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京都市・法勝寺 八角九重塔の基礎部分について初めて規模を確認

2010年03月12日 | Weblog
 京都市は11日、平安時代後期に白河天皇(1053~1129)が建立した法勝寺(ほっしょうじ)があったとされる京都市動物園(同市左京区岡崎法勝寺町)の敷地に、建立当時、国内で最も高い木造建築だった八角九重塔の基礎部分について初めて規模を確認したと発表した。
 塔は戦前まで基壇が残っており、室町時代の文献『院家雑々跡文』(1340)に高さ約27丈(81m)との記録があり、存在が確認されていたが、実際に基礎部分が確認されたのは初めて。実態解明に向け、貴重な資料となりそうだ。
 現存する木塔として日本最大の京都・東寺(同市南区)の五重塔が高さ約55m、基壇面積324㎡と比べると、法勝寺は高さ81m、基礎全体の面積推定約750㎡となる。
 基礎部分は地表から深さ約2mまでに約40~70cm大の石を詰め、粘土で固めていた。見つかったのは一辺12・5mの八角形(約720㎡)のうち南側の一部で、基礎の上に礎石などを設置し、塔が建てられていたと考えられる。 
 試掘場所は塔の南辺で、塔の中心があったとみられる場所は、現在観覧車などがある。市埋蔵文化財研究所は11年度中に調査が可能な場所を特定し、4月以降に本格的な発掘調査を実施する。
 法勝寺は1077年に白河天皇が建立し、6年後に九重塔が完成した。その後落雷で焼失したが、1213年に臨済宗の開祖、栄西により再建された。1342年に再び焼失。寺は応仁の乱(1467~1477)後に廃絶した。以後も基壇部分だけが地上に残り、戦前は動物園の休憩所になっていた。戦後、進駐軍によって地表部が削られ、その後正確な位置が特定できていなかった。
[参考:共同通信、時事通信、京都新聞、産経新聞]

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