奈良県教委文化財保存事務所は28日、国宝・唐招提寺金堂の解体修理に伴う調査で、奈良時代末に創建された当時の屋根裏が、梁上に斜材を合掌に組む簡素な「叉首組(さすぐみ)」と呼ばれる構造だったと発表した。同事務所によると、屋根裏の構造は、江戸期の大規模修理に伴い、創建時の部材が当初と違う場所で再利用されるなど、大幅に変わっているという。
金堂は幅約28m、奥行き15m、高さ16m。
調査では各部材を検証。屋根の四隅の軒を支える「地隅木(じすみぎ)」が、加工跡から当初は大梁(おおばり)として使われていたことなどがわかった。
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞]
金堂は幅約28m、奥行き15m、高さ16m。
調査では各部材を検証。屋根の四隅の軒を支える「地隅木(じすみぎ)」が、加工跡から当初は大梁(おおばり)として使われていたことなどがわかった。
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