今日も快晴❗
外に出ると青い空に緑の芝生。
その隣には、 昨日山の上から見えた石油備蓄基地。
芝生の上では大勢の高齢者達(私も同じ?……?……気分は48歳よ!) 。元気に愉快にゲートボールが始まっている。
彼も気分が直ってるようだ。ホッ👌✌
"知覧" には是非行った方がいい、と4,5年前に行った彼の弁。
"知覧特攻平和会館"の外には、特攻隊員が乗った零戦のレプリカや、隊員達が、"おかあさん" と呼んでた鳥浜トメさんや特攻隊員の像がある。
9:00 開館と共に中に入り、当時の写真や海から何年後かに引き揚げられた陸軍四式戦闘機「はやて」、そして主に特攻隊員の親や妻・恋人・姉妹兄弟・子供に宛てた最後の手紙が展示されている。
当時の様子を、特攻隊員の生き残った人や、亡くなられた方の身内や知り合いの方から聞かれた "かたりべ"さんのお話しを聞き、胸が痛んだ。
16・17歳という若さで日本の為に、自ら志願して死んでいった若者達。この知覧からは430人位、台湾やほかの場所から飛び立った若者も入れると1000人以上。 戦争は絶対にダメだ。
命が一番の宝だ❗
昨日の時点で📱連絡した高校時代の親友、ミケと岡チン、岡チンを鹿児島中央駅前で拾って、ミケのお宅にお邪魔することになった。急に連絡したにも拘わらず、都合をつけてくれた二人に感謝❕❗
ミケの家に着くと、どこかの和風レストランもどきの、申し訳ない程ステキに盛り付けられた手料理が並べられた。(いつお邪魔しても、信じられない位、上手な手料理を振る舞ってくれる)
ミケは私達が結婚して、1年目に里帰りした時に、足を延ばして会ったので彼と会うのは2度目、その時も小さな男の子が二人いたにも拘わらず、すごい手料理を振る舞ってくれた🙇😆💕✨m(。_。)m。
岡チンは、その昔、我々の結婚式場に突然現れた(岡チンが東京にいるなんて知らなかった私はビックリ ‼ 私の結婚を誰に聞いたのか、彼女も私も知らない……風のうわさ、とはこの事?)。
彼女は東京で5年働いていて、実家から呼び戻され、2・3日中に熊本にUターンするときだった。嬉しいサプライズだった。と云うわけで、岡チンも彼に会うのは2度目だ。
つい3年前、仲の良かった友達6人(3人を含む)で鹿児島でミニ同窓会をした。
ミケのごちそうに舌鼓を打ちながら、近況や昔話や今回の旅行、最近の社会情況やらに、すっかり話が盛り上がり、"オレは、直ぐに席を外すよ" と言ってた彼も、しっかりと話題の中に入り、⌚をみると、ビックリ‼ 予定の時間を1時間以上もオーバーしてしまうほど、楽しく懐かしく…………時を忘れた❤
ミケ、😉👍🎶。 岡チン、お土産まで😆💕✨。名残惜しさを隠しながら、又会う日まで……元気でね、サヨナラ……
別れて、フェリーで桜島へ向かう。
なんと、フェリーは24時間操業だって❔❕❗
所要時間15分。まずは、桜島に唯一の道の駅・桜島でstamp。
桜島は昨日も今日も噴煙をあげている。火山灰がすごい。
(昨日、指宿スカイラインから見た桜島が霞んで見えたのは、この噴煙・火山灰のせいだったのだ。)
その時、我々の🚌を見て、"練馬のどこですかー❔" と聞いて来たご夫婦、今は仮の住まい・鹿屋市に在住。
でも、本宅は小笠原だという。
私が夫が25年位前に、内装関係の仕事で小笠原に行った、と言うと、夫が来て"小笠原のだれそれさんのアパートの仕事"とか言い出して、先方も"そこは、よく知ってる人だ❗" と、大いに話が盛り上がってしまい、ひとしきり小笠原の話に花が咲いた☺
道の駅・垂水に行く。
桜島は大隅半島の近くに浮かぶ"島 " だったが、桜島が大正時代に大噴火して、大量の溶岩が流出し、垂水市と繋がった。
それから、桜島を一周、溶岩道路を走る。降灰で目が痛い。喉がいがらっぽい。
湯の平展望所、埋没した鳥居(黒神地区、大正時代の噴火の降灰で、2mも埋まってしまった。住民が掘り出そうとしたけれども、当時の町長の決断で、後世のために保存することを決め、それ以来、地元小中学校の児童生徒及び住民により維持されている)、噴火に備えて各所に避難シェルターが設けられている。
溶岩流、降灰、火砕流や土石流、未経験の私には、その恐怖は計り知れない。ただただ、未来に必ず来る天災に、キチンとしっかり備えなければ、と思うばかりだ。
道の駅・垂水は♨も安い(¥350)のに、とても good。そして、足湯は幅60センチ位で、65mもある。足湯の前に錦江湾……水面はグレーだ、桜島は不気味に噴煙をあげている。……お休みなさーい❗
外に出ると青い空に緑の芝生。
その隣には、 昨日山の上から見えた石油備蓄基地。
芝生の上では大勢の高齢者達(私も同じ?……?……気分は48歳よ!) 。元気に愉快にゲートボールが始まっている。
彼も気分が直ってるようだ。ホッ👌✌
"知覧" には是非行った方がいい、と4,5年前に行った彼の弁。
"知覧特攻平和会館"の外には、特攻隊員が乗った零戦のレプリカや、隊員達が、"おかあさん" と呼んでた鳥浜トメさんや特攻隊員の像がある。
9:00 開館と共に中に入り、当時の写真や海から何年後かに引き揚げられた陸軍四式戦闘機「はやて」、そして主に特攻隊員の親や妻・恋人・姉妹兄弟・子供に宛てた最後の手紙が展示されている。
当時の様子を、特攻隊員の生き残った人や、亡くなられた方の身内や知り合いの方から聞かれた "かたりべ"さんのお話しを聞き、胸が痛んだ。
16・17歳という若さで日本の為に、自ら志願して死んでいった若者達。この知覧からは430人位、台湾やほかの場所から飛び立った若者も入れると1000人以上。 戦争は絶対にダメだ。
命が一番の宝だ❗
昨日の時点で📱連絡した高校時代の親友、ミケと岡チン、岡チンを鹿児島中央駅前で拾って、ミケのお宅にお邪魔することになった。急に連絡したにも拘わらず、都合をつけてくれた二人に感謝❕❗
ミケの家に着くと、どこかの和風レストランもどきの、申し訳ない程ステキに盛り付けられた手料理が並べられた。(いつお邪魔しても、信じられない位、上手な手料理を振る舞ってくれる)
ミケは私達が結婚して、1年目に里帰りした時に、足を延ばして会ったので彼と会うのは2度目、その時も小さな男の子が二人いたにも拘わらず、すごい手料理を振る舞ってくれた🙇😆💕✨m(。_。)m。
岡チンは、その昔、我々の結婚式場に突然現れた(岡チンが東京にいるなんて知らなかった私はビックリ ‼ 私の結婚を誰に聞いたのか、彼女も私も知らない……風のうわさ、とはこの事?)。
彼女は東京で5年働いていて、実家から呼び戻され、2・3日中に熊本にUターンするときだった。嬉しいサプライズだった。と云うわけで、岡チンも彼に会うのは2度目だ。
つい3年前、仲の良かった友達6人(3人を含む)で鹿児島でミニ同窓会をした。
ミケのごちそうに舌鼓を打ちながら、近況や昔話や今回の旅行、最近の社会情況やらに、すっかり話が盛り上がり、"オレは、直ぐに席を外すよ" と言ってた彼も、しっかりと話題の中に入り、⌚をみると、ビックリ‼ 予定の時間を1時間以上もオーバーしてしまうほど、楽しく懐かしく…………時を忘れた❤
ミケ、😉👍🎶。 岡チン、お土産まで😆💕✨。名残惜しさを隠しながら、又会う日まで……元気でね、サヨナラ……
別れて、フェリーで桜島へ向かう。
なんと、フェリーは24時間操業だって❔❕❗
所要時間15分。まずは、桜島に唯一の道の駅・桜島でstamp。
桜島は昨日も今日も噴煙をあげている。火山灰がすごい。
(昨日、指宿スカイラインから見た桜島が霞んで見えたのは、この噴煙・火山灰のせいだったのだ。)
その時、我々の🚌を見て、"練馬のどこですかー❔" と聞いて来たご夫婦、今は仮の住まい・鹿屋市に在住。
でも、本宅は小笠原だという。
私が夫が25年位前に、内装関係の仕事で小笠原に行った、と言うと、夫が来て"小笠原のだれそれさんのアパートの仕事"とか言い出して、先方も"そこは、よく知ってる人だ❗" と、大いに話が盛り上がってしまい、ひとしきり小笠原の話に花が咲いた☺
道の駅・垂水に行く。
桜島は大隅半島の近くに浮かぶ"島 " だったが、桜島が大正時代に大噴火して、大量の溶岩が流出し、垂水市と繋がった。
それから、桜島を一周、溶岩道路を走る。降灰で目が痛い。喉がいがらっぽい。
湯の平展望所、埋没した鳥居(黒神地区、大正時代の噴火の降灰で、2mも埋まってしまった。住民が掘り出そうとしたけれども、当時の町長の決断で、後世のために保存することを決め、それ以来、地元小中学校の児童生徒及び住民により維持されている)、噴火に備えて各所に避難シェルターが設けられている。
溶岩流、降灰、火砕流や土石流、未経験の私には、その恐怖は計り知れない。ただただ、未来に必ず来る天災に、キチンとしっかり備えなければ、と思うばかりだ。
道の駅・垂水は♨も安い(¥350)のに、とても good。そして、足湯は幅60センチ位で、65mもある。足湯の前に錦江湾……水面はグレーだ、桜島は不気味に噴煙をあげている。……お休みなさーい❗