歴歩

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奈良市・平城宮跡 東方官衙地区から駅鈴の鈴守に関する木簡が初出土

2009年08月05日 | Weblog
 奈良文化財研究所が5日、奈良時代の平城宮跡・東方官衙地区(奈良市)のごみ捨て穴から、天皇の権力の象徴だった「駅鈴(えきれい)」を守った「鈴守」について記述した木簡が初めて出土したと明らかにした。
 駅鈴は駅馬利用を許可する鈴で、「天皇御璽(ぎょじ)」の印とともに争奪の対象ともなった。木簡は2時間交代だった担当兵士の名を記した名簿とみられ、厳重な警備の様子が伝わる貴重な資料という。
 木簡には、「鈴守」と記された下に「神浄成」「大伴総道」などの人名が記載。人名は2人一組で書かれ、そばには「戌」(午後8時ごろ)「亥」(同10時ごろ)「子」(午前0時ごろ)といった時刻が記され、2時間交代で駅鈴の警備に当たっていたことがうかがえる。
 鈴守の木簡は、平城宮を守った軍組織「衛府(えふ)」について記したらしい木簡群のうちの1点。縦約35cm、幅約5.4cm、厚さ0・6cmで、表裏に文字が記載され、年号が記された他の木簡から奈良時代末の宝亀年間ごろのものとみられるという。
 駅鈴は、緊急連絡に使われた古代の交通網の駅馬を使用する際の許可を示す鈴で、天皇から賜ることになっていた。
 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の際には争奪騒ぎも起きた。
[参考:共同通信、産経新聞]

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