場を提供するのです
新しい風は街への刺激となり 出店者もこの街から何かを受け取るでしょう
以前 僕は単独での販売に限界を感じていました お客さんにとって選ぶ喜びが広がらないのです
喜びは伝播します 各店はライバルかもしれませんが 大きな視点からは相乗効果があり 協力もしていると思えます
拙い説明ですが そんな話をすると
創生課からは 大都市と比べ購買人口に雲泥の差がある高萩で開業するメリットが無い と バッサリ
その通りです・・(笑)
しかし 交通の利便性向上による商圏の広がり 物価の安さ ライフスタイル(価値観)の多様化 などなど
それに最低限の行政からの補助など 子細に探してみれば ここで開業する理由やバックアップする仕組み
は見つけられると思えます
それぞれのお店に夢や目標や個性があります その数だけお客さんにワクワクや喜びが提供できるのです・・と思うのですが
まぁ 夢です(笑)
しかし 停滞し にっちもさっちも行かない時は日常の仕事をしっかりやりつつ 夢(こころざし)を見るのもいいものです 
夢遊病にならない程度に(笑)

まだ現実的具体性をもって説明する事はできず フワフワした話になりがちでしたが
辛抱強く聞いていただけた事に感謝
又 これまでも何もしてこなかった訳ではなく 努力してきた事が分かりました
ただ 僕の印象では 世代交代がうまくいかず空白があき 活発化や継続性それに新陳代謝に難があり 思うほどの成果を
あげてないように見えます それが企業などの組織ではない 街の難しさなのでしょうね

最後に
人口減少があっても 人が豊かに暮らしていける方法の模索 を役所でも認識している事
それが分かった事は収穫でした
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普通の一日

2016-06-11 18:16:09 | 日々の事
今日は快晴
お昼過ぎまで 畑でちょこちょこ作業

帰り道 何とはなしに海に行ってみようとハンドルをきる
畑は山間部の入り口 台地の上です そこから10分とかからない

陽気に誘われ 家族連れが磯遊び


岩場で何か探す子(蟹かな?) 波打ち際ではしゃぐ子 防波堤でお昼寝する人 読書する人 わが子を見守る人 

のどかですねぇ~

今日の高戸小浜は引き潮でしょうか
昔のように 砂浜が顔を出していました




波打ち際を 地下足袋で歩く 変なおっさん(笑)




岩場を登って 見晴らしは

大海原 そして水平線


とりたてて何もない一日でした でも最高の一日でした
だって
随分と 平和なんですもの!
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ぶらぶら歩いて・・

2016-06-04 21:32:22 | 日々の事
原点回帰でしょうか
山や海や川を見ていると 妙に落ち着きます
小中学生の頃 夏休みの宿題で 唯一まともにやったのが写生でした
岩に砕ける波しぶきのダイナミックさや 雄大な山々の印象を 何とか画用紙に写し取れないか
悪戦苦闘していたのを思い出します(思えば これが絵を描き始めたルーツです)

しょっちゅう見ていた景色なのですが 写し取る行為がより一層 自然と僕の距離を縮めていたのかもしれません
30数年ぶりに帰ってきて 昔と同じとは言いませんが 感じている僕の奥の奥は何も変わっていない・・
懐かしさの中に そんな感覚を覚えるのでした

さて

都市と田舎について
僕は田舎育ちなので 都会への憧れは とても強かったです
東京に出たころは おりしもバブルに向かう途上 社会人になる頃はバブル真っ盛り
多くの人が消費に浮かれてました
そんな東京も今のところ人口増は続いてますが 日本有数のスーパー高齢化社会へ向かい 女性はたくさんいるのに出生率は低く
日本全体の出生率も下がってますので これまでのように生産適齢期の人々が わんさか地方から補充されるとは考えにくい
僕達がこれまでイメージしていた東京とは違ったものになっていく可能性が高いように思えます

それに伴い 大都市と地方(田舎)の関係性も変化していくのでしょうか
今の所 僕は明確な答えを持っていません
当面変わらなそうなのは 空間的特徴でしょうか

田舎 高萩を例に挙げれば 山川海 管理しきれない程の自然があります(天変地異でもないかぎり当面存在します)
管理しきれない・・と言いますのは
一昔前までは 燃料や食料それに肥料は海山川から供給されましたので 自然の一部は生活圏に入り 十分に手入れされてきました
現在では 煮炊きを薪ではなくガス・電気 魚や肉や野菜はお店で購入 直接自然に立ち入る機会はドンドン少なくなってきました
また 畑でも田んぼでも耕作放棄地が増え 人の手が入らないボサがどんどん増えています
例外は 一部の観光でしょうか
その観光もどんどん形と内容を変えてきてます

人と自然の関係性は時とともに変わり また 個人によっても違います
僕は この街の自然に自分が育ってきたストーリーを織り込みながら見ています
その海は ただの綺麗な砂浜ではなく 想い出が詰まった砂浜なのです
同じように育ってきた妹には また違った印象があることでしょう
まして お客として訪れる人々にとっては 年代 男女差 などなど 様々な見方 魅力の感じ方があるわけで
思い入れの強い地元の人との間には温度差 あるいは微妙なズレが生じるわけです

必ずしも都市部など外部から訪れる人のニーズに 全面的に合わせる必要は無いと思いますが
全く無視して自己満足に浸っていれば 産業として成り立ちません
現代において産業として成り立たない自然は管理されなくなります(例外はありますが)
管理されなくなれば魅力は減少 この悪循環に入れば 人もなかなか立ち入れない原野に戻るだけ
自然は管理される事で人との共生圏ができるのです
あちこち ウロウロ歩き そんな感想をもちました

さてさて

新しいお友達ができました

訳があって以前のトラクターは手放してしまい
待望の新車です
新車と言っても 中古で小型ですが 今の耕作面積なら十分
今日も一緒にお仕事

雑草を鋤きこみ綺麗になりました
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