「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

陛下と国民の架け橋たる記帳所を宮内庁は何故設けないのか(『祖国と青年』平成18年10月号掲載)

2006-10-12 23:07:58 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
九月四日早朝、私はキャラバン隊で橿原神宮を訪れてゐた。秋篠宮同妃両殿下の新宮様ご誕生まであと二日、これ迄毎朝行つてきた親王殿下ご誕生・万世一系皇統護持の祈願にも力がこもつた。万難を排して日本国を建てられた初代神武天皇様に対し奉り、神武天皇の御血筋を男系の子孫によつて百二十六代に亘り守り伝へて来られた歴史を受け継がれ、その次の天皇のご資格を持たれる男子のご誕生を真剣にお祈り申し上げた。

 日本会議全国縦断キャラバン西日本A隊隊長の任務を終えて帰熊したのが九月五日夜。翌日は待ちに待つた御子ご誕辰である。「親王様ご誕生」との報が入るや万歳万歳の連呼、早速、我が家の玄関に国旗を掲げて、事務所へと向かふ。護国神社や神社庁の方々、日本会議熊本事務局の同志と「おめでたうございます」と交し合ふ。午後には、日本会議熊本の広報車が市内に繰り出し、女性ボランティアの方々によつて、お祝ひと夕方の旗パレードの案内が、弾んだ声で響き渡つた。東京のテレビ朝日本局からも取材の申し込みが入る。午後六時、熊本市中心部に位置する辛島公園にはお祝ひの旗行列に参加しやうと約五百名の方々が集まり、喜びの笑顔で広場はあふれてゐた。今回の奉祝行事の為に、日本会議熊本のある役員の方から通常の小旗より一回り大きい布製の美しい日の丸小旗が寄贈されてをり、それが配られた。新市街・下通り・上通りと奉祝パレードは約一時間続いた。街行く人々も笑顔で応えてくれる。親王殿下ご誕辰のその夕方に心ある方々と幾度も幾度も万歳を唱へ合ふ事が出来たのは至福の時であつた。パレードの様子は熊本県のニュースのみならず全国ニュースでも流れた。

 天皇皇后両陛下・秋篠宮同妃両殿下にお祝ひの声を届ける為の「奉祝記帳所」も熊本県庁を始め、市役所・町村役場にも設けられて、県下各地でお祝ひの記帳が行はれた。熊本県と岡山県・愛媛県では連携して事前に記帳所設置の要望書を全市町村宛に送付してゐた。これらの県では実績もあり、県庁は言ふまでも無く、全ての市町村役場で記帳所を設置して戴いた。鹿児島県では、高橋事務局長が獅子奮迅し県庁と市役所の全てに設置して貰つたと言ふ。日本会議本部の調査によれば、9月18日現在で記帳所設置の道府県庁は以下の20箇所である。
〔北海道〕北海道〔東北〕山形県・宮城県〔北陸甲信越〕群馬県・長野県〔近畿〕滋賀県・大阪府・和歌山県〔中国〕岡山県〔四国〕徳島県・香川県・愛媛県・高知県〔九州〕福岡県・佐賀県・長崎県・大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県
九州は、これまでの実績や日本会議の力もあり、沖縄以外の全ての県で早い時期に設置された。四国は、先づ、愛媛・徳島が設置し、香川は当方の強力な働きかけで実現、高知も続けて設置したとの事である。九州・四国は横の連携が強い。残念なのは中国地方と東海地方である。新総理のお膝元の山口県が設置してゐない。又、東海地方がゼロといふのも信じられない。岐阜や静岡などは保守県のはずなのだが。

 その後、記帳所を設けなかつた地区の実情が徐々に明らかになつて来た。私が九月下旬に訪れた山口県萩市でも、日本会議山口の会員の方々が市役所に記帳所設置を求めた所、「宮内庁が設置しないでくれと言つてゐる」との理由で設置出来なかつたとの事であつた。実は、今回の記帳所不設置の最大の理由は、宮内庁の消極姿勢、それも問ひ合はせが来た際に、地方の自治体にまでその旨を伝へてゐる所に問題がある。宮内庁は、「前例が無い」との理由で皇居での記帳所設置を遂に行はなかつた。「前例」とは秋篠宮家の内親王様ご誕辰の際に設けなかつた事を指す。しかし、今回の親王様は内親王さまと違ひ、皇位継承権第三位のお方であられるのだ。宮内庁は皇室典範を尊重する意思がないのだらうか。既に、「女系・女性容認」「長子相続」が決まつたとでも思つてゐるのか。この宮内庁の消極姿勢に惑はされて、記帳所の不設置を決めてしまつたのが東海4県であつた。日本会議岐阜でも早くから県庁に記帳所設置を求めてゐた。だが岐阜県が宮内庁に問ひ合はせをした所、宮内庁から「記帳を送られても受け付けない」と返答があり、それでは設置しても仕方がないと、東海4県揃つて記帳所の不設置を決定したといふ。宮内庁の驚くべき対応である。

 国民がその声を直接天皇皇后両陛下にお伝へ申し上げるのは、①宮中詠進歌の提出②宮中清掃奉仕③行幸啓時のご奉迎並びに提灯行列④ご平癒祈願や御皇室のご慶事に対する記帳、の4つ位しか存在しない。その中で、記帳所の設置といふのは、皇室と国民が喜びを共にし合ふ事を可能とする媒体であり、皇室と国民のまごころの交流と絆を表す大きな「架け橋」なのである。昭和天皇は「よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆきいまはななそぢ」との御製をお詠みになられてゐる。今回の悠仁親王殿下のご誕生を如何に両陛下がお喜びになられたかは、当日発表された両陛下のお言葉からもお伺ひする事が出来る。愛子さまご誕辰の時でさえ両陛下のお言葉発表は行はれてゐない。その両陛下にお祝ひの声をお届け申し上げたいとの国民の声を遮断する権利は宮内庁にはない。宮内庁が公的機関であるならば、国民統合の象徴であられる天皇に、国民のお祝ひの声を届ける為の手助けをする義務があるのではないか。それを拒否したのみならず、妨害した今回の宮内庁職員の行為は、憲法並びに公務員倫理規定に違反する行為ではないのか。

 宮内庁の羽毛田長官は、山口県の萩高校の出身だといふ。明治維新胎動の地、松下村塾が今尚保存され、松陰先生眠られる萩の地で育つた羽毛田氏が何故、今回のやうな国民と皇室とを分断する事をあえて行つたのか。孝明天皇の大御心に沿ひ奉らんと至誠を尽くされた松陰先生の事を思へば思ふほど、今回の宮内庁の怠慢と悪意とは許されない。
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