Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

「不快」で片づけるバカ

2017-10-31 | 発達障害

その文化における「常識」「普通」「一般」と違う行為を「不快」で片づける人は、教養がない人である。その「常識」が、普遍の法則 絶対の定理 とでも思っているのか。その文化の中からしか物が見れない人に限って、自分の思い込んでいる「常識」と違う行為をする人を攻撃する。一方的に抱いているその期待の暴力性に自覚なく、すごい勢いで押し付けてくるその様が、鬱陶しくてたまらない。

そのような人間は、自分の発想の卑しさを逆に露呈していることに気づかない。

ローザ・パークスのような行為も、定時に帰ったり有給をとったりする人やいじめに加担しない人の行為も「不快」で片づけるのだろう。パークスのように、後世で英雄視され名声をもっている人の「非常識」な行為は、空気を読んでw一緒になって賞賛しているけれど、あの場にいたらなんて言ってたか、ありありとわかる。この手の輩は、同調圧力に乗って 多勢に追随しているだけの猿みたいな人達である。そして日本人の多くはこの手の輩なのである。尊敬できない人達がうじゃうじゃしている。

その場での「常識」「普通」に追随せず、自分で物を考え 行動を選択する人を理解できず「不快」で片づける人は 動物的な感情で反応しているだけで、非常に次元の低い人達である。異質への本能的な自動反応 それ止まりの人達なのである。

私は、尤もだ、素晴らしいと思う「常識」にはよろこんで加担し、社会を醜く生きづらいものにすることが明白だと考える「常識」には加担しない。共犯者になるのを拒否するのである。

「不快」で片づける人は、そのように選択する人のことが理解できない。一重に、自分がしていないからである。

常識 普通 その場での同調圧力に乗ること を絶対と思い込んで そうしない人を「不快」とか言っちゃう人は自分で物を考える習慣がないことを 自ら告白しているバカである。

そう言えば、福岡には こういう店員がよくいる。頼まれていないのにつきまとい、話しかけ、「買わないといけない」という圧力を客にかけまくって 客が買わないでスルーしたら「不快」を示す店員がいる。こういう店員も、一方的に作り上げ自ら浸っている力関係の錯覚の中で、本能的に反応している 次元の低い人である。客が買わないでスルーするのは、当然の権限であり、当たり前に起こり得ることである。買う確率と買わない確率で言えば、買わない確率の方が随分多いことを弁えるべきで、買わなかったからと言って「不快」を示すのは頭が悪い行為だ。もし玄関マットが必要でも、その店の中から今この場で選ばないといけない訳ではないし、ちょっと通りかかって目に留まったから見ている客だってたくさんいる。勝手につきまとって話しかけてしまいには「不快」を示す店員は猿に近いバカだと感じる。

期待外れの行為に対して「不快」で片づける人は、その期待自体に対して思慮を巡らす教養のないバカである。

さらに一番鬱陶しいのが、自分が選択をせずにやっている我慢、そしてそれによる不満 鬱憤を、同調しない人の行為を機に、その人を捌け口にして一気に噴出させることである。この手の人達は、粗末な論理をしたり顔で駆使して、同調しない人自身の問題にすり替えて、やっきになって非難・攻撃しているが、実際には自分が強い不安を抱いていて、鬱憤がたまっていて、その感情を、同調しない人を捌け口にして噴出させている というのが本質である。

つまり、自分がやってる生き方からくるマグマのような個人的感情の捌け口に、その生き方を選ばない人がさせられるのである。これはつまるところ僻みである。この猛烈さは何度も見てきた。お門違いの復讐 相手を間違った敵意のむき出し 矛先を誤った憎しみ であり頭が悪い。そしてすごく鬱陶しい。自分がやっている生き方でたまりにたまった鬱憤を、違う生き方をする人に向けて晴らそうとしてくるのである。自分の生き方の責任は、自分でとってもらいたい。

これは、フランスなどとは対照的で、日本人に顕著な習性である。だから、私は日本人と関わることは基本的に危険だと感じている。日本人は、自分の生き方への責任を自分でとらないで、他人にとらせようとし、お門違いの鬱憤晴らしをしてくる。西洋の服を着た猿 で間違ってないと思う。

私は、嫉妬や僻みの気持ちに滅多にならない方だと思うが、1度、こんなことがあった。不本意にも手放さなければならなかった仕事 かつて自分がいたポジション に似たことをしている人をどこかで偶然見て、そしてその人が、あの頃の私と同じで幸福そうにやっているのを見た時に、とても胸が苦しくなって 私の方がよくできるのに 私の方がふさわしいのに と思ったことがあった。こんな感情は、あまり感じたことのないもので、おそらくこれは嫉妬なんだろうと思い、これは私にとって非常に重要なことなんだ思った。ほどなくして自分の生き方において、行動に移した。そんなことがあった。

自分のしている生き方への責任を他人(感情を触発する人)にとらせようとする あまりにも未熟な人間が日本人には多く、日本でのコミュニケーションスキルの上位には、嫉妬の上手な回避 がある。私はそんなつまらないことにかまけるのがとても嫌だし、そんな次元の低いこと(他人の感情の尻拭い)を強要してくるバカの相手をしたくないのだ。


1 コメント

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Unknown (JUN)
2017-11-03 17:14:07

リリーさんにコメントを送っていることがリリーさんの負担/迷惑になっていたら教えて下さい。

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