歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

新宿区・曹洞宗長善寺(笹寺)と、もう一つの浄土宗長善寺

2011年02月12日 | Weblog

 雪の降る昨日、新宿歴史博物館で行われた「生誕100年 岡本太郎展」関連文化講演会(講師:東京国立近代美術館主任研究員大谷省吾氏)を聴講の前に、近くにある笹寺(長善寺)に立ち寄った。

 現在、江戸東京博物館で開催されている特別展「2011年NHK大河ドラマ特別展 江姫たちの戦国」(~2月20日)で、同寺の「めのう観音像」(新宿指定文化財)が展示されている。同特別展の図録(資料1)では、「秀忠か崇源院(江姫)の念持仏を秀忠の死後、夫人(江)から寺に寄進された」としているが、ガイドブック 新宿区の文化財(資料2)、さらに境内の説明板(下の写真)、新宿歴史博物館(新宿未来創造財団)のホームページなどそれぞれの記載が若干異なっている。 それは、秀忠(1579-1632、在位1605-1623)より崇源院(江姫、1573-1626)が先に亡くなっているにもかかわらず、「秀忠の死後、崇源院から・・・」と間違って伝わってきたからであろう。

 資料2と「江戸名所図会」(資料4)を参照して笹寺長善寺の縁起を整理すると、
 寺名は、曹洞宗 四谷山(しこくさん)長善寺。 現在の所在地名は新宿区四谷4-4であるが、名所江戸図会(資料4)によると、当時は四谷塩町三丁目である。「地図で見る新宿区の移り変わり(四谷編)」(資料3)によると、最も古く所在が分かる地図は延宝年(1673-1681)のものであり、やはり塩町三丁目となっている。 また、寺の地形も現在の北側部分が若干縮小しているものも殆ど変わっていない。
 同寺は、天正3年(1575)甲斐国武田氏の臣で「甲陽軍艦」の著者とされている高坂弾正昌信の居所に結ばれた草庵を起源とする。 開山は文叟憐学(ぶんそうりんがく)和尚(?-1632)。 当寺は笹寺とも呼ばれているが、この名は、大樹(徳川将軍)が鷹狩の途中ここに立ち寄り、境内に笹が繁っているのを見つけたものだといわれる。(寺伝) その由来をもってか、本堂の瓦にも笹紋(根笹)を使用している。ただし、一般の根笹紋と比べ左右反転をしている(下の写真)。 大樹が秀忠なのか、家光(1604-1651、在位1623-1651)のかも定かではない。 資料4では寛永(1624-1643)の頃としているから家光の可能性が高いが、資料2では先の「めのう観音」と合わせて考えると秀忠とする方が自然だとしている。

 名所江戸図会には、「四谷塩町3丁目の左側にあり。四谷山長善寺といへる禅林にして、篠寺はその異名なり。天正3年(1575)乙亥の草創にして開山は文叟憐学和尚。(略)寛永(1624-1643)の比、大樹この辺御鷹狩のとき、厳命ありて篠寺(ささでら)とよばせ給ひ、この地を寺境に賜ふより後、この名あり。(略)総門の額に笹寺と書せしは、永平寺承天和尚(注1、1655-1744)の筆なり。」と記されている。 現在、本堂に掲げられる寺号額(下写真)の最後に永平現地承天書と記されており、江戸名所図会に記された総門の額と同一のものだろうか。
(注1) 永平寺39世承天則地(じょうてんそくち)大清撫國(たいせいぶこく)禅師(1655-1744)


 笹寺長善寺の北西約500mのところに、同じ長善寺という浄土宗のお寺がある。
 資料2を参考に整理してみると、
 高月山瑞翁院長善寺(浄土宗、芝増上寺の末寺) 新宿区四谷4-33-2
 浄蓮社岌誉瑞翁直信和尚が開山、高月栄法比丘尼が開基で千駄ヶ谷名主太十郎(注2)の先祖にあたる人だという。元和9年(1623)神宮外苑付近に創建したと伝えられる。明治22年青山練兵場造成のため、当地へ移転した。
(注2)千駄ヶ谷名主太十郎家(西谷姓)は日蓮宗立法寺(杉並区和田)が現在の地に移る前の千駄ヶ谷の地(現、新宿区霞ヶ丘10)も寄進している。[参考:「新修渋谷区史」昭和41年発行]
 この寺が世に知られたのは、1mほどの銅造釈迦如来坐像があったためである。背に応永14年(1407)8月鋳造の銘文がある。豊臣秀吉が大阪城に安置していたと伝えられ、大坂の陣の名残りの鉄砲の弾丸跡が八ヶ所ほどあった。天和3年(1683)以来当寺に所蔵されていたというが、今はなくなってしまった。
 2011.1.28付けで記した「千駄ヶ谷村・霊山寺領 崇源院(江姫)の寄進によるもの」の中で、慶長11年(1606) に崇源院(江姫)が寄進した浄土宗・霊山寺領50石の3ヶ所の土地の一つである、千駄ヶ谷御焔蔵の東(新宿区霞ヶ丘2 神宮外苑グラウンド中央付近)の場所の北約100mの所、現在は聖徳記念絵画館の場所に、浄土宗・長善寺があったと思われる。 先の資料3の延宝年(1673-1681)の地図で記されており、明治22年までその場所にあったようである。


参考資料
 資料1. 「2011年NHK大河ドラマ特別展 江姫たちの戦国」展図録(NHK 2011.1発行)
 資料2. ガイドブック 新宿区の文化財(新宿区教育委員会発行)
 資料3. 「地図で見る新宿区の移り変わり(四谷編)」(新宿区教育委員会 人文社 1983.3発行)
 資料4. 江戸名所図会(斎藤長秋、莞斎、・月岑の著、天保年間(1830-184)に斎藤月岑が刊行)

崇源院(江姫)関連ニュース・情報
 崇源院(江姫)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高崎市・六枚遺跡 「片岡郡... | トップ | 小田原市・小田原城跡 戦国時... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事