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自分が日々考えたこと(思いつき、空想、反省、楽しみ・・・)

備えあれば患えなし

2013-02-18 12:04:54 | Weblog

備えあれば患えなし

両親が共に入院した。どちらも骨折である。父は90歳超の高齢にも拘らず元気で軽い農作業なら難無く熟していたが、室内で尻餅をついて背骨を骨折した。弾みと言うか、衣装ケースは何時も目線よりも高い所に格納するようにしていたので、持ち上げようとして転んだのである。年齢を重ねると何時の間にか体力は落ち、若い時は問題なく出来た事が容易には出来なくなっている。頭では解かっているが、日常の暮らしの中では中々反映されないようである。今回のような事故が起こって初めて気付くのである。

母の場合もやはり転んで骨折した。足腰が弱っているところに父が入院したので一人で多くの家事をする羽目になり、その所為もあったのであろう、台所でよろけて調理台に掴まったところ、調理台が老朽していたため調理台諸共倒れて腰骨を骨折したようである。調理台の老朽化はある程度気付いていたことであるが、まさか全体重を掛けて掴まるとは考えてもいなかったのである。

後の祭りとはこのことである。高いところに物を置かなければ、調理台を改修固定していたら、こんな事故は起きなかったであろう。二人とも高齢のため、骨は脆くなっていた筈である。特に母は骨粗鬆症で数年前にも骨折している。従って、転倒が骨折に結びつくことは容易に想定できたはずであるが、転ばないことが暗黙の前提となっており、生活環境の中で転倒防止策は殆ど考慮されていなかったのである。

高齢者にとって、内科の病気を心配することも大切であるが、整形外科関係の病は痛みを伴うので致命的である。だから、大多数の人は日頃からウォーキングやサプリメントの通販に関心を持ち、身体強化と医薬品依存で対処しようとしている。しかし、生活環境についてはどうであろうか。住み慣れた住居、生活習慣は中々変更できないものである。結局のところ、傷害を引起す環境については放置されたままである。入院して初めて気付いても、「後悔先に立たず」であり、高齢者にとって入院は致命的である。身体を動かせないままベッドに横たわることは筋肉の衰えだけでなく、認知症の心配も出てくるのである。

実は、退職者となった私も老後は「自然を相手に楽しい暮らしをしよう」と肉体労働に精を出したが、張り切りすぎて腰を痛め、今はリハビリ中である。これで自分も高齢者の仲間になったことを悟り、長生きには身体が資本であると実感しているが、更に今回の両親の入院で、身体だけでなく生活環境整備も極めて重要であると痛感した。

世の中では、原発事故やトンネル崩落事故などを「想定外」と平気で呼んでいる輩が蔓延っているが、彼らは自分自身に起こる将来の出来事を本当に想定外と言えるのであろうか。少なくとも私は、これから先に自分自身に降掛かる事象については想定内と言えるようにして置きたいと思っている。そのためには日頃から、「もし自分がそうだったらどうする」を考える習慣を身に付けようと思う。「たら、れば」も言い訳に使うのでなく、将来に生かすためのキーワードなら良い言葉に聞こえる。昔の人は言っている「備えあれば患えなし」と。