Aspies and ADHDes

AspieとADHDの特性があり、テキトーな医師が診断しました。(自分では、第4の発達障害ではないかと思っています)

人を「支援」する資格

2018-07-28 | 発達障害

文化や常識の中からしか物を見れない人は、「発達障害」として生きづらい人の支援などできないしやってはいけないと思う。当事者に2次災難 3次災難を起こしさらに苦しめることになる。

(参考:「社会のルール」をメタ的に見れない人には発達障害を「支援」できない 「支援」者による2次災難は、元々の災難を凌駕する この限りない空しさを、誰かに告げようか 福岡市藤崎の、発達障害者作業所の実態 自分のガードに全力で専念する「支援」者 ものわかりがいい子は振り子にとって都合がいい子 )

世の中で生きにくいことには慣れていても、「支援者」による苦痛は絶望につながり耐えがたいものがある。

ただ姐御面して颯爽ぶってはりきりたいだけの人には、「支援」に関わるべきではない。自己満足したいだけだから。「支援」と言いながら、当事者を本質的には否定して見下しているのが、いずれ出るから。

人の「支援」をする資格として、文化や常識に埋没しない視点・社会のルールをメタ的に見る能力 は不可欠である。また、自分の無意識の意識を自覚しようとする態度 も同じく不可欠である。これがない人には、非定型発達者の支援はできないし、ことが悪くなる。

ただ姐御面、兄貴面したいだけのはりきり「支援」者は、その無自覚の傲慢さに対して当事者に反発されると、その傲慢さ故に、内心憤怒する。見下している相手から、手を噛まれた みたいな。支援者としてふさわしい人なら そのことに真摯に向き合い、何が起こったかを紐解き、自身にも問いかけ、成長し人間としての深み、教養、知性が増し、素晴らしい支援者となる。

でも、偽「支援」者はそうはならず、急に支援そっちのけで掌返してそっぽを向くのである。こういう人達見てると、怠け者という言葉が浮かんでくる。かれらは、物事を真摯にみようとする姿勢がない。簡単に言うと、面倒くさがり。そんな人たちは、「支援」に向いてない。真摯さが「支援」の不可欠要素だから。

そういう人達は、自分たちより知的に低く、安心して優位に立てる可愛らしい障がい者のみを相手にしていれば、災難を派生させずにすむと思う。

障がい者差別解消法による合理的配慮義務 が施行されてその雇い入れ義務に伴い、「支援」機関が雨の後のたけのこのように勢いよく増えても、中身が追いついてない。

枠組みだけできて 中身が追いついてない。だから、形だけ先行している裏で、災難も多数生まれている。

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