「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

良知の言葉第11回 「志、立たざれば、舵なきの舟のごとく、銜なきの馬のごとく、漂蕩奔逸して、つひにまた何の底るところかあらん。」

2023-07-18 11:25:02 | 「良知」の言葉
第11回(令和5年7月18日)
「志、立たざれば、舵なきの舟のごとく、銜(くつわ)なきの馬のごとく、漂蕩奔逸(ひょうとうほんいつ)して、つひにまた何の底(いた)るところかあらん。」
(「教条、竜場の諸生に示す」『王陽明全書』巻26・『陽明学大系』第3巻所収)

「志が立たなければ、舵の無い舟やくつわの無い馬の様に、暴れ狂ってどこへ行くか解りはしない。それでは、決して目的地に至る事は出来ない」

 立志の大切さについては、第3回の四箇教条「立志・勤学・改過・責善」の項で記したが、再度強調したい。竜場に於て示した四箇教条は、王陽明が弟子達を教えるに際して、終生変わらなかった教法だと言われている。他にも「弟に立志を示す説」(正徳10年・44歳)(『王陽明全書』巻7)があり、吉田松陰は平戸でその文章を読んでその感動を「西遊日記」に記している。

 私達は、日々何らかの行動を積み重ねて生きているのだが、そこに明確な指針=志を立てる事が重要である。陽明が言う様に、志の無い生き様では「その日暮し」に陥ってしまい、人生の最後に後悔するであろう。私達は、人生の最後に向かって日々を刻んでいるのだ。23歳で散華したある特攻隊員は日記に「生まれ出でてより死ぬるまで、我等は己の一秒一秒によって創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらぞうをきざみつつあるのです。」「私は、私の全精魂をうって、最後の入魂に努力しなければならない」と記した(『雲流るる果てに』)。

 吉田松陰が『留魂録』に記した様に、人間には与えられた命数に応じた人生の春夏秋冬の四季がある。春には希望に燃えた志を抱き、夏には全力で志を貫き、秋にはその志の成果ともいうべき何らかの結実を生じ、冬には人生を意味あるものとする為の「不朽」への志が生まれて来る。其々の時に於て形は違っていても「志」を立て、抱き続ける事がそれぞれの時期を意義ある時に成す秘訣である。

 道元禅師は「一発菩提心を百千万回発するなり」と述べ、衆生救済の志を幾度も幾度も発し続けると述べている。「志」は幾度も幾度も立て続けねばならない。私は、三種類のノートで人生をサポートしている。ひとつは「述志帳」と題した日記帳で、一年の中で節目の時に「志」を記している。二つは「現志脇臣帳」と題した志を実現する為の業務計画ノート、三つは「孜學鍛錬日録」と題した日々の学習・鍛錬その他の記録である。やがて70歳を迎える私は、今尚、日々志を立て続けて、残された人生を意義あるものとすべく努力を重ねたいと思っている。


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