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新潟県胎内市・城の山古墳 未盗掘の古墳から畿内的要素を持つ副葬品が出土

2012年09月06日 | Weblog
 胎内市教委は6日、同市大塚にある4世紀前半の城(じょう)の山古墳(東西41m、南北35m、高さ5mの楕円墳)から、長大な舟形木棺や弓(注1)、靫(ゆぎ)(注2)、刀剣、銅鏡、勾玉、管玉、ガラス玉、大刀、銅鏃、鎗、鉇(やりがんな)、斧などの副葬品100点以上が未盗掘の状態で出土したと発表した。 城の山古墳は同時期の古墳では日本海側で最も北にある。 北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。
 大和政権の直接的な影響が及んだ範囲はこれまで、石川県能登半島の国分尼塚1、2号墳(七尾市)や雨の宮古墳群(中能登町)が北限と考えられてきた。
 今春より、古墳上部にある長さ約10.5m、幅約5mの墓坑の調査を行っていた。
 主体部から長さ8m、幅1・4~1・8mの舟形木棺が見つかった。人骨片も残り、頭部を北東に向け、木棺やそれを覆う粘土には多量の赤色顔料(水銀朱とベンガラ)がまかれていた。
 副葬品には小型銅鏡(直径9cm)や大刀(長さ67cm)、ヒスイの勾玉、凝灰岩製管玉、ガラス玉、銅鏃など畿内の古墳にみられる遺物が残っていた。靫は黒漆塗りだった。 築造時期は4世紀第2四半期(316年-330年)とみられる。
 現地説明会が8、9両日の午前10時と午後1時に開かれる。

(注1)弓は2張が見つかっており、黒と赤の漆の塗料が付着していた
(注2)靫は革製で表面には刺繍で描かれた菱形の模様が残っていた。塗られていた黒漆も確認された。
[参考:産経新聞、時事通信、共同通信、毎日新聞、朝日新聞]

大和政権、新潟まで影響力? 城の山古墳から銅鏡や勾玉(朝日新聞) - goo ニュース



キーワード: 城の山古墳、槍鉋、やりがんな、ヤリガンナ

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