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羽曳野市・城不動坂古墳 6世紀中頃、全長36mの前方後円墳、被葬者は春日山田皇女の可能性も

2011年01月24日 | Weblog
 「古市古墳群」内の安閑天皇陵(羽曳野市)近くで、これまで全く知られていなかった6世紀中頃とみられる古墳が見つかっていたが、費用の問題などから保存されず宅地開発されていたことがわかった。古墳の発見段階では横穴式石室も残されていたが、前方後円墳と分かる前に石室が住宅開発で取り壊されてしまったという。
 羽曳野市教育委員会が、平成20年度から発掘を実施し、21年2月に地下約30cmのところで石材が積み重なっているのを確認し、横穴式石室と分かった。被葬者の遺体を納めたとみられる主室は縦4.2m、横1.6mで、2人分が入る大きさだった。 石室は、天井石の一部も含めて築造当時の2分の1ほどが良好な状態で残っていた。 市教委は、開発業者と保存について協議したが、コスト面の問題などで保存を断念し、結局、宅地造成の際に、周囲の土砂などと一緒に撤去され、その後個人の住宅が作られたという。
 出土土器によって6世紀中頃の築造と推定され、地元の旧地名から「城不動坂古墳(しろふどうざかこふん)」と命名された。墳丘を囲む周濠(幅約2m)も見つかり、全長約36mの前方後円墳と判明した。盾を持つ人物を模った埴輪の顔面部分も出土している。
 被葬者については、日本書紀巻十八・安閑天皇二年冬十二月に「是月。葬天皇于河内舊市高屋丘陵。以皇后春日山田皇女及天皇妹神前皇女合葬于是陵。」とあり、安閑天皇の皇后、春日山田皇女(かすがやまだのひめみこ)や安閑天皇の異母妹、神前(かむさきの)皇女を、安閑天皇の陵に併せて葬ったと記述している。 宮内庁では、神前皇女は安閑天皇陵に合葬されているとする一方で、春日山田皇女の墓として安閑天皇陵の南にある高屋八幡山古墳(全長85mの前方後円墳)を指定している。
[参考:産経新聞、NHK大阪]

「歴史発掘 おおさか -大阪府発掘調査最新情報-」/大阪府立近つ飛鳥博物館 特別展示室
平成23 年1月22 日(土)~3月13 日(日)月曜日休館日
で、調査成果が展示されるとともに、
おおさかを掘る-最新発掘調査の成果- (調査成果報告会)
2月26 日(土)午後1時~4時-大阪府・大阪市連携- 場所/当館地階ホール
で、調査成果が発表される。
[参考:大阪府HP、大阪府立近つ飛鳥博物館HP]

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