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福井県美浜町 興道寺廃寺遺跡 如来仏の塑像の一部出土

2008年10月17日 | Weblog
 美浜町教委は15日、興道寺廃寺遺跡(美浜町興道寺)で、7世紀後半から8世紀前半までに粘土で作られた仏像「塑像」の頭髪部分の螺髪(らほつ)1点が塔基壇東側の畑から出土したことを発表した。
 塑像は底面の直径21mm、高さ24mmで焼き堅められていた。螺髪の底面は斜めにカットされ直径5mm、深さ5mmの穴が開いている。仏像の頭部側面に棒か釘状の金具で固定されていたとみられる。
 螺髪を復元すると3cm強となることから、立像なら高さ約4.8m、座像でも約2.4mの丈六仏の如来仏だという。
 螺髪の形や同遺跡からの出土品から考えると、7世紀後半から8世紀前半に製作されたとみられる。
 螺髪は巻き貝のように巻いた髪で同町教委によると「如来仏にしかない」という。一方で同寺の地籍の小字は「観音」であるため、「観音仏と如来仏の本尊が2体あったか、時代によって変えた可能性がある」と話している。
 塑像片は全国60以上の遺跡で見つかっているが、粘土のため残りにくい。同町教委によると、塑像の一部が見つかったのは県内初であり、如来像の破片としては県内最古。
 興道寺廃寺は7世紀後半の遺跡で、嶺南では最古級の寺院。平安前期・九世紀後半まで利用されたとみられる。
 同町教委が2002年から発掘調査を実施。これまでに塔と金堂が東西に並び立つ伽藍配置だったことが判明しているが、伽藍を構成する中門跡や、本尊の如来像を安置する金堂、豪族の装飾品を納めたと思われる塔などの存在が確認されており、古代の地方寺院としては有数の規模を誇っていたことが分かっている。
 このほか今回の調査では、塔基壇の東側で建設時の作業小屋として使われた可能性がある竪穴建物状の遺構や、伽藍北方では掘っ立て柱建物群なども見つかった。
 同町教委は18日(土)午前10時から、現地説明会を開く。問合せは町教委文化財保護・町誌編纂室へ。
[参考:福井新聞、読売新聞、中日新聞、朝日新聞]

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