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大津市・穴太遺跡 古墳時代後期の大壁造り建物2棟などの跡が出土

2010年02月18日 | Weblog
 市教委が17日、縄文―平安時代の複合遺跡・穴太(あのう)遺跡(大津市穴太2丁目)で、朝鮮半島から伝来したとされる古墳時代後期(6世紀中―後期)の大壁造り建物2棟などの跡が見つかったと発表した。
 大壁造り建物は、建物の周囲を巡る溝に柱を何本も立て、柱を芯にして土壁を塗り込める工法。
 同遺跡では、これまでにも同形式の建物跡や暖房装置・オンドルなどが多く検出されており、渡来人が広範囲に集落を営んでいたことを裏付ける発見としている。
 柱材計11本と溝が見つかった。建物跡1棟は9m四方とみられ、溝には柱が7本、ほぼ完全な形で残っていた。2棟は溝などが重なっており、建て替えられたとみられる。朝鮮の特徴を持つ移動式の竈や甕など土器の破片も多数見つかった。
 このほか、掘立柱建物跡1棟も検出。大壁造り建物と同時期で、用途や身分によって建物を使い分けていた可能性があるという。
 同遺跡を含む大津市坂本―錦織にかけての比叡山麓は、同時期の古墳の密集地域。横穴式石室の形をドーム状にしたり、炊飯具のミニチュアを副葬したりするなど全国的にも珍しい特徴があり、渡来人との関係が深い地域とされる。
 大壁造りは滋賀や奈良で100例ほど確認されているが、渡来人の集住地とされる限られた地域でしか見つかっていない。密閉性の高い様式で日本には向かず、渡来人も来日直後に住んだ地域にしか作らなかったのではとみている。
 約400m東には、飛鳥時代の創建とされる国史跡・穴太廃寺跡もある。
 現場説明会が21日(日)午後1時半に開かれる。
[参考:読売新聞、京都新聞、毎日新聞]




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