[安全評価力:自分の身は自分で守らねば]
福島原発の事故や度重なる交通死亡事故を見て、本当に「何か打つ手はないのか」とやるせない気持ちになる人は多いだろう。今、日本では領土問題も含め、エネルギーや食品、医療などあらゆる分野で安全の評価と確保が話題になっている。日々の出来事や事件報道で知る限りでは、日本の行政には国民を守るための安全評価力が備わっているようには見えない。行政には国民を守る気持ちが欠如しているのではないかとさえ思う。我々を守ってくれる人は誰もいないようで大変不安だ。今や、自分の身は自分で守らねばならなくなってきた。
安全を「他人任せにする」はずはないと思うが、突き詰めて考えてみると、そもそも日本人は自分で自分の身を守る精神に欠けているのではないかと思うことがある。幕府の力が強大で、あまりにも平穏な江戸時代が長く続いた所為なのか、兎に角、「お上」に頼りっぱなしの暮らしが当たり前であった。その「お上」がここに来て頼りにならなくなったから困ったものである。任せておけば何でもかでも然るべく対処してくれた「お役人様」がいたのは昔の話となりつつある。
官僚組織が退廃してきた今、役人は大衆の顔色を伺いながら、組織だけは守ろうとしているように見える。もともと大衆は勝手で気まぐれである。大衆の言う通りやっていたら、みんなが不幸になるのは必然であろう。多数決にしても決して物事を正しい方向に導くとは限らない。旨く行かなかった時は一緒になって悔やむことはできるが、賛成に投票したお互いを罵り合い自滅するのが落ちだ。後悔しないためにも人任せにせず自分に責任を持つ心構えが必要である。
ところで、安全システム設計手法の一つに「フールプルーフ(foolproof)」というのがある。これは「馬鹿に気をつけろ」と言うことではない。専門家でなくても、素人でも安心して操作運用できると言うことである。物は必ず故障するし、人はいくら頭が良くて、教育レベルが高くてもミスを犯す、そして事故は起きる。だから、ミスを犯させないような設計、ミスしても大事に至らない設計が重要である。
日本人は頭が良いし、教育レベルも高いから、人さえしっかりしておれば自然と旨く行くと思っている人が多い。バス事故の例でも運行管理や運転手の技量などソフト面を問題にした報道が中心であった。道路の施設整備などハード面の不備はあまり話題にならなかったように思う。しかしながら、賢い技術者なら、当然、道、車、人など三位一体で安全設計をするはずである。まして、安全装備十分なバスでありながら、一瞬の居眠りで多数の死者を出すことはなかったはずである。道路施設の安全設計が不十分であったから大事故になったのである。ちょっと昔、ガードレールの端部品が取付いてなくて、ガードレールが運転手を串刺しにした事故があったのを記憶している人もいると思う。今回もガードレールと防音壁の連携が取れていれば、バスが誤ってぶつかっても、スムーズに弾き飛ばされ多数の死者は避けられたのではないだろうか。
原発事故の対応においても責任逃れや責任転嫁発言が相次いでいるが、そもそも原子力事業は費用対効果を考えて、必要最小限の安全設備と専門家集団で構成していたはずである。それが素人集団で遣っていたとは何たる言い訳であろうか。それなら最初から、フールプルーフの考えで安全システムを構築できたかもしれない。運用者は自分たちを含めて日本人は頭が良いし、教育レベルも高いので欧米とは格が違うのだと誇示したいがために手を抜いたのであろうか。
原発事故を見ても、高速道路のバス事故を見ても、大きな被害となったのは責任のある立場の人たち、あえて言えば役人が本来やるべきことをやってなかったことに尽きると思う。日本の行政は多くの役人を抱えながら、遣るべきことを遣らないのは、誰も責任を取らなくても良い集団的無責任体制で運営されていることに起因するのではないかと思う。本来、優秀な人はその能力を世のために活用する責任があるはずである。技術者や専門家が相応に評価され、その能力を遺憾なく発揮できるようになれば、責任もおのずから備わるようになるはずである。しかし、今の日本には優秀な技術者や専門家が責任をもって活躍できる行政システムが確立されていない。問題が起きるたびに新しく独立した専門評価機関を設置して対応しているのが現状である。
新しい機関ができても、任せられる専門家がいないと言う更なる別の問題もある。昔から日本では頭脳の流出が取り沙汰されるが、実は日本には専門家が住みにくく、優秀な人が評価されにくい風土がある。ここに、日本病の一つ問題があるようだ。日本の教育では差別だと言って優秀な人を評価しない傾向があり、結果的に能力を発揮する場を与えないことになってしまう。優秀な技術者や専門家にもスポーツ選手が受けると同様な憧憬や尊敬を受ける権利があるはずである。日本ではそれがないので、頭脳の流出に繋がるのである。現状打開策として、行政組織をもっと専門技術者に責任と権限を持たしたものとすることが一番効果的だと思うがどうだろう。
誰も守ってくれないので、自分の身は自分で守らねばと言ってはみたが、個人レベルで安全確保を実践して行くことは大変である。今、我々にできることは、身の回りで起こっている様々な事象に対して安全評価を自ら下す力量を養うことであると思う。安全評価の概念が世に浸透すれば自然と社会の意思として安全が確保されるようになるであろう。そのためにはフェイルセーフやフールプルーフ、更にはフェイルオペラティブなど安全設計手法を学ぶことがひとつの切り口になるかと思う。評論家やマスコミを通じて世論を盛り上げて改革を行うなどと言う甘い考えも捨て難いものであるが、兎に角、安全に関して自分に何ができるのか、遣りたいことをできるのは誰かを見極めることが重要である。自分で身を守ることができなければそれを遣り遂げてくれる人に託さねばならない。
注:フェイルセーフ(Fail-safe)とは故障や操作ミス、設計上の不具合などの障害が発生することを予め想定し、起きた際の被害を最小限に留めるような工夫をしておくと言う設計思想である。その中で特に人的ミスに絞って対応しようとする考えをフールプルーフ(Foolproof)と言う。フェイルオペラティブ(fail operative)とはフェイルセーフを一歩進めて、故障が発生してもサービスを継続して提供できるようにする考えである。