市教委は15日、同市五部(ごへい)の奈良時代から中世にかけての本田(ほんでん)遺跡の現地説明会を開く。
平安時代の9世紀ごろ、身分の高い人が使用したとされる食器「緑釉陶器」の破片、権力者、仏教関係者が用いたと思われる「古瀬戸」の壷の破片が出土した。
遺跡は古代(奈良・平安時代)の集落跡であると考えられていたが、発掘調査が進むにつれて遺跡は縄文時代や中世(室町時代)、近世(江戸時代)など、幅広い時期にまたがることが判明している。
昨年12月から本格的な発掘調査が行われ、約4200㎡を調査した。
その結果、15軒の竪穴住居跡が見つかり、出土物から大部分が平安時代の9世紀のものと推測される。
中世の遺跡からは、南北にわたって溝跡が掘削されていた。県西地区では珍しい中世の遺構群の全体像を見ることができる。他にも、井戸跡3基、掘っ立て柱建物跡3棟などが見つかった。も出土した。中国産の白磁も出土した。
現地説明会:
日時:2月15日(日) 10時半~正午。 出土品も展示する。(雨天中止)
場所 本田遺跡 (県立三和高等学校西側隣接地)
[参考:毎日新聞、広報古河No41-2009年2月1日号]
備考: 遺跡の場所には誰が住んでいたかを想像するのが面白いが、9世紀の半ば以降であると平高望、国香、良将あるいは源護などの関係も考えられる。
平安時代の9世紀ごろ、身分の高い人が使用したとされる食器「緑釉陶器」の破片、権力者、仏教関係者が用いたと思われる「古瀬戸」の壷の破片が出土した。
遺跡は古代(奈良・平安時代)の集落跡であると考えられていたが、発掘調査が進むにつれて遺跡は縄文時代や中世(室町時代)、近世(江戸時代)など、幅広い時期にまたがることが判明している。
昨年12月から本格的な発掘調査が行われ、約4200㎡を調査した。
その結果、15軒の竪穴住居跡が見つかり、出土物から大部分が平安時代の9世紀のものと推測される。
中世の遺跡からは、南北にわたって溝跡が掘削されていた。県西地区では珍しい中世の遺構群の全体像を見ることができる。他にも、井戸跡3基、掘っ立て柱建物跡3棟などが見つかった。も出土した。中国産の白磁も出土した。
現地説明会:
日時:2月15日(日) 10時半~正午。 出土品も展示する。(雨天中止)
場所 本田遺跡 (県立三和高等学校西側隣接地)
[参考:毎日新聞、広報古河No41-2009年2月1日号]
備考: 遺跡の場所には誰が住んでいたかを想像するのが面白いが、9世紀の半ば以降であると平高望、国香、良将あるいは源護などの関係も考えられる。
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