天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

小栗上野介の秘宝・・・

2022年04月01日 17時43分26秒 | 日記
 小栗上野介をご存知の方も多いかと思います。
 小栗忠順(おぐり ただまさ)が本名ですが、上野介に補任され、
 勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行などを歴任したので、
 本名よりも上野介で呼ばれる事が多いような感じです。
 江戸時代末期の幕府官僚だった人で、
 1860年(安政7年)、日米修好通商条約批准のため渡米し、
 地球を一周して帰国しています。
 この時の事は以前別の所に書きました。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/1bc5b997f41404026d0ae74542ac1ab8
 公人として最初の世界一周でしたし、アメリカの産業など多岐に渡って見ています。
 ワシントンでは、当時のブキャナン大統領に会ったりしています。
 帰国後、江戸幕府の財政再建や、洋式軍隊の整備、
 横須賀製鉄所の建設などを行います。
 後に、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、
 大隈重信や東郷平八郎からは幕府側から近代化政策を行った人として評価され、
 司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記しています。
 大政奉還後、徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えます。
 小栗には勝てる自信があったのだと思います。
 しかし、徹底抗戦論は退けられ、
 罷免されて領地である上野国群馬郡権田村に住んでいましたが、
 何の罪があった訳ではないのに、官軍に逮捕され斬首されてしまいます。

 この小栗上野介には、江戸城を退出した際、
 秘かに軍資金を運び出したとの話があります。
 その額は、300万両とに400万両とも言われ、
 現代の金額にすると、3000億円程度になるようです。
 いずれ薩長と戦うための軍資金とする目的だったのかも知れません。
 これまで多くの人がその財宝の行方を探していますが見付かっていません。

 少し前置きが長くなりましたが、
 実は2年ほど前に、小栗の財宝のありかを示す資料を入手しました。
 これまで小栗の領地近くの赤城山を中心に探索されましたが、
 僕の入手した資料では、同じ群馬県の沼田市郊外となっています。
 沼田市は、亡父の出身地です。
 亡父の遺品の中から、その資料が出て来ました。
 資料の信憑性などについて、これまで数人の専門家に鑑定を依頼しました。
 その結果を受け現地にも何度か足を運び、確実と思える証拠も発見しています。
 詳しい場所や証拠が何かと言うのは、ネット上に載せる訳にはいきませんので、
 ご了解ください。
 これから本格的な発掘を行う予定でいます。
 無事に発見出来た場合、法的には色々難しい事が予想されますが、
 僕としては、発見額の1割程度を得られれば十分だと思っています。
 ただ、これからの作業で、人手が足りない事が予想されますので、
 お手伝い下さる方がいらっしゃれば、助かります。
 そのようなご奇特な方がいらっしゃれば、ご連絡下さい。










 なお、今日は4月1日です^^

コメント
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