意思による楽観のための読書日記

「法令遵守」が日本を滅ぼす 郷原信郎 ***

建設業界の談合も始まった明治の頃は合理的な仕事の割り振り方法だった。複雑な下請け関係が形成され、建築物の施工方法についても複雑化した現代に、明治時代に制定された法律で現代の談合問題に対応しようというのが間違いだとの指摘。

ライブドア事件、村上ファンド事件は法律的に罰せられる内容だったかというとグレイ、しかし、株式分割による市場価値以上の株価形成を繰り返して会社買収をしていたライブドア、ライブドアによるフジテレビ株買い付け情報を操作して、巨額のキャピタルゲインを得ていた村上ファンド、いづれも世間良識から言えば「アウト」、この社会的不正ともいえる行為を如何に捉まえることができるのかが検察側の課題だった。形式的な法令遵守なら両社とも行っていたのだ。耐震偽装問題では、姉歯設計士がやり玉に挙がったが、建築されているすべての建造物に問題がないわけではないのが現実、実は現場での安全を支えているのは技術者の倫理と信用である。法令遵守ではないのだ。パロマのガス湯沸かし器の問題も、法令遵守からいえばパロマ社の対応は問題なかったのかもしれないが、問題発生後の会社による対応に世の中の人たちは違和感を抱いた。湯沸かし器の問題ではなく、その後の据え付け調整の問題であると、こいう会社主張は受け入れられるのか、会社に問題はないのかという違和感である。

筆者は企業でも組織と組織の間に落ちるような案件に問題が生じやすいと指摘。法令というのは象徴である、と考えた方が良い。法令は環境変化を知る手がかりであり、社会の良識に対する「眼」をもつことが企業には求められる。これが筆者の主張である。

江上剛は「腐敗連鎖」の中で、経営者が法務部門の弁護士や専門家にこのようなセリフを言わせている。「この件は法律上問題はないのかね」弁護士「法的には問題はないと思います」経営者「本当に法令違反にはならないのだろうな」弁護士「法令遵守違反ではないと思います」  その結果、その経営者が属する銀行は不正経理処理で世間から叩かれ糾弾され、経営陣は全員が退陣することになります。法令遵守と社会的責任、コンプライアンス上正しいことか、ということには距離がある、ということを江上さんは小説で度々指摘しています。

コンプライアンスという英語を「法令遵守」という日本語に翻訳したことに問題がある、という指摘もあります。コンプライアンスとはもっと広い概念であり、法令遵守を含み、社会の良識に反しない、という意味であること、会社経営者ではなくても噛みしめなければならないと、大相撲野球賭博問題の報道を見ていて感じます。「他にも問題はないのでしょうか」「社会に公表するべきことで、まだ言っていないことはないのでしょうか」「反社会的勢力とのつながりは断ち切れるのでしょうか」こうしたコンプライアンスが大相撲社会には問いかけられているのだと思います。

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

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