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桜井市・桜井茶臼山古墳 石室上部「方形壇」を囲む巨大な「丸太垣」の痕跡見つかる 

2009年06月12日 | Weblog
 県立橿原考古学研究所が12日、初期大和王権の大王級の墓とされる桜井茶臼山古墳(前方後円墳全長200m、3世紀末~4世紀初め)後円部で、石室上部を取り囲んで丸太をすき間なく並べたような巨大な垣の一部とみられる柱の痕跡が見つかったと発表した。
 同研究所は「丸太垣」と名付け、神聖な空間として区画したとみている。古墳から木造構造物跡が出土したのは初めてという。ただし、前方後円墳など定型化した古墳が出現する古墳時代以前では、弥生時代の墳丘墓上から柱穴が出土した例がある。
 同古墳は1949~50年に調査され、同研究所が09年1~3月に改めて学術調査した。
 後円部中央石室の上部に盛り土をして造った「方形壇」と呼ばれる祭壇遺構(東西9.2m、南北11.7m、高さ約1m)の周囲98㎡を調べた。方形壇の周囲4カ所から幅約1mの溝が見つかり、いずれにも丸太がすき間なく並んだとみられる柱穴(直径30cm)が計10個あった。柱が埋め込まれた深さは1.3mで、通常はこの2倍程度が地上に出るとされる。未発掘の部分も含め当時は全体を、地上高2.6mの約150本の柱が「丸太垣」として、方形壇を四角に囲っていたらしい。着色塗料は検出されず、柱は白木だったとしている。
 このほか、壇の上には縁に沿って被葬者に供物を捧げることを象徴した二重口縁壺が置かれ、葬送儀礼の後、垣で一帯を完全に塞いだらしい。
 埴輪で埋葬施設を囲む儀礼の原型とみられ、同研究所は「被葬者を邪気から守り、聖域を示した結界だろう」とする。
 この古墳に続いて築かれた同市内のメスリ山古墳の方形壇は、直径50cm~1mの円筒埴輪を密接させ二重に並べる。「丸太垣」は、メスリ山の埴輪列の前身とみられる。
 古墳時代初期の大王墓の形態や、葬送儀礼の実態を示す一級の成果。
 新たに三角縁神獣鏡などの銅鏡の破片153点も出土した。昭和24、25年の調査で見つかった20枚近くの鏡と合わせると、計40~50枚を副葬したとの推測もできる。国内最多の40枚が出土した福岡県前原市の平原(ひらばる)1号墓(弥生時代後期、)を上回る可能性も出てきた。鏡の破片は竪穴式石室周辺から出土し、大半が数cm大に割れていた。
 石室周辺からは大量の炭も出土し、被葬者の遺体を石室に埋葬したのち、火を使った儀式が行われたことも判明。玉垣跡のすぐ外側には、長さ1m前後の平らな石で塞いだ溝状遺構も2カ所で確認され、今後さらに調査を進める。現地はすでに埋め戻され、今回説明会は行われない。
 同研究所は8月から竪穴式石室を再発掘し、その後に現地説明会を行う予定という。

■桜井茶臼山古墳
 奈良盆地東南部に6基が集中する古墳時代前期(3世紀中ごろ~4世紀初め)の大型前方後円墳の一つ。石室を特殊な壺で囲んでいるのが特徴。石室は盗掘されているが、碧玉製品や武具など副葬品は豊富。被葬者は分かっていない。
[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞、産経新聞]

桜井茶臼山古墳で石室囲む巨大垣 奈良県立橿原考古学研が発表(共同通信) - goo ニュース
後円部に柱列で囲んだ「聖なる空間」…奈良・桜井茶臼山古墳(読売新聞) - goo ニュース

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