【緯度経度】ワシントン・古森義久 国家は簡単には謝らない

2010年08月20日 | news
【緯度経度】ワシントン・古森義久 国家は簡単には謝らない
2010.8.21 07:41

 菅直人首相の日韓併合に関する談話で日本国はまた韓国に謝罪した。「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、改めて痛切な反省と心からのおわびを表明する」というのである。

 朝鮮半島を日本の領土として認めた日韓併合条約が当時の国際規範に沿った正当な取り決めとされた事実と、その条約の結果を悪と特徴づけ、ひたすら謝る菅政権の態度との間には、明らかに大きな断層がある。だがその菅政権の歴史認識のゆがみや矛盾はひとまずおいて、このように国家が他の国家や国民に謝罪を続けること自体の是非を米国からの視点で考えてみよう。

 人間集団の謝罪を専門に研究するハーバード大学のマーサ・ミノー教授は一連の論文で「国家対国家、あるいは国家対個人の謝罪という行為は1980年代以前は考えられなかった」と述べる。主権国家の政府は戦争で降伏し、非を認めて賠償を払いはしても「おわびします」とか「すみません」と心情を表明することはなかったというのだ。

 だが同教授によれば、民主主義の強化で状況が変わり、国家が自国の国民に非を謝るようにはなった。レーガン大統領や先代ブッシュ大統領が第二次大戦中の日系米人の強制収容を謝り、クリントン大統領は米国のハワイ武力制圧を謝った。だが米国が他国に謝罪した例はきわめて少ない。米国がフィリピンを武力で植民地にしたことは明白でも、謝罪はしていない。日本への原爆投下も同様だ。

 他の諸国に目を転じてもイギリス政府がインドやビルマの植民地支配を公式に謝罪したという話は聞かない。フランス当局がベトナムやカンボジアの植民地統治自体を正式に謝ったという記録もない。

 米国ウェスリアン大学のアシュラブ・ラシュディ教授は「罪ある時代の謝罪と忘却」という自著で、「クリントン大統領が1998年にルワンダ大虐殺に対し米国が阻止の行動をとらなかったことを謝罪したが、その謝罪自体はその後の各地での虐殺阻止にはなんの役にも立たなかった」と書いた。謝罪の実効の不在である。同教授は「謝罪は相手の許しが前提となり、心情の世界に入るため、そもそもの原因となった行為の責任や歴史の認識を曖昧(あいまい)にしてしまう」とも論じた。

 日本の謝罪については米国オークランド大学の日本研究学者ジェーン・ヤマザキ氏が2006年に出版した自著「第二次大戦への日本の謝罪」で詳しく論考している。ヤマザキ氏は1965年の日韓国交正常化以降の日本の国家レベルでの謝罪の数々を列挙しながら「主権国家がこれほどに過去の自国の間違いや悪事を認め、外国に対して謝ることは国際的にきわめて珍しい」と述べた。そして米国はじめ他の諸国が国家としての対外謝罪を拒む理由として以下の諸点をあげた。

 「過去の行動への謝罪は国際的に自国の立場を低くし、自己卑下となる」

 「国家謝罪は現在の自国民の自国への誇りを傷つける」

 「国家謝罪はもはや自己を弁護できない自国の先祖と未来の世代の両方の評判を傷つける」

 さらにヤマザキ氏の分析は日本にとり最も深刻な点を指摘する。それは日本の国家謝罪を外交手段とみるならば、それがいままでのところ完全に失敗しているというのだ。

 「日本は首相レベルで何度も中国や韓国に謝罪を表明してきたが、歴史に関する中韓両国との関係は基本的に改善されていない。国際的にも『日本は十分に謝罪していない』とか『日本は本当には反省していない』という指摘が多い」

 これらが謝罪が成功していない例証だというのである。そしてヤマザキ氏がとくに強調するのは以下の点だった。

 「謝罪が成功するには受け手にそれを受け入れる用意が不可欠だが、韓国や中国には受け入れの意思はなく、歴史問題で日本と和解する気がないといえる」

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100821/kor1008210743001-n1.htm

国が謝るとき~謝罪を受け入れる意思がなく、和解する意図もない中国、韓国への国家謝罪は不毛な努力
【櫻井よしこ 菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける
フランスは返還拒否 韓国からの“略奪文化財”













「併合条約は無効」で一致 韓国と北朝鮮

 【ソウル、平壌共同】「韓国併合に関する条約」調印から22日で100年。29日は条約が発効、日本による朝鮮半島の植民地支配が始まって100年となるが、韓国、北朝鮮ともに「併合条約は無効」との立場で一致している。10日に発表された菅直人首相談話について、韓国と北朝鮮は対照的な反応を見せているが、南北ともに22日は特別な行事はなかった。

 韓国では29日を国を失った「国恥日」と呼び、従軍慰安婦問題などに取り組む市民団体は謝罪と賠償を求める声を強めているが、良好な日韓関係を反映して強い反日的雰囲気はない。

 韓国政府は併合条約について「条約締結は日本が強制して行ったものであり、最初から効力はない」と主張している。ただ、李明博政権は菅首相談話を「一歩前進」と評価している。

 北朝鮮は「条約はでっち上げの詐偽文書」(朝鮮歴史学学会)として、無効論を前提に「日本は植民地支配の罪業に加え、敗戦後65年にわたり支配の歴史を美化、過去清算を拒否する新たな罪を犯してきた」(北朝鮮政府関係者)と謝罪と賠償を求める主張で一貫。22日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は「1万年経とうとも100年の宿敵、日本と必ず決着をつける」との論評を掲載した。

2010/08/22 19:01 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082201000547.html








日韓併合条約締結 岡田外相「有効」明言せず
2010.8.20 20:45

 岡田克也外相は20日の記者会見で、100年前に締結された日韓併合条約の有効性に関し、「(1965年締結の)日韓基本条約の際に両国間で議論になり、今や無効だとの考え方で落ち着いた。それに何か付け加えるべきものがあるとは考えていない」と述べた。
 政府は、日韓併合条約は「国際法上有効に締結された」(平成18年6月の政府答弁書)との立場をとってきた。岡田氏は韓国に配慮し、「有効」と明言することを避けたとみられる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100820/plc1008202049013-n1.htm





「当時は有効」封印 日韓併合条約の政府見解
'10/8/22

 菅政権は、韓国の統治権を日本に譲与するとした1910年の日韓併合条約締結に関し「当時の国際法に照らし、有効だった」とする従来の政府見解に言及せず封印する方針を固めた。政府関係者が21日、明らかにした。「強制的に結ばされた条約で無効だ」と主張する韓国への配慮が必要と判断したため。政府見解見直しについては「(65年の)国交正常化以来の日本の主張を覆すことになる」(外務省幹部)として応じない。条約調印から22日で100年。菅政権は未来志向の関係を強化する方針だが、見解をあいまいにする姿勢は議論を呼びそうだ。

 政府関係者によると、菅直人首相と岡田克也外相は先の併合100年首相談話を検討する過程で、95年10月に村山富市首相(当時)が「当時の国際関係等の歴史的事情の中で法的に有効に締結され、実施されたと認識している」とした国会答弁を基本的立場として維持する方針を確認。ただ、韓国がこの答弁直後に猛反発した経緯を踏まえ、公言しないことにした。

 韓国の批判を受けて村山首相も国会答弁から「条約は有効」との文言を外した経緯がある。しかし、小泉、安倍内閣は条約の有効性を認めた政府答弁書を閣議決定しており、自民、民主両党の保守系議員が反発する可能性もある。

 政府見解を封印するのは、併合100年を迎えた韓国国内で、植民地支配への全面謝罪を求める世論が高まったためだ。岡田氏は20日の記者会見で、現在の日韓関係の土台になっている65年締結の日韓基本条約に「もはや無効」(第2条)との表現が盛りこまれている点に言及した上で「これに何か付け加えるべきものがあるとは考えていない」と指摘。併合条約の有効性を問う質問への直接的な回答を避けた。

 「もはや無効」との表現は当時、双方が意見対立を残したまま「あいまい決着」させるために編み出したとされる。岡田氏の発言はこの経緯を念頭に置いたものだ。菅首相も今月10日の記者会見で、韓国へのおわびと反省を表明した首相談話について「日韓基本条約の考え方を踏襲した」と説明している。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201008220077.html





併合条約「有効」の政府見解維持 日韓で福山氏

 福山哲郎官房副長官は22日のNHK番組で、植民地支配に「反省とおわび」を表明した日韓併合100年の菅直人首相談話に関連し、1910年の日韓併合条約について締結当時は国際法上有効だったと認めてきた政府見解は変わらないとの見解を重ねて示した。

 同時に「個人補償や求償権の問題は首相談話の中で認めるつもりは一切ない」と表明。「首相談話は歴史の節目に未来に向かって日韓両国が協力していく礎になればいい」と指摘した。

 福山氏は日韓併合をめぐる政府見解に関し「(1965年の日韓基本条約で確認した)併合条約は『もはや無効』との立場は崩していない。まったく変えるつもりはない」と強調した。

 一方、首相談話発表前日の今月9日に、中曽根康弘元首相ら自民党政権の歴代首相や細川護熙元首相に内容を説明したことを明らかにした。民主党政策調査会にも前日説明したとした上で「(議論の透明性が)不足だったことは認めるが、漏れれば意味がない。できる範囲の配慮をした」と述べた。

2010/08/22 12:28 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082201000259.html









韓国併合 伊藤博文のメモ見つかる
8月22日 6時43分

日本による韓国併合から、22日で100年です。初代の韓国統監を務めた伊藤博文が併合前に記した自筆のメモが、福岡市内で見つかり、専門家は、伊藤博文が併合に否定的だったことを裏付ける新たな史料として注目しています。
伊藤博文の自筆のメモは、韓国併合の5年前の1905年11月、韓国を日本の保護国とする「第二次日韓協約」の調印交渉で通訳を務めた、前間恭作氏が持ち帰り、その後、遺族が福岡市内の自宅で保管していました。メモは2点あり、交渉の様子などを記した前間氏の手記とともに、先日、遺族が九州大学に寄贈しました。このうちの1つのメモには、「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があります。これについて、伊藤博文研究の第一人者の、京都大学の伊藤之雄教授は、「この時点で、伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでで、併合という考えには否定的だったことを裏付ける新たな史料だ」と注目しています。もう1つのメモは、当時の桂太郎総理大臣あてに交渉結果を報告した電報の、伊藤博文自筆の下書きで、統監には外交官を命ぜらるべしという内容の記述の上に、線が引かれ消されています。前間氏の手記には、初代の韓国統監に外交官を任命する当初の方針を変更し、この下書きの執筆中に、伊藤博文がみずから就任することを決意したと記されています。伊藤教授は、「交渉が予想以上に難航し、自分以外に統監は務まらないと、電報文を書く段階になって就任を決意したことを示す貴重な資料だ」と話しています。九州大学は、この伊藤博文の自筆のメモを、年内にも一般公開する予定です。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100822/k10013492101000.html












クロマグロ輸入、韓国から急増 漁獲制限、薄れる効果
2010年8月18日15時0分

 韓国からのクロマグロの輸入が今年に入って急増している。資源の減少が指摘されるクロマグロについて日本は世界に先んじて漁獲制限に乗り出したが、一方で日本の業者が日本近海で漁獲を増やす韓国から輸入している。資源管理を脅かす事態に、水産庁は輸入を控えるよう異例の指導を行う方針だ。

 水産庁によると、韓国からの生鮮・冷蔵クロマグロの輸入量は1~6月で919トン。2009年の年間輸入量917トンを半年間で超えた。韓国からの輸入は06年以降、毎年1千トン前後で推移してきたが、今年は急増している。

 韓国の漁船は主に、東シナ海の日韓両国で管理する暫定水域内で操業する。太平洋のクロマグロの主要漁場のひとつだ。韓国内ではクロマグロを食べる習慣は広がっておらず、漁獲の大半は日本に輸出され、ほとんどが漁場から近い福岡市の卸売市場に入る。韓国産は日本産より1~2割安いという。

 国際機関に韓国が報告した太平洋クロマグロの漁獲量は06年に833トンだったのが、08年は1563トンに増えた。それでも日本の約1万8千トン(08年)の10分の1以下だ。

 高級魚として知られるクロマグロは資源の減少が懸念され、今年3月に国際会議で大西洋産の禁輸が議論された。禁輸は回避されたが、世界の消費量の8割を占める日本は資源管理に向けて5月、太平洋産についても対策を打ち出した。幼魚の漁獲を減らし、漁船数の制限や休漁期間の導入などにより、全体の漁獲能力を現状より伸ばさないことが柱だ。

 水産庁は韓国などにも規制を働きかけているが、日本の漁獲量がはるかに多いため、韓国は自国の規制強化に消極的という。

 日本漁船が漁獲を制限しても、日本近海で巻き網で操業する韓国から輸入を増やしていては、資源管理の効果は薄れる。水産庁は、仲卸業者に輸入元のデータの提出を求め、韓国からの輸入をやめるよう近く指導する方針だが法的な拘束力はなく、効果は未知数だ。(大谷聡)

http://www.asahi.com/national/update/0818/TKY201008180188.html













欧州で日本海と「東海」の併記目立つ 韓国が書き換え求める
2010.8.21 17:54

 【ロンドン=木村正人】韓国政府が在外公館を通じて日本海の呼称を「東海」の単独表記か「東海」との併記に書き換えるよう呼びかけてきた結果、欧州の出版社の地図や新聞の記事で日本海と「東海」を併記するスタイルが定着し始めた。韓国は「日本海の呼称が支配的になったのは日本の植民地主義の結果だ」と主張しており、日本は「江戸後期から日本海の呼称は世界に広がっていた」と巻き返しに懸命だ。

 韓国は、北朝鮮と国連への同時加盟を果たした翌年の1992年から国連地名標準化会議などで、日本海(Sea of Japan)について「東海(East Sea)」の単独表記か、「東海」との併記にすべきだと主張し始めた。

 国連は2004年、日本海が標準的な地名であると公式に認めたが、韓国政府はその後も海外の地図出版社、新聞社、美術館などに働きかけを続けてきた。

 英国ではタイムズ・アトラスなど3社の地図が「日本海(東海)」と併記し、フィリップスは島根県竹島を「独島(竹島)」と韓国に領有権があるよう表記している。

 19日付の紙面で日韓両国の領土問題を取り上げた英紙ガーディアンは、竹島について英政府の中立的立場と同じ、フランスの捕鯨船から名付けられた「リアンクール岩礁(日本人には竹島、韓国人には独島)」と記し、地図には日本海と東海を併記した。

 昨年3月には英紙タイムズが「日本が朝鮮半島を植民地支配した1910~45年に、日本海として広く知られるようになった」と韓国の言い分通りの歴史認識を掲載。「タイムズは日露戦争時にすでに日本海と書いていた」と訂正を求めた在英邦人に対して同紙は「データベースがそうなっていた」と回答していた。

 関係者の話では、日英の歴史的なきずなを物語る品々が展示されているビクトリア&アルバート美術館(ロンドン)は一時、同美術館内に展示されている世界地図に「東海」と単独表記していたが、現在は呼称争いに巻き込まれないよう、一部のコーナーでは地図の展示をやめたという。

 ドイツでは日本側の抗議にかかわらず、主要紙フランクフルター・アルゲマイネや南ドイツ新聞が「日本海=東海」と同列に表記している。

 日本の在外公館は併記を日本海の単独表記に戻すよう各国政府などに申し入れているが、「日韓両国の板挟みになった欧州の当局者から『もう勘弁してほしい。日本海と東海の併記がダメなら、表記をやめるしかない』と悲鳴が漏れている」(交渉筋)という。

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100821/erp1008211757007-n1.htm

世界各国の地図で「東海」併記が増加、VANK等の活動で「日本海」単独表記は10年で97%⇒73%に減
韓国政府がVANKと連携、「日本海」表記発見時に「東海」への是正を海外サイトに要求する書簡を公募
ブリタニカ百科事典、「東海/日本海」併記~バンクの継続的な要求で実現
「日本海を東海に修正」 ~ベルリン壁博物館の世界地図が何度も書き換えられる
韓国から訂正要求の出ていた「日本海」表記を、EUが日本紹介ウェブページの地図から削除
「米国の教科書から、日本海表記を無くせ」~在米韓人団体、来年1月から各州でロビー活動
【日本海呼称】在米コリアンらの活動が奏功、米国メリーランド州が全教科書で「東海(East Sea)」併記へ
「教科書の『日本海』を削除して『東海』に」… 韓国国際協力事業団が援助対象のラオス政府に求める
日本海→「東海」表記のパンフ 韓国が国連行事で配布













【東亜】 戦後、大陸からの引き揚げ中に「強姦被害」に遭った日本人女性たち ~堕胎施設の元看護師が語る隠された悲劇 [08/14]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1282309113/-100

引き揚げ 葬られた胎児 65年目の「遺言」3
戦後、大陸から最多の人が引き揚げてきた博多。女性たちの隠された悲劇がそこにあった。


万葉集にも詠まれた福岡県筑紫野市の二日市温泉。福祉施設の裏手に、穏やかな顔つきの水子地蔵がひっそりと建てられている。赤ちゃんを胸元でしっかりと抱いている。1946年3月から1年半の間、ここに、大陸からの引き揚げ中に強姦被害に遭った女性たちの堕胎施設が開設されていた。国公認の「二日市保養所」。木造2階の建物とドーム屋根の温泉があった。

「母親の感情が出てしまうから、絶対にオギャーという泣き声を聞かせたらいけない。医師からそう言われ、私も首を絞めました」当時20歳の元看護師、村石正子さん(84)は約3ヵ月、看護師10人の1人として連日のように手術に立ち会った。

終戦後の大陸では、直前に宣戦した旧ソ連軍の兵士らの暴行が女性たちを恐怖に陥れていた。

「マダム・ダワイ!」(女、出てこい!)。市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバー山本千恵子さん(73)は9歳の時、今の北朝鮮東部でサーベルを持ったソ連兵が毎晩のように怒鳴り声を上げ、若い女性たちが床下に隠れていたことを覚えている。「当時、辱めを受けるのは死に値するようなことだった。引き揚げ船から海に身投げした人もいたと後に聞きました」


二日市保養所の開設は、今のソウルにあった旧京城帝大の医師らでつくる「在外同胞援護会救療部」が旧厚生省に働きかけた。引き揚げ船内で「不幸なる御婦人方へ」と題し、利用を促すチラシが配られた。地元紙には旧厚生省と連名の広告も掲載された。

村石さんは日本赤十字社の旧京城救護看護婦養成所で終戦を迎え、種子島の母方の実家に身を寄せていた。そこへ呼び出し状が届いた。約15キロ北西の博多港に引き揚げ船が着くたび、女性たちがトラックの荷台に乗せられてきた。

「男に見せかけるためか髪を短く刈り、やせて汚れていました」。村石さんたちは「お帰りなさい」と手をとり、温泉で背中を流してあげた。女性たちはほとんど何も話さなかった。


器具で胎児を出す手術は、医薬品不足で麻酔なしだった。「頭のほうから両手を握ると、指が折れると思うほど強く握りしめられました」。「ちくしょう!」と叫んだ女性もいた。妊娠5ヵ月以上なら陣痛を促し、出てきた胎児の命を絶った。

子どもの首を自ら絞めたのは、昼休みで食事に行こうとしていたときのことだ。苦しそうに「看護婦さん」と呼ぶ声が聞こえた。赤ちゃんの頭が出そうだった。医師は休憩中でいない。とっさに首に手をかけた。子どもの髪の毛は赤く、鼻が高かった。かけつけた医師は、いつものようにメスを子の頭に突き刺した。

「望まれない子どもであっても命は命。ただ、当時は、女の人たちに無事に故郷に帰ってもらうことに意識が集中していました。胎児たちは5、6本あった桜の木の根元に埋葬された。「考える集い」が1998年につくった冊子に掲載された保養所の元医師の証言によると、施設が閉鎖された47年秋までに400~500人が手術を受けたという。

村石さんは結婚後、看護師を続けながら3人の娘を育てた。50年間、保養所のことは家族を含め誰にも話さなかった。しかし96年ごろ、跡地に水子地蔵が建てられていると元同僚から聞き、97年春の供養祭で初めて体験を明かした。2人の医師は亡くなり、今では唯一ともいえる語り部だ。

9月18日には九州大学で開かれるシンポジウムで証言する。大勢の学生らの前で話すのは初めてのことだ。痛ましい記憶を話すのはつらい。「けど、あの女性たちは自分の傷を誰にも言えなかった。それを思うと、私が話さなきゃいけない」と感じている。「戦争は女こどもが一番つらい目に遭うんです」


●引き揚げ
厚生労働省の記録などによると、終戦時、軍人・軍属・民聞人を合わせて660万人以上の日本人が海外にいた。各地の引き揚げ者は博多が1947年、佐世保が50年までに各139万人、舞鶴は58年までに66万人など。

二至村菁(にしむら・せい)・トロント大学アジア研究所客員研究員によると、舞鶴でも旧国立舞鶴病院で堕胎手術が行われた。引き揚げ体験を語り継ぐ「引揚を記念する舞鶴・全国友の会」の藤村正巳・事務局長は「隠れた悲劇」と話す。

(終わり)
(2010年8月14日土曜日 朝日新聞 朝刊 30面 より記者が書き起こし)








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