カーネギーホールで内田光子のリサイタル。
SCHUBERT Sonata in C Minor, D. 958
GYÖRGY KURTÁG "Antiphone in F-Sharp Major" from Játékok, Book II
BACH Contrapunctus No. 1, BWV 1080 from The Art of Fugue
GYÖRGY KURTÁG "Tumble-Bunny" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG "Portrait 3" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG "Dirge 2" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG "Hommage à Christian Wolff (Half-Asleep)" from Játékok, Book III
BACH Sarabande from French Suite No. 5 in G Major, BWV 816
GYÖRGY KURTÁG "Play with Infinity" from Játékok, Book III
SCHUMANN Symphonic Etudes, Op. 13
そしてアンコールに
SCHUBERT Impromptu in G-flat Major, D.899, No. 3
内田光子のピアノは鮮やかだ。
どんなに小さな音一つでも音が立っている。
他の誰と比べるほどものを知らないのでどうこう言えるわけでもないけど。
ステージに出て来るだけでみんなが大喜びするほど人気があるのは、演奏の素晴らしさと相まって、楽しくてしょうがないといった風に演奏する彼女の表情を見るのがまた楽しいと言った事もあると思う。
内田光子、ヨーヨー・マ、ミドリ、ランラン、小沢征爾。皆に愛されるのは決まって表情豊かなパフォーマー達だ。内田は小沢が指揮するみたいにピアノを弾くし、小沢はミドリがバイオリンを弾くみたいに指揮をする。
何故かアジア人が多い。今迄そんな西洋人演奏家を見た事がない。何故なんだろう。きっと容姿の良い西洋人達はその格好良さがどこかで素直な表現にブレーキをかけているのかもしれない。
そう言えばアジア映画と西洋映画についても同じようなことを感じる。
単に人と会っても・・。
その一種の、悪い言葉で言うと「気取り」とも言える意識が、決していつもカッコいいとも思えない人に重なって見えると、時にはコッケイな感じもする。
たいへんなのかな、カッコいい人って。