障がい者差別解消法による合理的配慮義務 が施行されて、その雇い入れ義務に伴い、「支援」機関が勢いをつけて増えている。就労移行支援施設や、就労継続支援機関 など…これらは税金で運営されている。
(参考:通じ合える友人 この限りない空しさを、誰かに告げようか)
が、私は「支援者」による2次災難について述べさせていただきたい。
法律や罰則はできたものの、「支援」の中身が伴っていない 実態がある。もちろん会社の合理的配慮も、形だけでまったく中身がなく当該障がい者を苦しめていることが多いし、「支援」機関のスタッフの質も、お粗末であることが多く、私から言わせてもらえば、社会的な弊害の方が大きいと思う。
私は、身体的には不自由なく健康で、知的な障害はない。知能検査ではすべての項目において平均より上であったが、それ同士のばらつき ムラの大きさ(=脳の特性)から、診断されたのである。また私は自分の生活に関わる疑問点を逐一調べて明らかにする 調べ癖があり、非常に詳細に知ろうとするから、その疑問分野においての知識が深くなることがある。(昔、私はその界隈の賃貸物件を調べているうちに非常に詳しくなったため、不動産屋に「うちで働かないか」と言われたことがあった。)
私は、自分に関係する事柄への知識には強くなる。
かれら「支援」者たちの多くにはあるパターンがある。
かれらは、自分より知的にもその他でも無力な、可愛らしい障がい者を守ってあげる ことに誇りとやりがいをもっている。
かれらは、最初、障がい者に対し颯爽と頼りがいを発揮してバックアップしようと意気込むが、その障がい者が自分よりも知的に上であったり、社会的視野の面でも自分の知らないことをよく知っていて、自分の無知に対して反論したりすると、途端に掌を返し「支援」そっちのけで自己防衛に走り、最初のやる気は今いづこ、できない理由を尤もらしく並べあげ、その障がい者を追い出そうとする。
このパターンは、法則と言ってもいいくらい、同じである。
かれらは、自分よりわかりやすく弱い 知的に低い人相手しかしたくないようである。
いくら、その障がい者が困っていても、自分を余裕にさせる可愛げ 白痴っぽさ がないと、助けるのを拒否する。「してやってるやさしい私たち」への得意顔が私には感ぜられた。
かれらは最初、善意面で障がい者に対して胸を叩いて支援を意気込むが、その根底 深層心理(?)にはその人への見下し 尊重するふりした否定があり、それが遅かれ早かれ 当事者への失礼なたしなめ 無知なお説教 傲慢な諭し などの言動に現れ 白痴でない当事者を深く傷つけるのである。
かれらは会社と障がい者 との橋渡しとして「任せて」と兄貴姐御ふぜいで颯爽と意気込むが、体制への迎合 というか 権力や主流や多勢にお利口さんに合わせさせる という考えでことを運ぶから、言葉の端々に ひどい傲慢が出てくるのである。
ちょっとうまく言えない。
私は、ある女性「支援」者の対応に深く傷ついた。その言葉は、彼女の「支援」の本質(=見下し 否定)を核心的に現した言葉に思えた。上から目線のそのたしなめは私の頭を真っ白にするような暴力性があり、私は自分を守るために強く反発した。すると、私が悪者になって 急に態度を翻されたのである。
先に傷つけた人は、自覚なく、私に傷つけられたと被害面してる。私は彼女を傷つけた自覚はあるが、彼女が私を傷つけたことに気づいてない。
自覚のない暴力をふるう人が、それに強く反抗した人の「暴言」に傷つき 憤怒する。
あなたたちが先にふるった 無意識の暴力は?
私はかねてから、 無意識と 意識のロンパリについてこのブログに書いてきた。医療従事者や、「支援」者に見られるエピソードなど。
「支援」者による 無自覚の 傲慢 による2次災難は、元々の災難を凌駕するくらい、私にとってはショックなものである。
文化をメタ的に見る視点や 知識 教養のない人が安易に姐御面して「支援」をすると、白痴的ではない障がい者相手だと、ことが悪くなる。
かれらのやってることは、今の社会=「障がい者」を障がい者たらしめている社会 「障がい者」としてしか生きていけない社会 に媚びを売ることであり その弊害は大きい。
支援の名の元に 生きづらい社会の拍車をかけている めぐりめぐって 「障がい者」=この社会で生きづらい人 をさらに苦しめている。
私は、社会の中で傷つくことには随分慣れたけど どうしても
この偽りの「支援」者たちの有害さについては スルーすることができないのである。
生きにくい社会に拍車をかけて 得意げに「支援」者面している自己満足の人達である。
あなた様の記事に書いてあることが私が、兼ねてから思っていたことをそのまま体系化して下さっているので、読んでいてとても納得します。
私は彼らとは対極に「障害が何なの?それを強みにしよう」と言ってくれる方に出合えたので、今はまだ自己肯定感が保たれていますが。
そう言ってくれる方と出会えて、よかったですね。
私も、そんな人との出会いが昔あり、東京でした。
記事に書こうと思います。
「障害にしているのは社会のあり方だ」という考え(障害の社会モデル)が普及してきましたが、時流に乗ってそう言ってるだけで、本当には全くそう思っていないし理解もしていない人達が多いです。ダイバーシティを謳う大企業など。
排除しておいて手を差し伸べるふりする人が主流で、その本性はじきに露呈します。