国立文化財研究所は、2006年3月に全南大博物館が発掘した金銅冠など高興雁洞古墳(고흥 안동고분)出土遺物188点を、コンピュータ断層撮影(CT)等先端保存処理を経て本来の姿に復元したと6日発表した。保存処理は同研究所の文化財保存科学センターが行った。
■ 金銅冠(금동관모)は高さ23.2㎝、頭巾形で、金銅板を切り抜いて葉っぱを形象化した模様があった。半円球形のつぼみ装飾物が別の百済系金銅冠とは違い、頭上に挿す点が特徴だ。百済系金銅冠は概して後方に装飾が垂れ下がっている。
■ 金銅履物(금동신발)は長さ30㎝、高さ10㎝の1組で、履物の上には凸形に切り取った模様、底には菱形に切り取った模様がある。
■ サルポ(鏟、살포、長い柄の小さいシャベル形の農機具) 1点は全長168㎝で、古代社会の中で水を制御し、農耕を管掌する首長を表すシンボルであり、これまでに出土したサルポの中で最長である。
■ 甲(よろい)は高さ35㎝の横装板釘結板甲(횡장판정결판갑)であることがわかった。
研究所は、これら遺物が5世紀高興半島をはじめとする全南南海地域土着勢力の性格と百済-地方勢力間の政治的・文化的関係を明らかにする重要資料となるとしている。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2007.11.23高興郡・雁洞古墳 5世紀初めの百済の甲(よろい)と冑(かぶと)を公開
国立文化財研究所は雁洞古墳で発掘した1600年前の百済の金銅冠と「肩甲」を備えた鉄製甲、眉庇付鉄製冑(つば付きの冑)を公開した。これらの遺物は昨年3月に全南大が発掘し、国立文化財研究所で保存処理を行っている。5世紀前半の韓半島(朝鮮半島)南部で勢力を拡大していた百済が、高興地域の支配者に下賜した遺物だと推定されている。
[参考:朝鮮日報、韓国SBS放送]
2006.03.24 高興郡・雁洞古墳 5世紀初めの金銅冠、金銅履物、環頭大刀などを発掘
雁洞古墳は丘陵頂上部に土を積んで作った、墳丘の直径34m、高さ6m程度の円形古墳で全南南海岸地域最大規模と明らかになった。
古墳には、長さ320cm、幅150(東)~130cm(西)、深さ130cmの梯形状の石槨墓を持ち、東西方向に築造していた。周溝は確認されなかった。
三韓時代馬韓54小国の一員だった高興は3世紀頃百済に服属したので、時期は百済初期のものと推定されるとしている。
金銅冠、金銅履物、金銅沙鉢(どんぶり)、銘文銅鏡、環頭刀3点、金耳環1組、鉄製冑2点、鎧、鐵矛2点、闘具、鉄斧、紡錘車、ガラス小玉、鉄鏃などの多くの遺物が出土した。土器が出土していないのも注意する点である。
■ 金銅冠は羅州新村里古墳出土金銅冠(国宝第295号)に続く全南地域で二番目の出土遺物となる。後方に半球形装飾が取り付けられていて、全体的な形状は全北益山笠店里古墳出土品と似るが、模様は透彫文であり、打出文の笠店里遺物とは違って忠南瑞山副長里出土品と通じるとしている。
■ 金銅履物は毀損が深刻で全貌確認は不可能だが、底のT字形透彫文が原州法泉里古墳群1,4号墳出土品と類似している。
■ 銅鏡は直径10.5cmの大きさで、中央に座した円形鈕(つまみ)を4個の蝙蝠(コウモリ)形鈕が囲んでいて、その間に4字の銘文があり、子孫が長く繁盛しろとの意の「長宜子孫」と推定される。また銅鏡の縁辺を内側向きに8個の括弧模様をした連弧紋が廻り、その間に判読が困難な8字が現れた。「連弧文鏡」は中国で製作年代が後漢熹平3年(西暦174)と同じ種類の銅鏡より若干早い2世紀中葉頃に製作されたと見られるという。
[参考:2006.3.24聨合ニュース]
■ 金銅冠(금동관모)は高さ23.2㎝、頭巾形で、金銅板を切り抜いて葉っぱを形象化した模様があった。半円球形のつぼみ装飾物が別の百済系金銅冠とは違い、頭上に挿す点が特徴だ。百済系金銅冠は概して後方に装飾が垂れ下がっている。
■ 金銅履物(금동신발)は長さ30㎝、高さ10㎝の1組で、履物の上には凸形に切り取った模様、底には菱形に切り取った模様がある。
■ サルポ(鏟、살포、長い柄の小さいシャベル形の農機具) 1点は全長168㎝で、古代社会の中で水を制御し、農耕を管掌する首長を表すシンボルであり、これまでに出土したサルポの中で最長である。
■ 甲(よろい)は高さ35㎝の横装板釘結板甲(횡장판정결판갑)であることがわかった。
研究所は、これら遺物が5世紀高興半島をはじめとする全南南海地域土着勢力の性格と百済-地方勢力間の政治的・文化的関係を明らかにする重要資料となるとしている。
[参考:聨合ニュース]
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2007.11.23高興郡・雁洞古墳 5世紀初めの百済の甲(よろい)と冑(かぶと)を公開
国立文化財研究所は雁洞古墳で発掘した1600年前の百済の金銅冠と「肩甲」を備えた鉄製甲、眉庇付鉄製冑(つば付きの冑)を公開した。これらの遺物は昨年3月に全南大が発掘し、国立文化財研究所で保存処理を行っている。5世紀前半の韓半島(朝鮮半島)南部で勢力を拡大していた百済が、高興地域の支配者に下賜した遺物だと推定されている。
[参考:朝鮮日報、韓国SBS放送]
2006.03.24 高興郡・雁洞古墳 5世紀初めの金銅冠、金銅履物、環頭大刀などを発掘
雁洞古墳は丘陵頂上部に土を積んで作った、墳丘の直径34m、高さ6m程度の円形古墳で全南南海岸地域最大規模と明らかになった。
古墳には、長さ320cm、幅150(東)~130cm(西)、深さ130cmの梯形状の石槨墓を持ち、東西方向に築造していた。周溝は確認されなかった。
三韓時代馬韓54小国の一員だった高興は3世紀頃百済に服属したので、時期は百済初期のものと推定されるとしている。
金銅冠、金銅履物、金銅沙鉢(どんぶり)、銘文銅鏡、環頭刀3点、金耳環1組、鉄製冑2点、鎧、鐵矛2点、闘具、鉄斧、紡錘車、ガラス小玉、鉄鏃などの多くの遺物が出土した。土器が出土していないのも注意する点である。
■ 金銅冠は羅州新村里古墳出土金銅冠(国宝第295号)に続く全南地域で二番目の出土遺物となる。後方に半球形装飾が取り付けられていて、全体的な形状は全北益山笠店里古墳出土品と似るが、模様は透彫文であり、打出文の笠店里遺物とは違って忠南瑞山副長里出土品と通じるとしている。
■ 金銅履物は毀損が深刻で全貌確認は不可能だが、底のT字形透彫文が原州法泉里古墳群1,4号墳出土品と類似している。
■ 銅鏡は直径10.5cmの大きさで、中央に座した円形鈕(つまみ)を4個の蝙蝠(コウモリ)形鈕が囲んでいて、その間に4字の銘文があり、子孫が長く繁盛しろとの意の「長宜子孫」と推定される。また銅鏡の縁辺を内側向きに8個の括弧模様をした連弧紋が廻り、その間に判読が困難な8字が現れた。「連弧文鏡」は中国で製作年代が後漢熹平3年(西暦174)と同じ種類の銅鏡より若干早い2世紀中葉頃に製作されたと見られるという。
[参考:2006.3.24聨合ニュース]
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