福岡のおかしな文化に気づいて、そんな中で闘っている人たちもいる。例えば男尊女卑の文化と闘っている人や、パワハラと闘っている人。
私と話すと、面白いと言ってくれる人もいる。
だから福岡で、合わない人ばかりじゃない。
でも、さびしくなる。どんなにこの辺では知的な人に会っても、九州の壁を感じてさびしくなる。
それは無理な注文だろう。だってその知的な人だってこの九州・福岡にいるのだから、どうしても九州の文化圏内にいるだろう。例えば、男尊女卑の文化と闘っている女性の中に、無意識のジェンダー意識(刷り込まれた意識)を垣間見た時。教養を積んでも、生まれ育ちとは根深いと思った。東京の無教養な女性の方が、素でその意識ないよって思ったり。
そして、私は自分の中の 九州の壁を 感じることがある。
東京に行った時、自分が西の女であることを感じることがあった。自主規制が色んなところではたらいている自分に気づく。その規制は、九州で刷り込まれた思い込みによるものだ。関東の男性は、そんな女が関東では珍しいらしく気に入ることがあった。1人、「メンタルブロックを外せ」「ストッパーを外せ」と言ってきた男性がいた。こういう男は九州ではまずお目にかからない。メンタルブロックやストッパーが、大歓迎なのだから。
母にこう言うと、「九州で構築したものは、そんなに嫌なものばかりだったかい?」と言われた。
たしかに東京には、福岡ではあまりお目にかからないような類の女がたくさんいて、カルチャーショックを受けた。女の特権に乗って節操なくいいとこどりしようとする女たち。調子に乗った「クソ女」とはこのことか。虐げられてないと、今度はこうなるか と思った。こういうのを見ると、女は劣っている とはあながち間違っていないとさえ思う。私は、福岡のプロ奴隷女にもなりたくないし、でもこんな女にもなりたくない。
女性問題に取り組んでいる人たちは、そういう女の実態も含めて取り組んでいる。差別問題に取り組んでいる人たちが、在日韓国人の実態を含めて取り組んでいるのと一緒で。
日本を見るより海外の女性を見た方が、指標は見つかると思う。